作品には、作品ごとの読み方というものがある
ちょっと読者の話になったので、もう少しその辺の話を詳しくしておこう。
“理想の読者”の話である。
小説には、様々な種類がある。
もちろん、それぞれの作品によって、おもしろさが違ってくるわけだから、その読み方も作品ごとに変えていかなければならない。これは、当然過ぎる当然の話である。
たとえば、本格的な文学作品を読むのに、ライトノベルの読み方で挑んでどうする?
その逆も、またしかり!ライトノベルとして読めば最高におもしろいのに、「これは文学的には全然駄目だよね…」などという読み方をしてはならない!
それは、小説だけではない。どのような映画であれ、アニメであれ、同じことが言える。
「その作品には、その作品に合った読み方ができなければならない!」と。
そうして、より広く、より深く、それぞれの作品ごとの読み方ができるように、読者や視聴者は務めなければならないのである。そうしなければ、いつまで経っても同じ物の見方しかできないし、似たような作品しか楽しむことができないのだから。
理想の読者とは、その辺の幅が広いし、深さも持っている。
ここで、1つ注意しなければならないコトがある。それは、「ジャンルに騙されてはいけない」というものだ。
一見した所、アクション映画に見える(あるいは、そう分類されている)作品なのに、実はコメディとして見なければ、本来のおもしろさが発揮できないなどという場合がある。あるいは、ホラーだと思ったらアクションマンガだったとか、童話だと思っていたら本格的な文学だったとか、そういったコトだ。
これができるようになると、受け手としてのレベルはグンッと上がる。逆を言えば、小説など書いている者の身からすると、「このくらいまでは早く全員に到達してもらいたいものだな~」と、そう思うのである。




