1話 「山田が死んだ」
9月×日 午前 7時20分 辰棟 流
教室の扉を開け、まだ人影がない事を確認すると軽く口元が緩んでしまう。
何故か分からないが、誰も居ない教室というのは僕の心に高揚感を生むのだ。
自分の席へと着席し、愛読書の推理小説を開く。
僕はこの静かな時間が一日の中で一番好きだ。
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登校から1時間も経過する頃には、教室も騒がしくなってくる。
内容の無い無意味な女子の会話や、教室の後ろで紙のボールと箒で野球ごっこをやる男子共。
そんなクラス連中を教室の最後尾の窓際から、愛読書を尻目に観察していた。
(本当にこいつらは観察していても何も楽しくないな。
まあ、僕みたいに本ばかり読んでいるクラスというのも観察していて楽しくないんだろうけど。)
HR前の喧騒の中、書に集中出来ない時間はクラスを観察する事が僕の暇つぶしになっている。
あまり好きな時間では無いが、この暇つぶしも無駄な時間では無い事が最近になって分かった。
キーンコーンカーンコーン
HRのチャイムと共に、教室の喧騒を裂くようにして2-Bの担当教員の倉柳が真剣な面持ちで教室に入ってきた。
……その様子は普段の飄々と気だるげな猫背のおっさんとは違っている。
いつものへらへらとした表情は剥がれ、その顔からは怒りのようなものが感じ取れる。
普段と違う教師の登場に、クラスメイトは早々と着席し、緊張した空気の中にクスクスと笑い声も混じっている。
学生特有の真剣な空気の場で生まれる場違いな笑いというやつだ。
倉柳はゆっくりと教卓へ向かい、片手に担いでいた日誌を開くと低い声音で淡々とHRを開始した。
「あー、HRを始める前に皆に伝える事がある。
昨晩、山田が……交通事故で亡くなった。」
教室がざわめき始める。
「ぇ?」
「まじ……か。」
「山田くんが?」
教員から告げられたクラスの一員の突然の死に、HRだという事も関係なく、各々が口を開き始める。
そして、囁き声は段々と喧騒となり、低く聞き取り難い倉柳の声よりも大きくなっていく。
「皆、興奮を……のは……るが、落ち着い……いてくれ、あいつの……決して自………思じゃあ無い、くれぐれも面……分で後を追った…………事。そ………生は絶………悔する事になる。これ………………あ無く、お前らよりも……………た--いわ…………いなものなんだが、とにかく!…………までは今の人…………しむよう心………ように。………る?ねえ、聞………いよね?みんな?」
倉柳の話になど耳も向けず、クラスの奴らは自由に会話を始めていた。
「ちくしょーーーー、俺あいつに金貸したままなのに!」
「えー、もしかして山田、昨日私ら遊びに誘った時、露骨に嫌な顔したの気にしてたとか?ちょーうける。」
「それあるかもー。」
「2万だぞ2万!」
「お前それ本当かよ!」
「…………」
「う、そ。」
「ぎゃーはっはっはっは!まじうける!」
「そっかーじゃああいつも転生しちまったのか。」
「羨ましいよねー。どんな世界に行ったんだろうね?」
「まあ、あいつならどこでもやっていけそうだけど。」
「惜しい人を亡くした……ホロリ。」
「お前絶対悔やんでないだろ。」
普段と変わらない、無意味で下らない会話が耳に入る。
山田と仲の良かった数人の男子がその目に涙を浮かべているのが見えたが、正直、僕自身も山田の死についてはどうとも思っていない。
亡くなったからといって、存在そのものが無くなる訳じゃない。
ただ別世界に転生し、新たな人生を歩むだけだ。
こんな事は小学生で習う事だし、他人の死をいちいち気にしていたらこの世界では生きてはいけない。
半年間で、このクラスの死人はこれで8人目になるのだから。
「ってか先生も、そんな顔して来るから吃驚しちゃったじゃん。」
「そーだぞ倉柳ぃー、有名人でも来校するのかと思ったし。」
まあ確かに、別に珍しい話でも無いし、これまでのクラスの死人に対しては特に今日のような特別な態度はしていなかったはずだ。
倉柳は山田と何か深い交友関係でも築いていたのだろうか。
……さっきのクラス連中の声に隠れた長話も、僕の中の倉柳に対する人物像と離れている。
「……ん、いや。そうだな。少し変だったな俺。なんて言うか、先生昨日青春ドラマ見ちゃったから、それの影響出てたかもしんないわ。」
少しの沈黙から先ほどまでの真剣な表情とはうって変わって、綻んだ口元と猫背が特徴のいつもの倉柳へと戻る。
元々、感情の起伏は激しい人だが、あそこまで真剣な面持ちは初めて見た。
何があったのだろうか?
いつもは飄々としただらしない教師の裏の姿……興味がある。
そして、倉柳の件に加えて、先ほどからクラスを観察していてもう一つ気になる事が見つかった。
クラス委員長の神倉 千郷の反応だ。
以前から観察していて分かったが、こいつは異様なまでに人の死に敏感なのだ。
クラスメイトの死に対し、表情には出さないが肩の動きや手の震えから明らかに動揺が伝わってくる。
別に仲の良い相手でないにしても、だ。
恋人や家族の死に対しても、笑顔で転生の門出を祝うご時世に、他人の死にここまでの感情移入する人間は推理小説でも珍しい。
そして、こいつは誰かの死後は何故か帰宅路がいつもと変わる。
先月クラスメイトが自殺したその日に気になって尾行してみたのだが、途中でバレたようで撒かれてしまった。
冷静沈着で他人に興味を向ける事無い彼女の謎の行動……これも興味の対象だ。
(倉柳の件はまたいずれ考えるとして、今日は絶対尾行を成功させるぞ!そのためのルートとか帰りまでに考えないと……)
◇
後日談 ?時?分
元々推理小説が好きだった僕は、朝の暇つぶしで他人を観察する力を身に付けて、それを応用して他人の感情を探る楽しみを覚えていた。
まるで自分が有能な探偵になったように錯覚して、自惚れてね。
そう、この時の僕は、間違いなく浮かれていた。
この9月×日よりも前に、どーーーにかして窓から飛び降りて、転生していればどれだけ楽だっただろうか。
……人の感情というのは興味本位で覗くべきでは無いという事、それと、知ってはいけない事があるという事を、僕はこの後思い知らされる事になったんだ。
初投稿になります。
いろいろと未熟な点があれば指摘等いただきたく思います。