私の知ってる川じゃない
戻れた興奮と罪悪感から来る気分の落下が落ち着いたところで、周りを見回す。
ここは最初の場所だ。ワンダーランドに行く前に、白兎と会った場所。木漏れ日溢れる気持ちのいい、原っぱ? 草原? みたいな? 川もあって、花も咲いてて、ピクニックにちょうどよさそう。
自分の事を確認してみると、服はアリス装備だし、髪は銀色。見えないけど、たぶん目も青くなってるだろう。
ポケットにはちゃんとカードがケースごと入ってる。ただ、膝の傷はなくなっていた。
一回現実に戻ってリセットでもされたかな? もしくは休んでる間に回復した? そこはよくわからない。でも、まぁ……いっか。こっちの方が動きやすい。
よし、確認終了。ラビと会って確信はしてたけど、よかった。本当にアリスに戻れてる。
「……ねぇ、あなた、ゲームにクリアしないと元の世界に戻れないって言ってなかった?」
元の世界に戻っていったん思考がリセットできたから、それはそれでいい。けど、なんだか騙されていたようで腹が立つ。
思わず恨みがましい視線でラビを睨みあげてしまった。
「それは、ルール上、やってはいけないと言うことですね」
そう言ってラビは少し視線をそよがせた。でもそんなこと気にならない、重大発言にぎょっと目を見開く。
「え、ルール違反しちゃったの!?」
「そうです。最後に帽子屋が言っていたでしょう? 過半数がどうとかって。あれは私がルール違反をしてしまうとまわりが迷惑をこうむってしまうのですが、それを役付の半数以上が許可、もしくは黙認する、という意味でした。皆で私のルール違反を見逃してくれたんです」
立ち上がって私の手を取り歩き出したラビが、何故かはにかんだ。恥ずかしがる意味ぇ。
「それで、ラビは大丈夫なの? 周りへの被害は?」
「正直言って、めちゃくちゃですね。あの国が崩壊しそうですよ。ちょっと、これからどうなるかも……よく、わからないです」
「それ……大丈夫じゃないわね。あれ? でも、ルール違反したら透明人間みたいになるんじゃなかったの?」
「あぁ、一気に役付の半分がルール違反に賛成したようなものですから、世界に負荷がかかりすぎたのでしょうね。処理しきれない、みたいなものでしょうか」
世界規模でぶっ壊れかけてないか? これもう、あの、やばい(語彙力
「まぁ、気にしないでください。『アリス』が戻ってきましたから、少しはましになるでしょう」
少しか……しかもましって、それよくなってなくない? だめくない?
まぁ、もうどうしようもないし、そっちの方は諦めよう。どうせルールと言われても、部外者の私にはあまり理解できないし。
「それで、ここ何処? あの国にこんなところあった?」
きょろきょろとあたりを見回しても、見知った景色は見られない。結構いろんなところに行ったと思ってたけど、まだ見ぬ景色は多いらしい。
最初の時に見ただけだったしな……あ、でもその後ウサギ穴に落ちたんだっけ? じゃあここ何処よ?
「……」
何も言わないラビをおかしく思って、見上げてみると、何故か視線を泳がせていた。
「ラビ?」
「……あの、意識的にこっちに来たのなら察しているかもしれませんが、ここ、あなたの国で言う三途の川なんです……」
…………はい?
「三途の川? 三途の川って、あの三途の川?」
渡ったら死ぬと噂のあの川? 川の向こうで死んだばあちゃんが手を振ってたりする、あの川?
「たぶん、その認識で間違いないかと……。あの川を渡ったら、死にます。近づかないでくださいね」
きれーい、きもちよさそー、とか思ってた川が、想像以上の劇物で思わずラビを盾にした。
ワタシワルクナイよね?
「ちょっと!? 聞いてないわよ!?」
「アリスの条件として、死にかけの人間、っていうのがありまして……まぁ、そう言うことです」
どういうことよ!?
「渡らなければ害はないですから……あぁ、でも、あの国で死んだら強制的に対岸にいきつきますのでご注意を」
もうヤダこのワンダーランド。いや、ここまだワンダーランドじゃないのか……。
「早く行きましょう」
「えぇ、では、落ちましょうアリス。今度はすぐに来てくださいね」
そうして二人でウサギ穴に飛び込んだ。
手をつないで落ちたと思ったけど、謎の小部屋に来たのは私だけ。薬飲んだり、鍵を取ったり、ねぇ、この手続き要る? もう入ったことあるんだし、この仕掛け要らなくない?
