壊れたガラス玉
目が覚めたら、すっかり辺りは明るくなってた。……もうお昼?
城とは違う、落ち着いた配色の部屋。ベッドも、フカフカなのは変わらないけど、少し小さめ。というか、城のベッドが無駄に広いってだけね。
うん、帽子屋邸に連れてこられたのはちゃんと覚えてる。だからここは帽子屋邸。えっと、お風呂で寝ちゃったんだっけか? ミカが痛そうな顔して足を洗ってくれた……。
服はミカのなんだろうか? シャツっぽいワンピースに着替えさせられていて、リボンとかもまとめてベッド横のテーブルに畳まれて置いてある。ありがたや。
怪我は大きめのガーゼにおおわれていて、寝ててもベッドが汚れなくて済んだ。……後でミカに手当のお礼しないと。
……あぁー、本当に、これからどうしようかしら。エースから逃げて、どう……てか、ちゃんと逃げられてんのかしらね? 異世界人の私が行ける場所なんて限られてるし、エースならとっくに潜伏場所発見してそうだけど。
いや、ジャックもいるわ。エースなら、なんか……ひそかに監視しそうだけど、ジャックは心配で突撃! みたいなことになりそう。……ならない? 能天気そうに見えて、まともなとこあるし、大丈夫かしら?
でもずっとここにいるわけにはいかないわよね。ジャックのカードも貰わないといけないんだし。
ツラ……。何も考えたくないけど、ゲームしないと……。めちゃツラ……。
とりあえず着替えよう。それからミカ探して、お礼言って……それからグレイに、長期で泊めてもらえるようにお願いでもしようかしら。
私がリビングを目指して部屋の扉を開けると、すぐ横にネネが座り込んでいた。
「あ、りす……おはよう……」
膝を抱え込んでいた小さな男の子は、驚いた様子もなく私を見上げた。そして少し泣きそうな顔をして、挨拶をする。
可愛いけど、なんでそんな顔するの? 意味わかんないわ。
「おはようネネ。ずっとここにいたの? 寒いでしょ?」
「別に、へい、き……」
そういうとネネは立ち上がって、お尻のあたりを叩いた。結構な量の埃が舞う。
なんかこの家、部屋の中はそこそこ綺麗になってるけど、なぜか廊下には埃が薄く積もっている。しかも壁紙が破れてたりもする。廊下だけまったく掃除をしていないようで、どうしてここまで差がついているか謎。もしかしたら使っていない部屋も汚れているのかもしれないけど、廊下は絶対使うよね? なんで?
「アリス、下行こう。お昼には遅れちゃったけど、もうすぐ起きると思って軽食用意してあるから」
ネネが私の手を握って歩き出す。有無を言わせない口調だった。
あれ? いつも眠そうなのに、どうして?
そっと手を引き寄せようとしたけれど、どうしてかあまり手が動かない。無理やり手を放す理由もないから、諦める。気のせいだって思う。寝起きで、ご飯も食べてないから力が出ないだけよね。
……ネネが、チェシャ猫相手にも引き下がらなくても大丈夫なほど強いなんて、嘘よね?
チェシャ猫と対峙して一歩も引かないどころか、余裕を感じさせた、あの時のネネの姿を思い出してうすら寒くなる。
あ、そういえば、この子も怖い子なんだっけ……?
「……アリスには、痛いことしないよ」
階段を下りて、玄関から外に出て、庭に回っている時に、ネネがこちらを振り返らずにそう言った。
「ごめんね。怖かったね。でも、アリスは僕が守るから、だからき……怖がらなくても、大丈夫……」
何を言いかけたんだろう。わからない。
けど、声が震えてる。泣きそう? つないだ手にも、力がこもった。
「グレイが何を言っても、もう決めたの。僕はちゃんと、アリスを守るよ。……それだけは許して」
許す? なんで許すの? 私が?
守ってくれなくてもいい。守られちゃダメだと思うし。だから? だから私に許可を求めるの?
