絶望から始まる物語
ああ~、よく寝た!すっごい寝た!バカみたいに寝た!
おかげで、気力充分!体力充分!バリバリ書けそう!!
夢の中でも、小説を書いていた。僕は、どこかのボロアパートに住んでいて、同じように貧乏な住人達と楽しく暮らしていた。いや、楽しくはなかったか?基本的には、苦しく暮らしていた。けれども、どこかに希望のようなモノはあった。
深い深い海の底に生息する海洋生物が水面を眺め、かすかに降り注いでくる太陽の光を希望にしているようなもの。「いつか、あのお日様の光があふれる世界に出て行くのだ!」と思いながら暮らしているようなもの。
そんな夢だった。
目が覚めてからも、僕は布団の中で考えた。
考えていたのは、小説を書く動機について。“人は、なぜ小説を書くのだろうか?”
僕が書く小説の動機は、絶望だ。
基本的に、小説の世界は既に終わっている。文字で表現する文化には、限界がある。人々は、文字など読みたくはない。もっとわかりやすい表現方法がいくらでもある。マンガでも、音楽でも、映画でも、アニメでも。わかりやすいモノを求めている人達は、みんなそっちへ流れていってしまった。これから、もっと流れていくだろう。
仮に、文字で表現しようと思っても、これからはわかりやすさが求められる時代になるだろう。わかりやすく、読みやすく、取っつきやすい文章。そうでないモノは、全て敬遠される。まるで、世の中の人達がみんな、食べやすい食べ物ばかり食べるようになってしまったみたいに。
価値があるかどうかなんて、どうでもいいんだ。栄養素がどれだけ含まれているかなんて関係ない。まずは、読みやすく、食べやすくなければ。それは、小説も食べ物も同じ。極端にやわらかく、噛みやすく、飲み込みやすく、甘かったり、辛かったりする。それも、できれば安い方がいい。牛丼やハンバーガーのように。
僕は、そこに一石を投じる為に現われた。
安くて、美味しくて、栄養もある。そんな料理は作れるはずだ!と。小説も、それと同じ。ただ単に読みやすいだけじゃない。そこには、様々な味がある。料理がある。もちろん、その為には食べる方も、それぞれの料理にあった“食べ方”というものを知らなければならない。小説でいえば、“読み方”を。
それでも、あるはずなんだ。誰もが読める究極の小説というモノが!
絶望から始まって、希望で終わらせる。それが、僕の人生。