鬼無里 魅麗
蓮水くんとの出会いは遠江道場であった。
親に連れられて見学をした道場に彼はいた。淡々と愚直に正拳を繰り出していた。お世辞にも上手とは言えないが一生懸命に汗を滴らせて練習している彼から目を離せなかった。
当時小学生二年生の淡い一目惚れだった。今思えば小学校低学年の一時の感情なんてすぐに忘れてしまう。しかし私はそれを持ち続けた。
決定的だったのは、私が中学二年生の頃であった。お姉さんキャラを確立していた僕はみんなから『かっこいい』などと言われていた。私もそれに応えようとした。
そんな中でふとした時に蓮水くんは言ってくれた。
「鬼無里先輩は凄いですね。みんなに頼られて。いつも頑張って」
「ーーーーーーーー」
「はぁ……そんなことないですか?……でも頑張るのって大変ではないですか?」
「ーーーーーーーー」
「そんなもんですか。……………こんなに綺麗で可愛いのに」
正直、自分がどういう受け答えをしてそこに至ったのか忘れてしまったが、蓮水くんの独り言のように呟いた最後の言の葉だけが記憶に鮮烈に刻み込まれた。
深く深く温かく心に染み渡った。というか悶え死ぬかと思った。キュンキュンした。ドキドキした。抱きつきたい衝動を全力で抑えた。
そして彼は私の唯一無二の男の子になった。
単純。チョロイン。大いに結構。だだし自分の心は裏切れない。
***
「兄さんが、兄さんが、兄さんが、兄さんが、兄さんが、兄さんが、兄さんが、兄さんが、兄さんが」
「蓮水。冗談やめて出てきなよ。こ、こんなの。こんなの全然面白くないよ……グスッ」
蓮水くんが居なくなってから現状は混沌に満ちていた。
ただ一つのことを連呼しながら虚空を見つめる霞くん。涙目で木を殴っている英。木がものすごく揺れているな。蓮水くんが消えたことで余裕を失っていると見える。蓮水くんがこういう時にどうこうなるわけがないではないか。全く友達と妹ならどっしり構えていてもらいたいものだ。
「まあ、落ち着きたまえ。ほらゆっくりと温かいお茶でも飲んでリラックスしたまえ」
鞄から水筒を取り出しお茶を注ぐ。
「姉さん!冷静なふりをしてめっちゃ手が揺れているから!お茶溢れまくっているから!」
おっと。私としたことが突然のことで柄にもなく動揺してしまったようだ。ふははは。
「だから冷静なふりが全くできていないから!口に運ぼうとしているのに首元ビチャビチャになってるから!熱くないの!」
恥ずべきことに蓮水くんが奇妙な声と共に忽然と姿を消してから時間と比例して混乱が極まっていた。蓮水くんが消えた跡には烏の羽が一枚舞っていた。まさか烏にさらわれたのか。
どうやら私も混乱しているようだ。思考がままならない。
「とりあえず、近くにあるとかいう村にでも行って人を募ろう。三人で捜すのには危険すぎるからな……たっく電話もあいつでないのはどういうことなんだろうな」
訂正。混乱しているのは女子三人だけであったようだ。愚弟は適切に行動を提案した。
***
「だからなんで警察に通報しないのよ!どう考えても誘拐でしょう!」
感情的に叫ぶのは私……ではなく。霞くん、英でもない。村にいた都会人風のご婦人である。
村にひとまず向かい、第一村人に事情を説明したところ最初は目に見えて心配そうにしていたのだが、烏の羽の話をしたら空気が一気に弛緩したのである。
それはなぜか?それはこういう事件が過去に何回か起きているのである。拐われた子供は長くても一週間、短くて半日で帰ってくるらしい。この事件は烏の羽が一枚拐われた現場に舞っており、拐われた子供がみんな一様に天狗と遊んでたと証言しているという。
村人も慣れたもんで『高校生でもねらわれぇるんだねぇ〜』と呑気に宣っていた。
……この村の子供は誘拐し放題ではないのだろうか。
今もただ一人この村の人に嫁入りした人だけが騒ぎ、他の人達が説得しているという形だ。
「じゃからの。沙百合ちゃんは大丈夫じゃ。家のまえに烏の羽があったのならすぐに帰ってくるじゃろうに」
「それを知っている人の誘拐だったらどうするのよ!」
「あらあら、心配しないで下さい。うちのメメも居なくなりましたから」
「なんの気休めにもなってないでしょう!ただの大事件じゃない!」
ただの大事件ってのもおかしな話であるが、端から見ればご婦人が言っていることが正しいのだが。
「天狗だか天女だか知りませんが、兄さんをさらっておいてまさか無事にすむと思っていませんよね」
「そうだね、霞ちゃん。地獄を見せてあげよう」
君たちも少しはそのオーラを沈めて欲しいものだね。
「で、姉さんはどうするんだよ」
「戻ってくるというなら待つさ。いつまでも」
「……そんなに意気消沈した顔でか?」
呆れたようにこちらを見る実篤。
「どうしてそんなに落ち着いている。親友だろ。蓮水くんとは」
「はっはー!いつもあいつには否定されているけどな。そのつもりだよ。……あいつは大丈夫。強いからな」
その言葉はなんだかスッと心に落ちてきた。ふむ、強いか。
だがなんとなくイラッとしたので実篤を投げ飛ばしておく。
「イテテ。まあじゃあ探しに行くか。蓮水を」
「はぁ?」
「霞ちゃんが蓮水に発信器を付けているらしいからさ」
……あっ私も付けていたな。無論山でこういう風にはぐれた時のためにである。断じて違う目的で使用したことはない。
誰もいつもどこにいるか把握してたいなど思っていない。




