表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

作者: DJ克明

 近頃、テレビで女性ファッションモデルを次から次と見掛けることが多くなった。この際、誰とは指名しないけれども、メディアに出てもっと売れたいモデルが多くなったことは確かなことだ。彼女たちは容姿からして、普通のアイドルやタレントより、ぐんと背が高いし、顔を見ても分かりやすい。


 少し話がそれるが、高校時代に友達と二人でよくアメリカ村へ出掛けた。私はあまり乗り気じゃなかったが、友達がどうしても行きたいということから、私も連れ出された。友人がアメリカ村へ行きたがった理由はただ一つ、そこで歩いているモデル系の女性の姿を拝みたいという、いわゆる目の保養が目的だった。アメリカ村で歩いていると、確かに180センチぐらいの長身のモデル系女がうようよいた。私はそんなふうに容姿で喜ぶ友人が不憫だったし、その友達とはもう一切、連絡も取っていない。


 それはまさにテレビのファッションモデルそのものだった。そして、話を最初に戻すが、テレビのモデル、彼女たちは服を「魅」せるために、コレクションでランウェイを歩くのだ。ちょっと待って欲しい。どうしてか今、女性モデルを論じている。私が彼女たちを論じるのはなぜだろう? 私はまた、顔に嫉妬しているのだろうか。

 彼女たちは服を引き立たせる仕事である。従って顔も美しい。ただ、私には絶対に受け入れられない何かがある。彼女たちの顔は確かに魅力がある。それは魔性と呼ばれるものかも知れない。私は自分が変態ではないとは言い難い。それは、言い切る必要性がないと言い換えてもいいだろう。私が動物である限り、変態であることは遺伝子にインプットされているのだから、逆らう方が間違っているということもできる。

 

 モデルの中にもちゃんとしっかりした人もいる。自分の美貌に自惚れずに、ただひたすら美を追求するのが自らの宿命だと考えているというような。確かに、そのような「デキ」る人もいることにはいる。しかし、私のモデルの容貌への被害妄想はどんどんと膨らみ、衰えることを知らない。

 私はそういうモデル系女がどうしたとかこうしたとか、そんな論旨もないまま、文章を書いている。ただ、真面目な女性がそういう容姿だったら、僕は引いてしまうだろうと考える。


 ところで、顔貌でその人の美しさが決められてはいけないのではないか。モテたり、モテなかったりするけど、容姿で決められるとまずい。それは私も含めて、世の中にはたくさんいるだろう。非常に難しい問題だ。けれども、非常に難しい問題だからこそ、顔貌で人間の価値を決められるとやはり、まずいのだ。心の美人は決して私を嫌ったりはしない。そういう女性が私は好きだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