ウサギ穴に飛び込んで
錆の浮かんだ外階段を、裸足で駆けのぼる。
足がもつれて何度も躓いた。足が持ち上がらずに、何度も上の段にぶつかった。
それでも足は止めなかった。
錆びて浮き上がってきた塗装部分とか、砂利とかなんやかんやで足は血だらけになっている。
それでも足は止めなかった。
呼吸が乱れて、吸うのも吐くのも満足にできなくなってきた。胸が焼けるように熱くて、口の中、血の味しかしない。
それでも足は止めなかった。
止めずに、目的のビル、三階くらいの手すりから身を乗り出して、下を見る。
体が重たくて、このまま落ちてしまいそうだったけど、力の入らない足で踏ん張った。
ここはどう? 落ちたら死んじゃうかしら? 死んじゃったら、ワンダーランドに行く前にゴートゥーヘルしちゃわない? 大丈夫?
人間ってどのくらいの高さから落ちたら死ぬの? あ、でも、打ち所が悪かったら地上でも死ぬわよね。
なら、すべては運次第? もう、考えるのはやめて、飛んじゃおうかな……。
あぁ、だめだ、その前に、お父さんが心配しちゃう。自殺だって思っちゃう。
置手紙、置手紙みたいな……急に飛び出したから何も持ってない。現代人が手放せなくなってきてるケータイでさえ、今はない。
紙もペンもないし、書くものがない。
いったん帰ったらもう出てこられなそうだし、通りがかりの人とかにも借りられそうもない。
……あ、血文字? 逆に心配されないか? あー、でも、これくらいしかないわ。
血だらけの足に指をつけて、白い壁になすりつけて線をかく。
血だらけって言っても、ドクドク流れてるわけじゃないし、インクが足りない。しかも粘度が高いのか、うまく伸びなくて書きづらい。
もうこれいっそ指切ったほうが書きやすいんじゃ……待て待て私、早まるな。痛いのは嫌だし、さすがにスプラッタ過ぎないか? まぁ、今更感あるけども!
あ、そうだ。石拾って、壁傷つければ線書けないかしら? ……できるじゃん! なんだよ早く思いついてよ! 無駄に血で汚しちゃったじゃない!
……あれ? 廃ビルとはいってもこんなにめちゃくちゃやって大丈夫? 大丈夫じゃない、問題だわ! うぅん、でも落書きとかしてあるくらいだし、私だけつかまったりしないわよね! 許してね!!
絶賛思考能力低下中の私は、自棄になって壁に石でメッセージを書いていく。
『お父さん、私、ちょっと姉さんにあってくるわ。でも戻ってくるから心配しないでね。絶対、約束するわ。またね』
最後に名前を書きたかったけど、難しかった。記憶に残らないから、手のひらに書いてあるとはいえ、写すのが難しい。その文字の形さえしっかりとは理解できないものだから。
とりあえず掌を視界に入れながら、何とか書いてみたけど、これで合ってるかわからない。これでお父さんに伝わらなかったら草生えるわ。
……これで死んじゃったら、大草原不可避……いや、笑えないわよ!?
えぇい、ままよ!!
思い切って手すりを飛び越え、よう、として、手すりに足が引っ掛かり、空中でこけた。バランスを崩して、そのまま頭から落ちる。無様……じゃなくて!!
「ぎゃぁぁああああ!?」
ちょっと想像と違った。地面を直視してしまって、ギュッと目をつぶる。
待って待って待って!! これシャレになんなくない!!??
あかん、しんだ。
「どうして、ですか……アリス」
耳元で声がした。
温かな感触に、力強く包まれているのを感じて、恐る恐る目を開ける。
真っ赤に潤んだルビーの瞳と目が合った。
「ラビ……」
体中から力が抜けた。恐怖に緊張したのが緩んで、呆然としてしまう。
あ、ちゃんと足を下にして重力が働いてる気分がする。これで頭からぐちゃっとなるのは回避できた、の?
ラビがいるし、成功、でいいのよね?
「もう、死んじゃったらどうするつもりだったんですか!?」
思い切り焦った顔で、ラビがそう叱ってくる。顔色は悪いし、耳は千切れてギザギザだし、というか薄汚れてる感じがするし、よれよれ。
私が飛び降りしたのが原因ではないだろうけど、追い打ちしたみたいで申し訳なくなる。
「死なないって、思ったのよ。白兎が待ってるって、聞いたもの。でも、あなた、最初に会ったときは遅刻気味だったし……間に合ってよかったわ、今回は?」
そういって茶化して笑う私を見て、ラビは思い切り顔をくしゃりとさせた。涙が次々零れ落ちて、私に抱き着くように密着する。
「……えぇ、待ってました。自分で逃がしたのに、助けに来てほしいと、願ってしまったんです。ごめんなさい、ごめんなさい」
子供みたいに体を丸めてなく白兎に……思い切り頭突きをかましてやる。そう、思いっきり!
「うぉら!」
「いぁ゛っ!?」
あ、頭突き、結構痛い。まぁ、地面に頭突きするよりはマシかしら?
「い、いきなり何するんですか、アリス!?」
「涙は止まったかしら?」
「そ、そうですね?」
きょとんとして、おろおろしてるラビに向かって、思い切り抱きついた。口の端が自然と持ち上がる。
「戻ってきたわよ!! 私は、戻ってきたの!!」
「アリス?」
「約束を果たしに、皆のために、姉さんのために、戻ってきたのよ!!」
「……アリス」
「私で役に立つなら、何でもするわ。ラビ、あなたのためにも、何でもする」
「……」
ラビの顔がさらに歪み、抱きしめていた私をそっと放して膝をついた。
「アリス、アリス……お願いします。助けてください。償いは、必ずします。ですから、どうか……!!」
「償いは、私がするのよ。私が姉さんを殺してしまったのに、あなたたちを巻き込んでしまってごめんなさい」
私もラビと同じように膝をつく。下は綺麗な芝生だった。
「いいえ、いいえ。アリスは、あなたたちは悪くないのです。私たちが……」
「……じゃあ、私も譲れないけど、あなたも譲れなそうだから、こういうわね」
ラビのウサ耳を撫でて、自分を責め始める前に意識をこちらに向ける。
……よくよく考えれば普通にイケメンな青年なんだけど、よく泣くし、ウサ耳だし、真っ赤な目が可愛いし、小動物に見えてくるから不思議。まぁ、そうじゃなかったら、簡単に頭とか撫でられないし、結果おーらい的な。
うん、小動物とか思ってるけど、最初は苛立ちが大きくて、いじめてごめん。でももう今は、申し訳なさと、罪悪感が勝ってる。
私を逃がしたわけだし、エースよりは、悪くないと思う。許せないけど、私のせいでもあるから、ごめんなさい。
「ねぇ、ラビ。一緒に姉さんに償いましょう? 前のアリスに、償いましょう?」
今の私は笑ってるだろうか。泣きそうだろうか。それとも無表情?
姉さんについて、考えが纏まらないけれど、それでもやることはもう決まってる。
「……はい、アリス。まず先に、前のアリスへ償いを」
あぁ、きっとこの顔だ。諦めたように死んだ目で笑うラビを見て、私もこの表情をしてると思った。
大丈夫。やるって決めたもの。償えるわ。償うしかないんだもの。『できる』じゃないの、『やる』のよ。
色々言いたいことはあるし、やりたいことはあるだろうけど、二人とも、全部飲み込んで笑ってみる。
最初の目標は姉さんへの償いよ。トカゲさんにも償わないと。グレイの約束を果たさないと。
でもね、私の一番は姉さんなの。だからごめんなさいね、皆。




