設定について、調べたり考えたりする
僕は、小説を書く時に、よく設定について考える。
…とはいっても、最重要視しているわけでもない。あくまで、ストーリーやキャラクターの邪魔にならない程度に、だ。
僕が小説を書く時に、最も大切にしているのはストーリー。これを中心に物語を組み立てていく。その次に、キャラクター。ただし、作品によっては、この順番が逆になり、キャラクター中心の物語作りというのをする場合もある。登場人物を好き勝手に動かしてやり、その後からストーリーをつけ加えていくというやり方だ。
表現や設定というのは、優先順位的に、その後にくるコトが多い。
ただし、結果的にそうなっていない時もある。
最初はストーリーを中心に組み立てていったのに、終わってみればキャラクター中心の作品になってしまったとか、設定ばかりが前面に押し出てしまったとか、そういったことだ。
それはそれで悪くはない。それも1つの小説のあり方なのだから。
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話を“設定”に戻そう。
抽象的な話ばかりをしていると、わかりづらくなってしまう。なので、今回は具体例を示しながら、進めていこうと思う。
ここで、ファンタジーの世界を舞台にして物語を書き進めていくとしよう。
普通の小説家の場合、ここである種の“お約束”に則って、小説を書き進めていくと思う。
「ああ~!それは、もう決まり事だから」
「それは、そういう風にできているのだから、深い理由はないんだよ」
「昔から、そうやってみんなが使ってきた設定だから」
「ファンタジーの世界では、それはやってはいけないようになっているのよ」
と、いった感じ。
たとえば、物語が始まった直後に、主人公が街の外に出て戦う時に、ある程度、決まりきった敵が登場するようになっている。ゴブリンだとか、コボルトだとか、スライムだとか、そういった敵が。
この辺は、あまり深く考えなくても、みんなの中での“共通認識”になってしまっている。小説だけではなく、ゲームなどの影響も大きいだろう。
なので、そんなに詳細な説明なしに出してしまっている人も多いし、それで構わないと思う(ただし、この手の小説を読み慣れていない人の為に、あえて細かい描写をしてやるという手法もあるだろう)
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ここで、僕は、あえて深く考えてみる。
みんなが何気なく登場させている魔物などに関しても、一通り本やインターネットを使って、調べてみる。すると、いろいろとわかってくる。
たとえば、コボルト・ゴブリン・オークというモンスターがいる。これらを別の生き物だとしている小説やゲームは多い。けれども、それらは翻訳の違いや呼び方の違いに過ぎず、実は全く同じ生き物であるという説もある。
そもそも、それらが生き物であるのかどうかも怪しい。元は、“妖精”や“精霊”だという話。妖精や精霊は、生き物なのだろうか?では、生命の定義とは一体、何なのだろう?
と、このくらいのコトは、考えてから小説に登場させる。
もちろん、それらの説や考えを実際に小説の文章として書き記すかどうかは別の問題だ。ここまで考えた上で、小説には全然書かないというコトも多い。
ただ、こういうのは自然と文章から滲み出てくる。考えて書いている人と、考えずに書いている人では決定的な差が生まれる。すぐにはわからないかも知れない。けれども、何百ページと読み進めていれば、必ずわかってくる。
「ああ~、この人はいろいろと深く考察してから書いているな」
「こっちの人は、よく知らずに、他の小説やゲームから流用してるな」
といったようなコトが伝わってくるようになる。
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もう少し例をあげてみよう。
僕は、ファンタジーや歴史モノの小説を書く時に、“剣について”よく考える。
普通に考えて、剣を振るって敵を倒すなどというコトが、現実に可能なのだろうか?
人間が剣で巨大な魔物を斬り倒す?そもそも、何度も固い敵を斬っていたら、すぐに刃こぼれを起こして、役に立たなくなってしまうのでは?
特に日本の刀なんかは、そうだよ。西洋の剣ならば、お話は別かも。切れ味よりも、体重を乗せて重さで叩き割るという鈍器に近い使い方をするからだ。それでも、人間を遥かに凌駕した化け物を叩き斬るだなんて、現実的にあり得ないだろう。
じゃあ、ここまで考えて、現実に即した小説を書くだろうか?現実世界の物理法則に基づいた理論にのみ従って、ファンタジー小説を書き進める?
答は、否だ!
ここまで考えて、わかった上で、それでも“お約束”に従って書いている。もちろん、その方が便利だからだ。また、そうしないと、お話が進んでいかない。
なので、設定は考える。考えはするけれども、あくまでそれはストーリーやキャラクターの邪魔をしない程度にしか利用しない。
同じような問題は、いくらでもある。
トイレの問題はどうなっているのか?昔のヨーロッパみたいに、排泄物を窓から道に投げ捨てたりしているのか?それとも、もっとキチッとした下水道が完備されているのか?汲み取り車みたいなのがやって来て、持っていってくれるのか?
言葉の問題は、どうする?国によって使われている言語が違うのか?そうなると、通訳のような仕事をしている人がいる?そもそも、主人公はどうやって異国間を旅しているのに会話できるのか?そんなに語学が堪能なのだろうか?
一応、そういうコトも考える。考えはするけども、あまり小説内には登場させない。
トイレは自然に処理されてしまう。実際には、その世界には存在しないのかも知れないけれども、さも水洗便所があるかのようにふるまわせる。その部分は、文章には書かずに上手くごまかす。
言葉も世界共通。そうしないと、大変なコトになってしまう。いちいち、国ごとに使われている言語を設定しなければならないし、新しい単語だって膨大な量、考えなければならなくなる。
さすがに、そこまではやってられない!!(一部、やっている人もいるんだけど…)
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…というわけで、長くなってしまったけれども、結論!!
設定に関しては、いろいろと調べもするし、考えもする。ただし、それら全部を小説内に登場させたりはしない。あくまで利用するのは、一部だけ。それだけでも、小説に深みが増す。文章から深く考えているコトが滲み出てくる。
非現実的だったり、矛盾が生じたりしても、そこはあえてお約束に従うコトも多い。優先すべきは、ストーリーであり、キャラクターである。設定は、そこにリアリティを与える為の補足的な役割。補助に過ぎない。
それが、僕の小説の書き方。