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僕が、ヘルマン・ヘッセを“史上最高の読書家”であるとする理由-3

 「ヘッセの読書術」

 これが、どういった本なのか、簡単に説明しておこう。

 題名でからして、もちろん、その著者はヘルマン・ヘッセその人である。


 中身は、どういうものかというと…

 ヘルマン・ヘッセが書いた、本に関するエッセイを集めたもの。元から1冊の本として発行するコトを前提に書かれた文章ではないので、その中身はバラバラである。本について書かれた文章が、いろいろと入っている。


 ヘッセは、こう語る。

「“万人に共通の必読図書”などありはしない。ただ、それぞれの人にとっては、そうではない。それぞれの人に応じた“これだけは読んでおかなければならない”という本は存在する。そうして、数多くの本の中から、それらの本を探し出すのは、人生においての最大の幸せである」と。


 ヘルマン・ヘッセは、僕の考えていた“読書家”ではなかった。僕が想像していた読書家のイメージとは全く別だった。むしろ、異端児。

 それまでの僕がイメージしていた“読書家”というのは、偏屈で、自分勝手で、ワガママなものであった。その考え方は狭量。自分が「これ!」と認めた本以外は、全て駄作!価値がない!

「みんなが読んでいるんだから、君もこの本を読んでおかないとね」などと考えている人。

「この本を読め!」と強制してくる人。

「え?この作家のこの本も読んでないの?君も、まだまだだね~」なんて言ってくる人。

 そんな感じ。

 ヘッセは、それとは完全に逆だった。


         *


 ヘッセは、評論家がお薦めする「読書100選」などというものが嫌いだった。大嫌いだった。

「そんなものは何の意味もない!なぜなら、人によって大切な本などというものは違うのだから!人というのは、それぞれ好きな本を好きな風に読めばいい!」

 そう言い放った。


         *


 ヘッセは、全集が嫌いだった。

「本というのは、それぞれに最適の形がある。同じ作者でも、作品ごとに形が違う。ハードカバーで読んだ方がいい作品もあれば、文庫本が適している作品もある。それを全て同じ形にしてどうする!セールスマンの宣伝文句に踊らされて、全何十巻もの名作全集を揃えたって、それを読める人なんてほとんどいはしないじゃないか!ただ、本棚に並べられて部屋のインテリアの一部になるのがせいぜいだ!」

「同じ大きさ・同じ重さの本でも、文字の大きさ・版による表現の違い・作者による修正具合などによって、その価値は大きく変わる。それぞれの読者が、それぞれに最適の本の大きさ・重さ・手触り・文字の大きさ・好みの版などを見つける。それこそが、最大の幸せ!」

 このように語る。


         *


 ヘッセは新聞も嫌いだった。それは、僕も同じ。あんなモノに、何の価値があるのか全然わからない。

 子供の頃から「勉強になるから、新聞を読みなさい」などと言われて育ってきたけれども、意味がわからなかった。あそこには何も書かれていない。人生において大切なコトは何も!何1つとして!

 いや…さすがに、それは大袈裟か。少しは書かれている。それは、読者欄だ。読者が、いろいろと日常の時ごとや感想などを書いて投稿するコーナー。アレだけは、価値があると思っていた。

 けれども、それもインターネットの発達と共に役割を終えた。ネットの方が、よっぽど膨大な量の意見が載っている。


「新聞などに時間を割いているくらいならば、その半分の時間で、もっと大切なモノを手に入れられる。自分に合った自分の本を探し、それを読むのだ。木や花の美しさを植物図鑑から学んだかい?そうではなく、直接手に触れて、その香りを嗅いで知ったはず。それと同じ」

 ヘッセは、そのように力説する。


         *


 こんな風に書くと、ヘルマン・ヘッセは嫌いなモノだらけだったように思われるかも知れない。一見した所、偏屈なようにも思える。

 けれども、そうではない。ヘッセは本が好きだったのだ。心の底から本を愛していたのだ。だからこそ、その作品が最高に輝く環境で読みたいと思っていた。純粋に、それだけだった。

 何を読むかは人の自由。その読み方も、また自由。


 もちろん、ヘッセ自身にも好き嫌いはあった。

「こっちの本は好きだけど、こっちのは自分にはあまり合わないな~」

「この作家の生き方・考え方はどれも理解できるけど、あの作家の方はそうではない。自分とは、根本的に違う生き方・考え方をしている」

 そういうのは、存在した。でも、それでいい。みんながみんな、それでいいのだと。全員が一致する必要はない。考えや感じ方を統一する必要など、どこにもない。そう、語る。


 もしも、この世の中に心底、新聞を愛する人がいるならば、それでいいのだろう。「全集こそが、最高の形!」と信じて疑わない人がいれば、それはそれで正解なのだろう。

 ただ、人に強制されて読むのは違う。それが、訴えかけたかったのだ。

「この本は、ためになるから必ず読みなさい」

 そんな本はないと言いたかっただけ。“何が、ためになるのか?”は、人によって違う。

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