丁寧に書くか?書き殴るか?
図書館で、ある雑誌を読んでいると、1人の作家のインタビューが載っていた。
「私は、ジックリと文章を書き綴っていくタイプでね。言葉の選び方1つ1つ、改行のタイミングも全て、何度も何度も読み直してから確定させることにしているよ。仕事時間は、1日に5~6時間。それで、大体原稿用紙5枚程度かな?自分でも遅筆な方だと思っているよ。でも、それでいいと思っている。それが、私の執筆スタイルだからね」
毎日、原稿用紙5枚でいい。なんという羨ましい環境だろう。それが許される人生。理想的な人生だな。僕は、そう思った。
僕の執筆スタイルからすると、執筆量はもうちょっと多い。原稿用紙で10~15枚程度。これでも、まだ少ないと感じている。全然足りない。この2~3倍は書けると感じている。けれども、まだ実力がそこまで追いついていない。
かといって、書き殴っているわけでもない。自分で書いた原稿は、何度も見直す。書きながら見直し、書き終わってから見直し、公開する直前にもう1度見直す。最低でも3度は見直しているわけだ。どんなに忙しくても、2度は。
おかげで、誤字脱字は少ない方だと思う。表現的にも、そこまでおかしくはないはず。もちろん、わざとそうしている部分もある。わざと、下手に書いてみたり、他の人だと使わない表現方法してみたり。妙なこだわりがあるし、逆に全くこだわらない部分もある。
いずれにしても、比較的丁寧に書いていって、この枚数。書き殴れば枚数は増える。それは、わかっている。わかってはいるが、そうはしない。それは、長期的に見て損だと知っているからだ。長期的にというのは、何年も何十年も。あるいは、何百年も何千年も先まで考えた結果だ。たとえ、僕が死んだとしても、作品は残り続ける。そこまで考慮に入れてのこのスタイル。
小説というのは、自由なものだ。
人によって、表現方法が全く違っていい。執筆スタイルも全然違っていい。ただ、それぞれの人に合った執筆法というのはあるはずだ。早めに、それを知っておいた方がいい。その方が得だから。




