詩の解釈、小説の読み方
ここで、ひさびさに“理想の読者”君の登場だ。
「さっきの詩だけどね。『君は、社会の家畜』って詩。アレは、なかなかいいね」
そう、理想の読者君は切り出した。
「ここまで君の作品を全部読んできている僕だから、君が作家として生きていく人生に執着しているのは、よくわかる。だから、普通は、そういう視点で詩を書くと思うんだ」
理想の読者君は、そう続ける。
「フムフム」と、僕は相づちを打つ。
「普通の詩人ならば、『自分は作家として生きていく!だから、そうでない人生を歩んでいる人は愚かだ!』とか『ほんとうは自由に生きていきたいのだけど、そうできない自分がいる。こんな人生は間違っている。そうさせている社会が悪い!』といったテーマで書くはず」
「うんうん」
「ところが、この詩はそこで終わってはいない。『作家として自由に生きていく道を選ぶ方が、自分では崇高だと信じている。けれども、そうでない人生も、またあるのだ。そこは選択の違いに過ぎない。どちらが高いとか低いとかいうものではないのだ』というメッセージが伝わってくる。もう1段階、先に進んでいるよ」
さすがは、僕の理想の読者君だ。僕が書いた作品の読み方をわかっている。みんながみんな、こんな風に読んでくれれば、これに勝る幸せはないのだけれど。
もちろん、詩の解釈なんて人それぞれだ。小説の読み方だって無数にある。どんな風に読んでもらったって構いはしない。これは1つの読み方に過ぎない。作者の手を離れたら、それは読者のもの。
ただ、「こんなコトは誰にでもわかっている」「誰だって似たようなモノは書けるよ」といった程度の感想で終わってはいない。真っ向から作品に向かい、真剣に何かを見出そうとしている。そこが嬉しいのだ。
これは、なかなかできることではない。
もちろん、その為には、作者の方も負けないくらい真剣に作品を生み出し続けなければならない。
真剣に読んでくれている読者の為に。飽きられないように。さらなる驚きをもたらすように。さらにさらに、先へ先へと進み続けなければならないのだ。
それこそが、究極の作家の使命なのだから。