僕の体が、物語の中に溶けていくのがわかる
長いこと小説を書いていると、どうしても自然と“自分の型”のようなものができてしまう。
「小説とは、こういうモノであり、決してそこから外れたりなどしてはならない。決まりきった形を崩してはならない」
そんな風に考えてしまうようになる。
あるいは、自分では考えていないつもりでも、無意識の内にそう感じてしまっている。自然と、そうしてしまう。自分なりの型を作ってしまい、そこから抜け出せなくなる。
いわば、成長が止まってしまうわけだ。
そうなったら、作家としては終わり。
あとは、似たような小説を書き続けるしかなくなってしまう。目新しさなど何もない。斬新さなど1つもない。後から誕生してきた新しい作家の卵たちに追い抜かれるばかり。
だから、僕は破壊する。
そうなるのが嫌だから。自らの方法や型を破壊し続ける。そうやって、常に変化し、進化しながら生きていく。それこそが、僕の生き方。
小説に「これは、やってはならない!」などという規則はない。そんな風に語る人もいたけれど、それらはみんな過去の歴史へと埋もれていってしまった。きっと、これからもそうだろう。
自分の中にルールを作ってしまったらおしまい。そのルールの数が多ければ多いほど、それらは重く巨大な鎖となり、君らを束縛していく。
でも、今の僕はそうじゃない。小説を書いていて、それを感じる。
型があるようで、型はない。縦横無尽!自由自在!
僕の体が、物語の中に溶けていくのがわかる。そうして、物語の方から語りかけてくる。
「何をやってもいい!何でもやれ!君のやりたいコトを、やりたい方法で、やりたいようにやれ!」
そんな叫び声が聞こえてくる。
だから、僕は書き続ける。
僕にしか書けない小説を!僕にしか書けない手法で!
たとえ、それにより、プロの小説家への道が遠のいてしまうとしても。それでも。
長い長い目で見れば、それこそが“究極の小説家”への最短ルートだと知っているから…