表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/150

常に未来を見て生きていると…

 で、さっきの話の続きなんだけど。

 500年も1000年も先の世界を見て生きていこうとすると、どうなるか?

 そうすると、どうしても、“意識の差”が生まれてしまうのだ。それは、読者との意識の差。あるいは、生きている間に出会う他の人々との意識の差。


 そりゃ、そうだ。こっちは何百年も先の未来に生きようと必死になっている。他の人達は、目の前を見て生きている。ここに差が生まれない方がおかしい。

 こうして、僕と読者との差は、ますます広がっていくというわけ。


 ここで、いつもの難問にブチ当たる。

“僕が、読者に合わせるか?読者が、僕に合わせるか?”

 読者が、僕の意識の高さに目覚めるのを待っていてもいい。僕が見ている世界を、同じ視点で見ることができるようになるまで待っていてもいい。だが、それには時間がかかる。何ヶ月も、何年も。あるいは、何十年も。もしかしたら、僕が生きている間には到達しないかも知れない。

 その間、どうなる?その間、僕は評価されないまま。「あいつは、よくわからんモノばかり書いている」「実力がないからだ」「読者が理解できるような小説を書く能力がない」「才能がないのだ」と判断されてしまう。


 ま、僕としては、「それでもいいかな?」とも思うのだけど。そうなると、書いている小説も売れない。お金も入ってこない。必然的に、どこかの地点で極貧の中、孤独に死を迎えるコトになるだろう。

 さすがに、それは僕の意図する人生ではない。


 そうなると、僕が読者に合わせるしかない。

 表現方法も内容も、“理想の読者”ではなく“普通の読者”に合わせるしかなくなってしまう。その方が、評価もされるし、多くの人々にも読まれるだろう。お金にもなるかも知れない。


 ただ、「それでいいのだろうか?」という疑問もある。

 それが、真の作家といえるのだろうか?その先に、究極の小説家への道はつながっているのだろうか?そういう疑問が。

 こうして、僕は再び迷うのである。別の地点から始まった発想で、結局は同じ問題について悩むのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