セザンヌについて(前編)
“セザンヌ”という画家について興味が湧いたので、前後編に分けて語ってみたいと思う。
前編は、セザンヌの人生について。どのような人生を歩んだ人だったのか?どのような考え方に基づいて絵を描き続けていたのか?それを語っていきたいと思う。
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セザンヌは、生前、理解されない画家であった。そういう意味では、ゴッホや宮沢賢治などに近い。とはいえ、そこまででもなかった。少数とはいえ、理解してくれる画家仲間や画商などがいてくれたからだ。なので、画材や生活費の心配などは、大してなかったようだ。
セザンヌの描く絵を理解できなかったのは、一般市民。そして、多くの評論家。
「こんなものは全然駄目だ!絵の基本もできちゃいない!箸にも棒にもかかりゃしない!」と非難された。まさに、総スカン!!
結果、どうなったか?
その結果、セザンヌは極度の人間不信に陥ってしまったのである。
ちょっとでもその体に触れると、激怒する。相手は、親切心からセザンヌの体を起こそうとしたり、体を支えてくれただけだったりしても、だ。
「何をするんだ!私に触れるな!!また、私を攻撃しようとしているのだろう!また、騙そうとしているのだろう!そうはいかんぞ!!」と、凄い剣幕で怒り狂う。
そうして、人里離れた場所に移り住み、孤独にひたすら絵を描き続けた。“自分が美しいと信じて疑わない絵”を!
そんなセザンヌにも、信頼できる人間は、わずかながらいた。人物画を描く時には、そういった少数の信頼できる人にモデルを頼んでいた。結婚もしていて、奥さんはそのわずかな信頼できる人物の1人であった。
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伝説の画商“ヴォラール”
この人が、セザンヌの数少ない理解者の1人であり、援助者でもあった。
ヴォラールは、有名・無名にかかわらず、“真に価値ある絵を描いている”と認めた者に援助を惜しまなかった。今は無名でも、いつか必ず、その真価が理解される時が来る。そう信じて、セザンヌの描く絵も、何枚も買ってくれた。
事実、そうなる時は来るのだが、その価値が本当に理解されるようになったのは、セザンヌの晩年。そして、死後であった。
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セザンヌの描く絵は、主に“風景画”“人物画”“静物画”である。
そうして、そこに現実世界ではあり得ない手法を用いる。
たとえば、山の大きさを、実際に見えているのよりは大きく描いてみる。あるいは、真っ直ぐに建っている建築物を斜めに描いてみる。まるで、ピサの斜塔のように。
それから、同時に、いくつもの視点で物を描く。たとえば、リンゴが10個並んでいたとする。それらを、様々な角度から描いてみせるのである。あるリンゴは真上から見た構図で。別のリンゴは斜めから。さらに別のリンゴは、真横から。といった感じで。
これらは、物理的にあり得ない。1枚の写真に撮った時、絶対にそうは写らないという構図。“写真”という文化そのものの登場以前から、このような手法に果敢に挑み、そうして到達していたのだ。
これが、当時の評論家たちには理解できなかった。
「ただ単に歪んでいる絵にしか見えない」と、映ったわけだ。




