頭で小説を書いている時は危険!
ここ何日か、ちょっとゆとりがなくなっていた。常にギリギリで戦っていた。おかげで、“頭で小説を書こう”としていた日があった。
危なかった。けれども、もう大丈夫。情熱が戻ってきた!再び、魂を込められるようになってきた!
一昨日辺りが一番危なかった。
「勇者アカサタ」で、アカサタが旅に出始めた部分。完全に頭で考えて小説を書こうとしていた。こうなったら、もう終わり。あとは、惰性で書き続けるだけ。自分でも何がおもしろいのかわからないまま、惰性で書き続ける。
それでも、枚数は増えるだろう。書くだけなら簡単。文字数を稼ぐなんて、雑作もない。ただ、質の方はダダ下がり。
それではいけない。小説というのは、ただ単に量を書けばいいというものではない。
ここが難しい所。質も上げなければならない。その上で、量も書きたい。だけど、常に両方を満たせるとは限らない。そんな時に、どうするか?どちらを犠牲にするか?
ここ何日か、量を優先し過ぎたために、質の方を失いかけていた。たくさん書くのがいけないと言っているわけではない。書けるならば、いくらでも書けばいい。ただし、そこに“魂が込められているならば!”だ。想いも何もないのに、ただ執筆量だけが増えていく状態は危険!
もちろん、頭で小説を書くのもいいだろう。技術を極めようとするのも、いい。ただし、そこには大前提がある。“魂がこもっているか?”そして“自分が書きたいモノが書けているのか?”
それなくして、理論や技術だけで小説を書こうとしてはならない。
いずれ、それは読者にも伝わる時が来る。そんなモノは、どうせ後の世には残りはしないだろう。