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菱田春草

 目が覚めた。さて、小説を書こう。

 …と思ったのだが、体が重い。頭もガンガンする。精神的疲労が半端ない。


 そうだ。思い出した。全てを燃やし尽くす極炎の炎。なぜ、心の底に封じてしまったのか。それを、思い出した。精神的負担が半端ないからだ。瞬間的な威力は最高。だが、後が辛い。たとえ、その日は大丈夫でも、翌日に大きな疲労が残る。

 昨晩、“余力を残さない戦い方”で、今後は行こうと決めたばかりだが、さっそく暗礁に乗り上げてしまった。大丈夫か?これ?

 ま、いい。大きな能力には、大きなリスクが伴うものだ。時間をかけて、制御できるようになっていけばいい。それで、どうしても無理そうならば、再び心の底に封じてしまえばいい。しばらくは、このまま進んでいこう。


 さて、それよりも春草である。菱田春草。ヒシダシュンソウと読む。

 昔の画家の名だ。この菱田春草は、常に新しい技法に挑み、絵の世界で実験を繰り返したという。そうして、その行為は当時の人々に論争を巻き起こし、「これは天才だ!」と言う者もいれば、全く逆に「こんなモノは全然駄目だ」と全く評価に値しないと判断した者もいたという。

 春草は、日本画の世界に、西洋の技法を取り入れようとした画家である。日本画にも関わらず、西洋絵の具を使用したりしている。これだけではない。これまで自分が使ってきた技法を捨て、さらに新しい絵を模索して実験を繰り返す。2~3年ごとに描く絵のタイプを変えていったという。


 過去の歴史を探れば、このような画家は何人も見つかる。画家だけではない。あらゆる芸術・創作の世界で、果敢に新世界へと挑んでいった者は存在する。その多くは、その当時は認められなかった。後の世から見れば当然の技法も、当時の人々には理解されなかったのである。

 このように、創作や芸術の世界というのは、作り手だけではなく、受け手の能力というのも要求される。作り手がレベルを上げていくのに従って、受け手のレベルも上がっていかなければならないというわけだ。


 それは、小説の世界においても同じ。いつまでも、同じコトを繰り返していてはいけない。そうして、それは作家だけではなく、読者にも同じコトが言えるのだ。

 たとえ、現時点で認められないとしても、それでも、さらなる技法・新しい作品へと挑戦していく。それこそが、理想の作家のあるべき姿。そして、理想の読者のあるべき姿でもあるのだから。

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