よく、わからない……。
何も言わない私の事をどう思ったのかわからないけど、ネネはそれ以上何も言わなかった。ただ、手を一回だけきゅっと握って、そして放した。
いつのまにか、いつものお茶会の場所についていた。芝生の上に直接置かれたテーブルとイス。テーブルの上には何人分なのか知らないけど、乱雑にティーポットやカップ、お菓子たちが並べられている。
椅子の一つに、この屋敷の主人が座っていた。
「アリス、待っていたよ。気分はどうかな?」
ミカの姿はない。ネネも、私から少し距離を取った。
なんだろう、一対一で話せ、とでも言われている気がする。仕方ない。そのまま進んで、グレイの近くに立った。
「そこに座ってくれ。ミカが今サンドウィッチを持ってきてくれるからね。ふふ、サンドウィッチに合う茶葉はどれだったかな……」
グレイが近くに置かれていたワゴンに近寄る。どうもそこには小さなコンロのような物や、たくさんの紅茶のカンが置かれているようだった。……こだわりの装備品ね?
しばらく沈黙が流れる。お湯が沸く音、茶器がたてる音、風の音、鳥の鳴き声、それくらいしか聞こえない。
グレイの後ろに立ったネネは、影のように息を潜めている。眠っているのかと思うけど、微動だにしないから違う。うっすらと視線も感じた。感情を感じない、冷ややかな視線……。
本当にネネ? 可愛くて、無邪気になついてくれて、ほわほわ眠そうなネネはどこ?
「おはよう、アリス。よく眠れたか?」
後ろから声が聞こえた。何も気が付かなかった。
驚いて後ろを振り返ると、ミカがサンドウィッチの乗った皿を持って立っていた。
顔は笑ってたけど、何か、いつもと違う。変に透明感があると言うか、温度がないと言うか……うすら寒いものを感じて背筋がゾクリとした。
何? 不安。怖い。何なの?
「傷が痛むか? 傷口に泥とか入ってたから、一応しっかり処置したつもりなんだが……」
眉を寄せて、耳を垂らして、悲しそうな表情はいつも通り。いつも通り過ぎて、余計なんなのかわからなくなる。
「別、に……」
日常が崩れて言ってる気持ちがするのに、どうしても何かわからないそわそわ感を味わいながら、私は何とかその言葉だけを押し出した。
「あぁ、ちょうどよかったね。今お茶が入ったところだよ。アリス、どうぞ」
目の前にサンドウィッチの皿と一緒に紅茶が置かれる。おいしそうなサンドウィッチと、優しい香りの紅茶を目の前に、私の中で色彩が消えていくようだった。
とてもじゃないが食欲が起きない。銃突きつけられながら食べられる? 無理でしょ? そんな感じよ。
「ねぇ……なんなの? 何か起きてんの……?」
ネネと同じようにミカがグレイの後ろに立ったから、そう聞いてみる。
「何って、なんだい?」
クスッと笑ってグレイはそう答える。
どことなくおかしい二人より、いつも通り過ぎてグレイが一番ヤバい気がする。大丈夫かな? 私。
「……じっと見られてちゃ、食べる気なんて起きないんだけど?」
「それもそうだね。二人をどこかへやるかい?」
「そうじゃなくて、何がしたいの?」
「……」
グレイが笑みを収めて、背筋を伸ばす。ミカの方に、振り返らずに手を差し出した。
ミカはその手にトランプだと思われる紙の束を置く。
「大変、困った事態になった……」
トランプを切りながらグレイは話し始めた。その間にミカとネネが私たちの目の前のテーブルをか片付ける。ただ、サンドウィッチの皿は私の横に置いたままだった。
いつでも食べられるようにかな? 確かにね。少しくらくらしちゃうくらいだし、食べた方がいいんだろうけど……今は無理。ごめんよミカ……。
「こんなことになるとは思ってなかったんだ。チェシャ猫の行動なんて、少し考えればわかることだったのに……ないがしろにしてしまった」
シャッシャッシャ、とカードがこすれる音が響く。リズミカルに滑るカードを見ていると、なんだか落ち着いた。
「だからこちらも急いで話を詰めないといけなくてね……昨日の今日で済まないが、少し、ゲームをしないかい?」
カードを切るために下を向いていたグレイが、ふと顔をあげる。
見えないはずの瞳が煌めいたような気がした……。