まぁ、ツッコむ人もいないからやるけどさ。
なんだかんだして扉を出た先には、花畑? みたいな。
喋る花がこっちを見て、一気にざわつき始める。
「あら、アリス? 戻ってきたの?」
「いやぁね、あのアリスは逃げたのよ」
「でも、アリスよ。ねぇ、アリスだわ」
「きっと違うわよ」
前は急にアリスと呼ばれて、ビビって逃げ出した。……そう言えば、どうしてあそこまで拒否反応があったんだろう? その記憶も、取り戻さないと。
でも今は……、怯えることなく花を見回す。
「いいえ。アリスよ。戻ってきたの。白兎はどこ?」
最初に逃げ出したのを覚えていたのか、花たちは話しかけられたことに驚いているようだ。周りの花と目を合わせて、それからおずおずと言った感じで葉っぱで方向を指し示す。
「あっちよ。今日は珍しく時計じゃなくて、周りを気にしているみたい」
「早く行ってあげてちょうだいね」
「ありがとう」
……あれ? 花って動けないよね? どうしてラビの様子がわかるんだ? 植物ネットワークかしら? すごーい。
お礼を言ってそっちの方に走り出す。
あ、体が軽い。そうか、ゲームのアバターがもとになってるから、身体能力もそれなりなのかな? じゃなきゃ飛び蹴りなんてできないだろうしね。現実の運動不足をなめるなよ。
適当にダッシュすること数分、赤い服の青年を発見。
って、うん?
「ジャ、ック……?」
茶色い髪、真っ赤なコート、丸太に座ってる後ろ姿は、完全にジャックだった。
ヤバい、まずい、なんでここに? ラビは? 私のこと逃がしてくれはしたけど、ジャックすごい怒ってたわよね? どうしよう。声をかけるべき? なんて?
あぁぁあああああ、色々心の準備が……とか言ってられる身分でないのは重々承知だけど、急に来られるとやっぱパニックになってしまう。
どうしようどうしよう!?
「……あんたさぁ、本当にそれで双子のゲーム一発クリアなの?」
響いた声はジャックよりも、若い? 高い? そんな感じ。
呆れたようなその声を、私は聞いたことがある。ジャックじゃなくて、あぁ、そうだ。
「チェシャ猫?」
答えを言うと、ジャックっぽい人が立ち上がって、黄金の瞳で私を見つめる。
チェシャ猫だ。正体がわかってみると、全然違う。背丈は頭一つ以上違うし、もっともっと華奢だ。髪は茶色く染められてるけど、ジャックの方がもっと短いし……。本当、何で見間違えたんだろうってくらい。
「そうだよ。あんた、惑わされやすすぎ。ちょっと気をつけなよ」
「ご、ごめん……?」
ぶかぶかのジャックのコートを半分脱いで、腕に引っ掛けるようにしたチェシャ猫。下は黒いタンクトップで、肩口に包帯が巻いてあった。ふざけてる着方ではあるけど、表情と声は真剣っぽい。
説教に思わず肩を竦めるけど、そんな場合じゃないのを思い出す。
「あ、ねえ! トカゲさんどうなったの!? 見つかった? 大丈夫なの!? てか、あなたも怪我してるみたいだし、あのあと何があったわけ!?」
「……」
すっと目を細めて、濃くなった黄金が私を見つめる。品定めでもされてる気分でちょっと不気味だけど、目を逸らせない。下に見られすぎると、困るから。非協力的なのは仕方ないけど、敵対されるのはもっと困る。
だから目を逸らして逃げ出したなんて思わせられない。さらに弱者だって、貶めさせられない。
私は戻ってきた。今度こそちゃんとやり直すために戻ってきた。だから決意を込めてチェシャ猫を見返す。
「ふぅん。また、変わったね」
茶色く染めたつんつん髪にうまく隠されてた猫耳が、一回ピクリと震えた。
「……一応、礼を言っとくよ。あんがと。あんたがちゃんと足止めしてくれたおかげで、ビルのこと助けられた」
その言葉に思わず目を見開いた。
レイ? あんがと? それってお礼ってこと?
チェシャ猫が? あの怒り狂ってたチェシャ猫が? 私に? お礼??
あまりの驚きに、口までぽかんと開いてしまう。
それを見たチェシャ猫が、苛立たしそうにぴしゃりと尾を打った。長いコートに隠してたみたいだけど、今は窮屈そうに垂れている。
「なんだよ! 本当は俺だって言いたきゃねぇんだよ! でもビルがあんたに感謝してんだ。だから俺が言わないわけにいかないだろ!?」
その理屈はちょっとよくわからなかったけど、裏があると聞いて安心した。うん、トカゲさんのためか。なら納得。
「あんた、足止めも途中でやめたらしいし? 結局人の手を借りたんだから、あんたのお手柄とははっきり言いにくいしな」
チクリと刺してくるチェシャ猫に、ちょっと傷つく。そんな資格はないかもだけど、その言葉は真実だけど、でもちょっとは頑張ったんだよ、とは言いたい。
でもいいの。今度こそ、やり直すから。もっと胸張れるようにするから。だから、今はそこまで傷ついていられない。
「いいわ。わかった。……それで、ラビは? 私まだそこまで現状把握してないんだけど」
「あぁ、さっき追っ払ったからさ、もうすぐ来るんじゃない? ちょっと席外してって言っただけだし」
「……なんで?」
「……うるさいな」
疑問に思ったから聞いただけなのに、チェシャ猫は気分を害したようだ。むっと口をとがらせて、そっぽを向いてしまう。
えー、なんでよ。
「もう少し待ってろよ。そしたらあいつに話聞けば?」
「そう……」
よくわからないけど、嫌な沈黙の中でラビを待つことになった。チェシャ猫は私と話したくないのか、状況説明をしてくれそうにない。
……早く戻って来てよぉ……。




