ひたすらに、ただひたすらに地に潜り続ける
この小説は、ひたすらに高みを目指して書かれた小説である。
であるからして、ひたすらに天空に向って飛んでいるように思われるかも知れない。けれども、そうはなっていない。むしろ、それとは全く逆。地に向って掘り進んでいるのである。
目指しているのは、天空の世界。けれども、実際に行っているのは、地中深くに向って掘り進んでいく行為。ひたすらに、ただひたすらに地に潜り続ける。
もはや、ほとんど誰もついてきてくれてはいない。ほぼ、全ての読者が脱落してしまっているだろう。全滅に近い。“壊滅”とでも、表現するか?
ここで、普通の人間ならば、どう考えるか?ここで、こう考えるはず。
「この小説は失敗だ!人々に受け入れられなかった!読者に見放されてしまった!だから、失敗だ!大失敗だ!もう、書くのをやめてしまおう!」と。
だが、僕は違う。そうはならない。これまでと変わらず書き続ける。それどころか、これまで以上のペースで進む日さえある。これぞ、まさに執筆の極み。“小説を書く”という行為の最終形態。少なくとも、その内の1つ。数ある執筆スタイルの最終形態の1つ。
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ある登山家は言った。
「そこに、山があるから登るのだ」と。
僕がやっているのも、それと同じ。
誰も潜ったコトのない深い深い海があれば、潜りたくなる。深海の底の底まで、到達してみたくなる。
そこに地面があれば、掘りたくなる。掘り進めたくなる。回りの人間達が「何の得にもならないから、もうやめろ」と忠告してきても、掘るのをやめない。ひたすらに、ただひたすらに地の底を目指して、掘り進む。その先に何があるのかは知らない。ドロドロに溶けた溶岩だろうか?あるいは、地球の反対側まで抜けてしまうのか?
山があるならば、登りたくなる。それどころか、自分で山を作りたくなる。土を盛って、作りたくなる。誰も登れない、険しき山を。高き高き山を。
そう!これは、山でもあるだ!
読者という登山家がやって来るのを待っている山。
「様々な山を登り終えて、もっと高い山はないのか?もっと険しい山はないのか?オレに登れない山はないのか?」と挑戦してくる登山家を待ち受ける山。
究極の登山家…つまり、究極の読者の為に用意された山。
「登ってみせろ!」と僕は山を作る。
この山を登られたら、どうするか?もちろん、次の山を作るのだ。より高き、より険しき山を!
あるいは、“迷宮”と表現しても構わないだろう。
誰も訪れぬ世界の果てで、ぼくは迷宮を広げ続ける。コツコツコツコツと壁を作り、トラップを張る。決して誰もクリアーできない謎の迷宮。史上最高のラビリンスを目指して!
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こうして、僕の人生は続いていく。世の中の、ほとんどの人間に認められぬまま。なぜなら、多くの人々は登山家ではない。冒険者でもない。普通に暮らし、当たり前に生きていくだけ。
ほとんどの読者が読書に求めるのも、それは同じ。ただ、自分が楽しめればいい。ハイキングのようなものなのだ。命に関わる危険な目に遭ったりしたくはない。ただ、疲れた日常で、ほんのちょっと癒しが欲しい。それだけなのだ。
それでも、いるはずなんだ。この世界のどこかに。このような山や迷宮を求めてやまない究極の読者というものが…
僕は、その人の為に、今日も書き続ける。昨日そうしたように、明日も、明後日も、変わらず書き続ける。




