最近の若者は、昔の名作を読まない
ここ何日か、昔の日本の作家について書かれた本を読んでいる。
坂口安吾だとか、永井荷風だとか、深沢七郎だとか、石川啄木だとか、そういった人達について書かれた本だ。
ま、その本には、いろいろとおもしろい話が書いてあるのだが、結論としては「最近は、このような作家の作品も読まれなくなってしまった。もったいない話だ。みんな、もっと、昔の名作を読んで欲しい」というものだった。
そういえば、そのような話をよく聞く。
「最近の若者は、昔の名作を読まなくなってしまった」とか、その手の話を。
僕は、その理由をよく知っている。泉鏡花と同じ理由に他ならない。“昔の言葉づかいで書かれていて、現代人には難しくて読めない”のだ。
鏡花ほどではないにしろ、明治だとか昭和初期だとかに書かれた本は、現代人には難し過ぎる。もちろん、現代語に直されている作品もあるが、全ての作品がそうなっているわけではない。しかも、現代の言葉づかいに直したところで、難しい本は難しい。そう、現代の人々は感じているわけだ。
もはや、昭和後期やそれ以降の作品すら、読めない人も多いかも知れない。
ある意味、それは“読書能力の低下”というわけだが、それは仕方がない。ある種の進化であり、同時に退化でもある。現代人は、現代の世界に適応して、そのような姿になったのだから。
きっと、これから、もっと読まれなくなっていくだろう。
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似たような話は、どの業界にもある。
たとえば、アニメ業界。
「若い人は、昔の名作アニメの良さも知らずに…」
昔の作品を見ようにも、若い人には、もう絵柄や作風が合わなくて、見ることができないというわけだ。
あるいは、マンガ業界。
「20~30年前のマンガは、もっと魂がこもっていて、心の底から楽しめたのに。それに引き替え、最近のマンガは、どうしたものか。昔のマンガを知らない若者は、不幸だね」
これまた、絵柄の問題があるだろう。コマ割なんかも、現代のマンガとはかなり違っている作品も多い。
そんなものは、映画でもドラマでも音楽でも、何だって同じ。似たようなセリフが、あちらこちらで聞かれる。
ライトノベルでさえ、そう。
「昔のライトノベルは、よかった。それに比べれば、最近のライトノベルは、どうだ。あまりにも軽過ぎて、読めたものではない」
実は、そのライトノベルだって、発祥した頃から、他の小説のファンからは同じように言われていた。
「最近は、ライトノベルだなんてものが生まれたらしいが、あんなものは軽過ぎて読めたもんじゃない」と。
時代は変われど、セリフ自体は、ほとんど変わらない。似たようなセリフを吐かれていた人々が、今度は自分で同じようなセリフを使うわけだ。
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で、ここで僕が何を言いたいかって?
「だから、文句を言わずに、みんな古典に触れましょう!」だろうか?
それとも、もっと別の意見?
「みんな、昔は若者だった。だから、自分がそうでなくなった時に、同じようなセリフを吐かないように気をつけましょう」かな?
残念、どちらも不正解。
そんなものは、どちらでもいい。古典なんて読みたい人だけ読んでいればいいし、読みなくなければ別に読まなくても構いはしない。
誰がどんなセリフを吐こうが、そんなコトは知ったこっちゃない。好きにすればいい。人には、誰しも、そのくらいの自由はあるのだから。
そんなコトではなく、僕が言いたいのは、こういうコトさ。
「もしかして、僕も時代に合わせるべきなのかも知れないな。これまで、時代に左右されない傑作を生み出そうと、魂を削り、全てを注いできた。それどころか、人々の遥か先、未来の作品を生み出そうと必死なって生きてきた。けれども、その生き方を変えるべき時が来ているのではないだろうか?」と。
ここしばらく、そういう考えが頭を巡っている。
どうするか、結論はまだ出ていない。




