遠江 霞
あなたにとってヒーローは誰ですか?
お父さんですか?お母さんですか?学校の先生?スポーツ選手?芸能人?過去の偉人?ヒーローなんてこの世にいないとおっしゃる人もいるかもしれません。
ただ、私にとってのヒーローはいつも兄さんだった。ヒーローという言い方は少し恥ずかしいが私にとってはその通りの存在。そんな事を言ってもきっと兄さんは否定するだろう。
小、中学校での兄さんはいつも人の輪の中心にいた。今はきっと兄さんは高校で一人で過ごしているでしょうか?いえ、もしかしたら実篤さんとは一緒かもしれませんね。認めたくはないですがあの女とも。まあ、一緒にいる事ぐらいは許してあげましょうか。
兄さんは基本的にいい人だ。最初は普通に平凡で尋常な月並みでみんなが言うようないい人だった。変わったのは、あの事件からだろうか。中学の時に起きた兄の性格が根底から覆されたあの事件。
ただ兄の優しさは変わらなかった。そこだけは譲れないかと言うように頑なに持ち続けた。だから私も兄に寄り添い続けよう。ヒーローから普通の人に戻った兄を支えよう。それが救われた私の努めであるから。
***
「で?なんであなた方がここに居るんですか?帰れ」
「冷たいねぇ霞くんは僕に対して。いつも道場で優しくしてあげているではないか。蓮水くんは、あんなに懐いてくれているというのに。嘆かわしいねぇ」
「蓮水の奴が懐いてるのが問題なんだろ……」
全くその通りです。なんで兄はこんな変人に懐いてしまったのでしょうか。小さい頃からの刷り込みというやつですかね。……はっ!であるならば幼初期より努力すれば、今頃は兄さんを私を大好きになっていたのではないでしょうか。何故頑張れなかった昔の私。
「何故という質問に答えてないのですが」
「ふむ、そんなの決まっているではないかね。昨夜、君は実篤に電話をかけたそうではないか?中々妙なワードを連発していたようだね」
「そこから姉さんの無駄な推理力を発揮してね。朝から蓮水の家の前で張ってたわけだ。…俺は教えてしまった責任として姉さんの暴走を止めるために来た」
この二人はもう……折角の休日に暇人ですか?趣味がないかわいそうな人ですか?日々、学校と家の往復ですか。そうですか。私の趣味ですか?自己鍛錬と兄さんに決まってるではないですか。
「わかりました。では、このまま兄さんの尾行を継続しましょう」
そう、私たちは今塀の影に隠れつつ兄さんを追っています。端から見ればとてもおかしな三人組ですが、世間の目なんて知った事ではありません。
「しかし、兄さんが実篤さん以外と出かけるなんて。お二人には何か心当たりがあるのではないのですか?というか無かったらあなた方の価値ありませんよ」
「そこは抜かりなく調べてきたさ。実篤が」
「謎の倒置法で押し付けられた!…いやまあ多分、というか十中八九英さんだろ」
はなぶささん?誰ですかその人は。まさか兄さんにそんな知り合いがいるなんて。そのはなぶささんというのはテニス部なんでしょうか?
「実篤?それはどういうことだい?何故あの二人が休日に一緒に会うんだい?そんなのある筈がないだろう。面白くない冗談はやめてくれたまえ。ねぇ?」
急に鬼無里さんの声が低くなっていますね。何をそんなに取り乱しているのでしょうか。そろそろ実篤さんの首元から手を離さないと死んでしまいますよ。
ふむ鬼無里さんが、兄さん関係で取り乱すですか……ま、まさか!
「実篤さん……はなぶささんというのはまさか女性……なんてことありませんよね?ねぇ?」
私は宙に浮いている実篤さんに詰め寄って優しく質問する。
「あ、あれ」
実篤さんが落ちそうになりながらも指をさした先には……仲睦まじく談笑する兄さんと害虫の姿があった。
ドサッ 実篤さんが地面に崩れ落ちた。
***
「一体どういうことですか?なぜ兄さんは、休日に二人で出かけあまつさえこんなお洒落な喫茶店に入っているのですか?」
「いや、俺に聞かれても」
私たちは兄さんの尾行を続け喫茶店に来ています。全く私に嘘をついて害虫と出かけるなんてお仕置きをしなければなりませんね。
「ていうかね、俺にも一つつっこませて。……なんであいつら会話ゼロなの!お前の兄さんどうなってんだよ!普通にパフェ頼み始めて、普通に黙々と食ってるんですけど。その状況を享受している英さんも怖いけど」
「ずっと見てられるではないか」
「そうですね。兄さんがパフェを食べている姿は正直萌え死にます」
「常識人が一人だと!」
そうこうしてる内に兄さんもパフェを食べ終えたようです。しかし。
「さて、どうしましょうか。ついてきたとは言えここからどうしようもないですね」
「なら帰ろうや」
「心配しないでくれたまえ。こんな時のために読唇術を私は身につけているのだよ。1ヶ月前から」
「それできなくね」
もっともです。それは役に立つのでしょうか?私も兄さんの表情から心の中を読み取るぐらいはできますが、今兄さんがこちらに背を向けている状況では使えないですね。
「まあまあ、とりあえず見ておきたまえ。私の実力を」
鬼無里さんは自信満々に言い切ると、英さんの口元に注目し始める。
「今更……驚いちゃう………………………なんとなく……いたい……偏見……初めて……」
「何を言いたいか今ひとつ情報が伝わってきません」
「それ本当に当たってんのか?」
正直に言えば、精度の面に不安しかない。
「喚かないでくれ。今集中しているんだ」
他に方法があるわけでもありませんし、鬼無里さんのエセ読唇術を見るのもまた一興ですかね。
「おそらく……死ぬ……」
「なんか一気にヘビーな話に!」
「頑張った………ご褒美……」
「すいません。ちょっと害虫を駆除してきます」
調子に乗って何を要求してるのか。どうしてくれましょうか?……私でさえ最近は頭を撫でてさえ貰っていないというのに。兄さんも中学生になった頃から全然手をつないでくれないし。
「ちょ、ちょっと待って霞ちゃん!今、言ったら俺たちがここにいることバレちゃうから。落ち着いて」
「構いません、いいから離してください。少しお話をしてくるだけですから」
「うん、それ本当にお話だけで済むかな!?というか力強いね霞ちゃん。全然止まらないんだけど!姉さんもなんか言ってよ」
ん?そう言えば鬼無里さんが、静かですね。こういう時に真っ先にあそこに詰め寄りそうなのに。チラリと鬼無里さんを見るとハイライトが消えた目でふらりと立ち上がっていた。
「不思議……欲求…………蓮水くん…………食べたい」
「なんで火に油を注いだぁ!ガソリン並みのもの注いでどうすんのぉ!」
私の中で何かが弾け飛ぶ音が聞こえた気がした。
***
気がつくとソファーの上で寝かされていた。その場にいた実篤さんに状況を聞くと、さすがに騒がしくしすぎて喫茶店のマスターに当身で眠らされたらしい。
……ふむ、あのマスターもなかなかやりますね。私の後ろをとるとは。
兄さんたちはもう出て行ったそうだ。
仕方がありません帰ってきたところをじっくり聞くとしましょうか。
兄さん。今日は寝かせませんよ?




