大久(オーク)君には絶対オちたりしない
『禁断の恋』と呼ばれるものはこの世に数多く存在する。
近親、同性、不倫。
教師と生徒といった社会的な立場の違いによる『禁断の恋』というのもある。
法律的に許されないもの。
社会的に認められないもの。
倫理的に受け入れられないもの。
マイノリティーなもの。
それらを『禁断の恋』と呼んでいるのだ。
この私、姫城市姫子にも『禁断の恋』と呼べる、好きになってはいけない相手がいる。
それは――――――
◎
「よう、おはよう」
ドアを開けると、さわやかな声で挨拶される。
目の前には、大久が立っていた。
私が家から出てくるのを待っていたのだろう。
「……おはよう」
私は挨拶を返すと、大久の横を早足で通り過ぎ、歩き出す。
大久は走って私のあとを追いかけ、並んで歩いた。
「姫ちゃん、どうした? 機嫌わりぃのか?」
「……姫ちゃんって呼ぶな」
こいつはいつも私のことを昔のあだ名で呼ぶ。
もう高校生になって“姫ちゃん”はないだろう。
私はそっけない態度をとったはずだが、大久はそんなことを気にした様子もなくニヒルに笑う。
彼の名前は、大久大我。
家が隣同士で子供の頃からよく一緒に遊んでいた。
いわゆる幼馴染というものだ。
親同士も仲が良く、ほとんど兄弟同然のように育ったと言ってもいい。
「大久、だいたい君と私は別の学校だろう。わざわざ一緒に行く必要ないと思うが」
「いいだろう。姫ちゃんと俺の学校近いんだしさ」
そう言って、大久はあからさまにため息をつく。
「あ~あ、俺も姫ちゃんと一緒の学校に行けたらなぁ?」
「……女子校に男が入ったらパニックになるから、変な考えは起こすなよ」
今年の三月、私は学校を卒業し、女子校――百合宮高校に入学した。
大久とは別々の学校になったのだが、なぜかこうして毎朝一緒に登校しているのだ。
「それにしても、私に合わせて無理してこんな時間に登校することないと思うぞ。
私は部活の朝練があるが、お前は学校へ早く着いてもやることはないだろう」
私の言葉に大久は軽く答える。
「大丈夫大丈夫。毎朝勉強してるから」
「ほう、勉強か偉いな」
同じ学校だったときは、大久は勉強が苦手で、私が勉強を教えていた。
無理やり教えていた時もあったのだが、進んで勉強するようになったのだな。
「昨日出された宿題やってねぇからな、朝やるんだ」
一瞬でも感心した私が愚かだった。
「大久、それは家に帰ってから夜寝る前までに終わらせるものだぞ」
「へ、学校で勉強してきたつーのに、家に帰ってまで勉強なんてやってられねーぜ」
こいつの勉強を先延ばしにする癖は変わってない。
そういえば、夏休みの宿題が終わらないからって手伝わされたこともあったか。
今年はそんなことがさすがにないと信じたい。
「そうそう」
大久は急に思い出したように言った。
「そういえばもうすぐ部活……剣道の大会だっけ、応援に行ってやろうか」
「来るな」
間髪入れず私は即答する。
大久が来ると試合に集中できないではない。
剣道の試合。面で顔を隠しているとはいえ、「キェーーーー」とか「エーーーーン」とか奇声を発している姿を見られるのは恥ずかしい。
同じ部活の人やら知らない人ならいいが、家族とか友人に見られるのはなぜか抵抗がある。
「そんなこと言うなよ。姫ちゃんが活躍するの楽しみにしてるからさ」
そう言って大久はにこっと笑う。
その屈託のない笑顔を見ていると不覚にもドキッとする。
かーっと胸の中が熱くなるような感覚。
だめだだめだ。
私は頭を軽くふって、胸の中に沸いたときめきを振り払う。
「どうしたんだ姫ちゃん」
私の様子がおかしいことに気づいたのか、大久が不思議そうな顔でこちらを見てくる。
「べ、別になんでもない!」
うう、武の道を志すものとして、私は修業が足りない。
私はすでに大久に好きになりかけている。
友人的な意味でも家族的な意味でもない。
恋愛的な意味でだ。
私は大久のことを好きになってはいけないのに。
恋にオちてはいけない、その理由があるのだ。
