一番アリス
記憶の映像から覚めたと思ったけれど、ぼんやりと思考がはっきりしない。
夢の中を歩く様なふわふわ感の中、温かくて小さな手に引かれて私は歩いていた。
「あ、りす……お目覚め?」
ネネの声がする。重たい体は、口を開くのにも不自由した。
返事の代わりにネネの小さな手をきゅっと握る。
「……ん。まだ、ここは、夢の中……。今、《帽子屋》のとこに、おくる……ね?」
送るってなんだろう? と思ったけど、質問すらできない。眠いってわけじゃないのに、ぼんやりする。
上がりきらない瞼が、さらに下がってきた。
「もう少し、おやすみ……?」
しばらくすると、今度ははっきりと目が開いた。
知ってる場所じゃない。でも、なんか図書館に似てる。視界を埋め尽くす本棚と、そこに収まる大量の本。いや、あふれかえっている本。収まりきらない本は、床に、本棚の上に、空中に、とっ散らかっていた。
……空中?
「やぁ、アリス。おやすみかい?」
後ろから声をかけられる。ちょっと日常会話じゃ使われないような声のかけられ方だ。
「えと、グレイ? ここはどこかしら?」
空中に投げ出された本を手にとって、グレイは私に向かってほほ笑んだ。いつも目深にかぶっている帽子がないので、はっきりとその表情が読める。
ちょっと、悲しげな笑顔?
「ここは私の夢の中、かな? まぁ、私、というよりは《帽子屋》の、だけれど」
グレイは取った本をぺらぺらとめくり、飽きたかのように放り投げる。すると本は元の通りに空中を漂った。
……うん、確かに空中に本が浮かんでるのは非常識。夢と言ったらそれっぽい。
でもなー、そうでなくともワンダーランド補正かかってるし、別に夢じゃなくてももうでどうでもいいかって感じなんだけれども。
あ、でもこの世界そのものが夢? とか言ってたような、違うっけ? まぁ、なんでもいいや。
「ネネはね、夢を操れるんだ。それがあの子の能力だよ」
夢を操るとはこれいかに?
「私と君の夢をつないでもらった。それと、すまない。君の記憶ものぞかせてもらったよ」
グレイのその言葉でぞくっとする。
あ、そうだ。私は思い出した。私がやった、忘れちゃいけないこと。
「グレイ、グレイ! 絶対、ダメよ? お姉さん殺しちゃ、ダメよ!? だって……!!」
「あぁ、わかっているよ。でもね、アリス。私はもう覚悟を決めていてね。その罪を背負う覚悟を、さ。……自分が苦しんでも、優しかった姉が苦しむ姿を見ていられないんだ。ごめんね」
グレイが私に近づいて、慰めるように頭をポンポンと撫でる。それとハンカチを出して私の頬をぬぐった。
涙が次々にあふれてた。気が付かなかった。止められない。もうヤダ。頭がおかしくなりそうに、痛い。辛い。悲しい。
「すまない。君がそんなこと経験しているなんて、思ってなかったんだ。いや、知ってたとしても、私は君に姉を殺すと言うけれど、でも、すまない……。苦しめたかったわけじゃない。許してくれとは言わないよ」
なんだ。この人、意外と、優しい。
「バカね。私約束したわ。ね、殺させない、ハッピーエンド、見つけましょう。私になっちゃだめよ、グレイ。私がぶち壊しちゃったエンド、あなたが見つけてね」
ぐちゃぐちゃになった頭で、精一杯に笑顔を作る。姉さんは、笑顔をほめてくれた。笑う門には福来るって、よく言ってた。
だから笑う。ハッピーエンドが見つかれ! って、願いを込めて笑ってやった。
「……うん、ありがとうアリス。私も頑張るよ。君が頑張ってくれるなら、私も負けないようにしなくては」
グレイもやさしく笑ってくれた。仮面じゃなくて、狂気じゃなくて、本当に、普通の笑顔。
あったかい。
「それじゃあ、ほら、涙を拭いて。いくら夢の中でも、そんなに泣いたら目がはれてしまうよ?」
そうやっておどけて、グレイは私にハンカチを押し付けた。
すぐに泣きやめそうにもないけど、とりあえずグイッと涙をぬぐう。鼻を啜りあげて、顔を上げた。
「よし、行こう。もう少し奥に目的の本があるんだ」
私の手を取って、グレイが歩き始めた。
ネネとは違って、大きい手が私の手を包む。手袋越しの体温を感じた。ぎゅっと握ると、握り返してくれる。
なんか、守られてるみたいな安心感。……少しほっと気持ちが緩む。と、同時に罪悪感。
ごめんなさい、姉さん。現実に戻ったら、ちゃんと償うから、今だけは少し見逃して。ごめんなさい、ごめんなさい。
そんな気持ちが伝わったのか、グレイがきゅっと私の手を握った。
……こっちを見てすらいなかったけど、顔バレじゃないよね? 雰囲気? 私の心の防御力皆無かしら?
