情熱と感性で書く
基本的に、僕は情熱で書くタイプ。情熱、そして感性で。
なので、理論に欠けるコトもある。あるいは、理論的にも矛盾はないのだが、普通の人には「何を言っているんだろう?よくわからないな~」となってしまうコトも多い。
おそらく、文章的にも内容的にも、いくらか“慣れ”が必要なタイプなのだろう。慣れてしまいさえすれば、どうということもない。むしろ、普通の文章よりもスラスラと読めてしまったりもする。
僕自身は、そう思って書いている。ただ、実際に読者からどう思われているのかは、イマイチよくわからない。
小説やエッセイを書いているのに、突然、詩のような文体になってみたりもする。
内容よりも、感性を重視した結果。いや、内容も維持しつつ、感性を使って書いているわけだ。だが、これが、なかなか理解されづらい。
「なぜ、突然、文章の形式が変化してしまうのだ?」と、こうなってしまう。
「いやいや、こういう手法だから」と説明しても、理解されない。
実際に、過去の作家にも、このような手法を用いた人は何人もいるのだが、そういう“読み方”を知らない読者からすると、駄目な文章に思えてしまうのだろう。
小説というのは、自由なのだ。人々が思っているよりも、遥かに自由!
僕は、その小説の自由度を広めたい。人々が持っている“偏見”という名の壁を破壊して、さらなる世界に解き放ちたい。外の世界には、もっともっと大きな感動が待ち受けているのだから。