……………………。
私は当たり障りない話題を出し、その場をごまかした。
そして、私と大久は他愛もない会話を続けていると、私の高校の校門が見えてくる。
女子高だけあって、警備が厳しく門の前には守衛が立っていた。
「ほら、大久が一緒にいると守衛さんに注意されるぞ、早く自分の学校へ行ったらどうだ」
私はそっけなく追い払う。
それに大久と一緒にいるところを知り合いに見られたら、いらぬ噂を立てられるかもしれない。
「そうか、姫ちゃんと離れるのは寂しいな」
大久は恥ずかしいセリフをさらりと言う。
私は突然の不意打ちに顔を真っ赤にする。
「じゃ、じゃあ私は急ぐから」
赤くなった顔を見られたくなくて、私はそのまま走り去った。
◎
「おはよう王子」
「王子! 今日も早いね!」
「いい天気ですね、王子」
廊下を歩いていると、知り合いが口々に挨拶をしてくるので、私も挨拶を返す。
それにしても……。
この学校に入学して三か月。
すっかり私のあだ名は『王子』と定着してしまった。
あだ名の理由は王子っぽいから。
男らしくふるまっているつもりはないが、なぜか周りの人間はそう呼ぶのだ。
まあ昔から呼ばれていたあだ名なので、慣れてはいるし、嫌ではない。
剣道場に着くと、先に一人の女子がいた。
「おはようございます、姫城市さん」
同じクラスの天野だ。
彼女は私が去年通っていた小中一貫校で一緒だった。
部活も剣道部でけっこう長い付き合いになる。
九年間クラスが一緒にもなったことはないが、それなりに親しい間柄のつもりだ。
「そういえば姫城市さん。朝、殿方と一緒に歩いてらっしゃいましたか?」
う、見られていた。
変な勘繰りをされないように私はごまかす。
「ああ、知り合いとな。彼の学校が近くだからたまたま一緒に歩いていただけだ。
たまたま一緒に!」
「そうですか? それにしても殿方の方は、姫城市さんをかなり好いているよう見えたのですが、
もしかして恋人さんですか?」
天野のいきなりの指摘に、体がこわばる。
「なっ、違うぞ」
私は必死に否定した
「あいつと恋人なわけないだろう。絶対に違うぞ、断じてあり得ない」
「じょ、冗談ですよ。そこまで言わなくても……」
天野は私の剣幕に若干引いているようだ。
「まあ、そうですよね。姫城市さんとあの殿方ではどう考えても釣り合いませんからね」
「そうだろう、そうだろう」
私は強くうなずく反面、やっぱりそう思われるのかと心の中でため息をついた。
そして、その話はそれっきりで終わった。
朝練中。天野の言葉が頭の中でぐるぐる回る。
――殿方の方は、姫城市さんをかなり好いているよう見えたのですが
私にとって大久は家が隣同士で、幼馴染であり、恋をしてはいけない相手だ。
だけど大久は私のことを何と思っているのだろう。
幼馴染? 友人? もしあいつが私のことを恋愛的な意味で好きだったら……。
私はどうしたらいい?
思考はぐるぐるぐるぐる回り、答えは出ない。
◎
今日は部活も学校生活もあまり身が入らないかった。
だから、放課後の剣道部の活動が、先生の都合で早く終わることになったのは若干ありがたい。
同じ部の仲間といっしょに帰路を歩くが、家の方向が私だけ違い、途中から一人になる。
一人になって、空を見上げるとまだ明るい。
いつもは暗くなってから帰っているからな。
ふと寄り道がしたくなって公園に立ち寄ろうと思った。
それなりの広さを持つ緑地公園。
家から少し遠回りになるが、気まぐれでもしくは気分を変えたいときにたまに通るのだ。
緑の風景を楽しみながら歩いていると、頭の上の方、木の枝に何か白いものを見つけた。
なんだろう? 目を凝らしてみるとそれが生き物だとわかる。
――猫だ。
ふわふわした毛並みの白い子猫が木の枝にいた。
木に上って下りられなくなったのか、微かに脚が震えている。
助けないと。
私は鞄と竹刀袋を置くと、すぐさま木の幹に足をかける。
猫のいる高さは2メートルくらい。この位なら登れるだろう大丈夫だろう。
木登りなんて何年ぶりだろうか?
と思い返すが、大久に付き合って去年の夏にしたのを思い出した。
またこんな風に木を登る機会があるとは思わなかったが……。
子猫がいる木の枝まで登り、そこに足を下ろす。
木の幹に体重をかけながら、子猫に片手を伸ばした。
子猫は人に慣れているのかおとなしく捕まり、見事腕の中におさまった。
そして私は子猫を驚かせないように、ゆっくりと木を下りる。
片腕と足を使って、慎重に、慎重に。
無事に木から下りて、子猫を地面に下ろす。
「危ないところだったな、大丈夫か?」
子猫に話しかけるが、子猫はすぐに走り去ってしまった。
「………………………………」
感謝されたいから助けたわけではないが、少し悲しい。
私は置いた鞄と竹刀袋を手に取ろうとしたとき、
にゃあと鳴き声がした。
振り替えるとさっきの猫がこちらにかけてくる。
私が膝を下ろし、手を差し出すとその手の中に飛び込んできた。
猫は鳴き声を上げながら、私の手に頭をこすりつける。
思わず周りを見渡して、人がいないか確認する。
ここはちょうど木陰に隠れていて人目は届きにくい。
誰もいないのを確認すると、今まで我慢していた声を出した。
「にゃにゃにゃ、かわいいね~」
子猫のおなかをくすぐる。
あ~、だめだ。猫がかわいすぎる。
私は周りから隠しているが、動物とかぬいぐるみとか、かわいいものに弱いのだ。
みんなかっこいい私に期待しているし、それに、なんだ、その、恥ずかしい。
「にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃにゃ~」
他の人に見られない姿をさらす。
こんなのを見られた日には恥ずかしさで死ねるだろう。
しばらく猫と戯れていると、ガサっと音がした。
「!!っ」
慌てて振り返る。
そこには大久がバツの悪そうな顔をして立っていた。
「……わ、わりぃ、のぞき見するつもりじゃなかったんだけど」
顔が熱くなっていくのがわかる。
きっと私の顔はゆでたタコのように真っ赤になっているだろう。
何か、何か言い訳しようと口を開くが何を言えばいいのかわからない。
「くっ、殺せ」
混乱している頭で、そんなセリフが飛び出した。
「こんな恥辱をさらすなんて……、さっさと殺せ!」
「……そこまで言わなくても」
大久は少し引き気味に応えた。
◎
私と大久は並んで帰り道を歩く。
「絶対言うなよ、誰にも言うなよ」
「ハハっ、どうしようかなぁ」
大久はニヤニヤといやらしく笑う。
「言ったら、お前を殺して、私も死ぬぞ」
私は竹刀袋から、竹刀を取り出そうとする。
「ばっ、言わねぇ! 言わねぇから、その物騒なもんしまえ」
大久は慌てて言った。
大久は友達の家の帰り道に私の姿を見つけたらしい。
そして驚かせようと後をつけ、あの光景を目撃したということだ。
あの時、大久の気配に気づけないなんて、武の道を志すものとして、一生の不覚だ、
「でも、あんな姫ちゃんの表情みるの久しぶりのような気がするな」
「……姫ちゃんと呼ぶな」
不機嫌な口調で返す。
「それに、あんなだらしない表情、……恥ずかしい」
私はしっかりとした、姫城市姫子でいなければならないのに……。
「姫ちゃん、さっきの表情とってもかわいかったぜ」
その言葉で私の胸が高鳴った。
こんなことでときめくのだから、我ながら単純だと思う。
「ば、ば、ば、バカなこと言うなっ!」
「ハハハ」
大久は笑っている。
好きになってはいけないのに。
恋にオちてはいけないのに。
どうしても胸がドキドキしてしまう。
呼吸をととのえ、精神を落ち着かせなければ。
私は隣で並んで歩く大久を横目で見て、改めて決意する。
私は大久に恋したりしない。
大久には絶対オちたりしない。
小学三年生相手に恋するわけには絶対にいかないのだ。
ちょっとスランプ気味なので、気晴らしに書いてみました。
あと叙述トリックっぽいのが書きたかった。
わかりづらかったら、すみません。
ここまで読んでくださってありがとうございました。