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“小説の神”の言葉を思い返してみる

 ここで、僕は、“小説の神”との対話を思い返してみる。

「プロの小説家を目指すのならば、“無難なモノを書くな”」と言われた。ところが、小説の神が説明してくれた“プロの小説家への近道”は、その無難なモノの代表みたいな作品の書き方じゃないか。

 これは、どういうことなのだろうか?


 やるならば、徹底的にやれということだろうか?

 無難なモノも極めれば、もはや、それは無難ではない。特別なのだ。と、そういうこと?


 そういえば、昔、あの男も言っていたな。

 僕の心の底に住んでいる男のコトさ。最近は、不動明王みたいな姿をして、時々、僕に意見してくるアイツ。考えてみると、アイツも、ある意味で小説の神みたいなものか。けれども、全くの対極に位置しているとも言える。

 前に、アイツが言っていた。「製品と作品は違うのだ」と。


 無難なモノを極めた姿、それが製品。言い換えれば、プロの小説家の仕事。そして、プロの小説家への近道。

 それに対して、徹底的に自分の作りたいモノを追求する。それが、作品。それは、プロの小説家になるには、程遠い道。

 けれども、プロの小説家でありながら、立派な作品と呼べるモノを作り上げている人だって大勢いる。いや、大勢かどうかはわからないけれども、何人かはいる。その中の数人を、僕も知っている。これは、明らかに矛盾してないか?


 最初は、読者受けするようなモノを作っておいてデビューして、後から好きな作品を作り始めたのだろうか?

 ウ~ム…そうとばかりも言えないような。


 “読者も満足させつつ、自分のやりたいコトもやる”それこそが、プロの小説家。

 この方がシックリくるか。けれども、それができている人がどのくらいいる?


 あるいは、プロであるというコトと、一流であるというコトは別物というわけか?

 難しい。考えれば考える程、難しい。泥沼にはまっていくようだ。


 ま、いい。

 とりあえずは、小説だ。小説を書こう。あまり迷ってばかりいても、いけない。迷ったり悩んだりしてもいいが、そればかりでは先へ進めはしない。

 とりあえずは書こう。書き進めよう。その上で、どうしようもなくなったら、また考えよう。

 

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