完全に涙がひいたけど、グレイはまだ歩き続けた。景色は変わらず、本本本。
「……ねぇ、グレイ?」
「なんだい?」
「ここってあなたの夢、なのよね?」
んー、夢は深層心理? グレイの心は本だらけ? なんかの暗示?
「そうだよ。……あぁ、言ってなかったね。《帽子屋》は、すべてのゲームの記憶を保有しているんだ。この本は、すべて私の記憶だね」
……わっつ?
「私たち《帽子屋》は、他の《帽子屋》の記憶も継続できる、と言えばいいのかな? 最初から、今の私まで、《帽子屋》の記憶はすべて私の中に」
最初から……って、うん?
「《帽子屋》は必ずゲームに参加した。《帽子屋》のいないゲームはなかった。《帽子屋》が死ねば次の《帽子屋》が生まれて、《帽子屋》という役が途切れたことはない。そして私たちはゲームを必ず記憶する。そういう役だ」
死んだ瞬間に次の《帽子屋》が生まれる……つまり、帽子屋は生まれつきの役ってこと? しかも記憶がある……ってことは、転生、みたいな?
「あれ? でもそしたらまだ赤ん坊とかのときはどうするの? そういう時はゲームが起こらないの?」
「いや、起きるよ。でも……そうだな、私が泣かない赤子だった話はしたね? つまり、思考能力は生まれた時から大人と同じってことだ。まぁ、生まれたばかりは体が動きづらいから、その辺はいろいろ……あれだ、ワンダーランド補正がかかるんだけどね」
わぉ、便利な言葉、ワンダーランド。
「一番幼い時で……一歳半くらいかな、参加した記憶があったと思う……」
「一歳半!?」
それってどのくらい? 喋れない、よね? 立てない、よね? え、よく知らないけど、ゲームに参加できるの?
「その時はちゃんと保護されていたようだから、補助役がいたはずだよ。……いや、さすがに記憶が膨大でね、すぐに見つからないけど、たぶんそんな感じだったと思う。それはさすがに珍しい事例だったから、多少引っかかっただけで」
帽子屋スゲー。
いや、その時の帽子屋がすごかったのかな? ……てか、記憶を共有してるわけだから、グレイがすごいってこと?
「グレイはグレイなの? 帽子屋が、グレイなの?」
おう、なんだかよくわからなくなってきたけど、グレイはちゃんと答えてくれた。
「ん? ……あぁ、いや、私たちは記憶は同じくしているけれど、生活環境まで同じではないからね。その時々で性格も変わるよ。私は私だね。この辺の事は、他人にはわかりづらいようだけれど……あぁ、わかりやすい例えでいえば本かな。本を読んで知識を得るだろうけど、自分がその人になるわけではない、という感じだ?」
うーん、わかるようなわからないような? けど、なんとなく、雰囲気で伝わってくるかも知れなくもなくもなくも……?
いいや、グレイはグレイね。難しいことは考えなくて良さそう。
「さ、そろそろ着くよ。どうしても底に沈んでしまうから、ここまで来るのが大変だったけれど……」
「どこに向かってたの?」
「一番目の記憶。今までのアリスの中で、もっとも純粋で夢あふれていた、そして、ちゃんと現実へ帰って行った一番目のアリスの所だよ」




