血の落とし方
お茶を飲んで待っている時、チェシャ猫がふと気が付いたように帽子を取り出した。
「あの、帽子屋さん……」
「なんだい?」
「これ、血の落とし方、分かる……?」
トカゲさんのキャスケットを取り出して、グレイにみせた。半分以上が赤黒く染まってしまっていて、元の状態に戻すのは不可能に思えた。
「……ごめん、帽子屋は役職名だから、私自身そこまで帽子に詳しくは……」
グレイはすまなさそうに顔を伏せる。
「そ、っか……」
私より少し年上くらいだろうと思えるチェシャ猫は、今はまた泣かないようにと幼子のように体を縮めた。
「ふむ。だが……そうだね、いろいろ調べてみることにしよう。チェシャ猫、それを少しあずからせてくれるかい?」
「……お願い、します」
消え入りそうな声でチェシャ猫はグレイに帽子を託した。渡す手が震えていたのは、まぁ、気が付かなかったことにしよう。
「本職の帽子屋に伝手は……ないこともないか? うん。明日には知らせられるように頑張るよ」
「あ、ありがと……」
とりあえず努力はできそうで安心した。生きてるんだもん。返さないと。なら、綺麗な方がいいもんね。
とりあえずそれで一件落着的な空気が流れて、無言のままお茶をすする。お茶を丁度飲み終わったか、という時に扉が開いてミカが現れた。
「風呂あがったぞ~……って、アリス!? てか、てめっ、チェシャ猫!?」
うん、うん……帰ったはずの私が何故かここにいて、襲ってきたチェシャ猫と一緒にお茶してるって……意味わかんないよね。
驚きの余りミカは口をあんぐり開けて、固まってしまっている。なんか、すまんかった。
ホカホカ湯気を立てるミカは、シャツワンピースのようなパジャマっぽいものを着て、首にはタオルをかけている。若干手が腰に伸びているように見えるのは、たぶん銃を抜こうとしたのかな? でも風呂上がりだから無くて困ってる感ある。
「お邪魔してます」
「お、おう……じゃなくて!! なんであんたがここにいるんだ!? 城に帰ったはずじゃ……」
「エースと喧嘩したの」
本当はそんなかわいらしい理由じゃないけど、まぁ、間違いでもないと思う。いいよね、面倒だから説明省いたって。わかるよね? その場にいたはずなんだから?
「うっ……で、でも、チェシャ猫はなんなんだよ?」
私の説明に納得しかけたものの、チェシャ猫の存在を思い出したのか、睨み付ける。
「アズールに連れてけって頼まれたの。じゃなきゃこんなのと一緒にいないよ。……まだ許したわけじゃぁないんだから」
隣から一瞬冷気が立ち上る。知ってるわ。改めてそんな目で見ないでよ。知ってるけど、怖いのよ? 心臓が縮みそうだわ。
「おい……?」
チェシャ猫につられたのか、ミカからもちょっと寒気が漂う。おかしいなー、兎ってどっちかというと捕食される方な気がするんだけどなー。ミカは猛獣の方だよねー……。
うっかりすると息するのまで忘れそう。怖い。
「こらこら二人とも、アリスが怯えるからね、止めようか?」
年上の威厳的な何かなのか、普通に力関係のアレなのか、グレイが二人を黙らせてくれた。黙らせるって言うか……チェシャ猫はやる気がそがれたみたいに視線をそらして、ミカは寒気を出した原因がなくなったからやめたって感じだけど。
「ミカ、すまないがアリスが怪我をしているようでね。お風呂上りすぐで悪いんだが、洗ってきてあげてくれないかい?」
「え、怪我ぁ!? 大丈夫なのか!?」
ミカが慌てて私の顔を覗き込む。
あぁ、うん、全力で心配してますって顔。なんか、もやもやするの。ごめんね。私にそんな顔する必要なんてないのよ、大丈夫。
「大丈夫。擦りむいただけだし。唾つけときゃ治るわ」
「擦りむいた? 転んだのか? 膝か? ……こりゃまた……」
ミカが私のスカートをめくって、傷を見て眉をしかめる。
いや、まぁ、いいけどさ? けどさ? 頬杖ついてたグレイが、思いっきりガクってなったよ? 大丈夫?
「ミカ……」
「あ? あぁ! 早く手当しないとな! 風呂場行こうぜ?」
「うーん……いや、いい。早く行ってやってくれ」
なんか複雑そうな顔してますよグレイさん? 言いたいことあるなら言った方がいいんじゃないですか?
貴方の部下、躊躇せずにスカートめくりましたよ? いいんですか?
「おう!」
あらまぁ、いいお返事。私の意見は聞かないですか?
ミカが私を抱き上げて、そのまま連行する。急に抱き上げないでほしい。びびる。
「あ、ちょっとまって」
「ん?」
部屋を出る寸前にあることに気が付いた。慌ててミカに待ってもらう。
「ねぇ、チェシャ猫」
ミカの肩越しに後ろを覗き込んで呼びかける。
「……」
呼びかけられた相手は冷たい視線で返してくれた。
ミカは仕方なさそうに、体をチェシャ猫の方に向けてくれる。さすがにあのままで会話は、首が痛そうだったから助かった。
「私マリーさんに言われたの。宿題ですって。あんたになんて声かけるか」
自殺でもしそうなあんたに、なんて声をかけるか。生きる気力を持たせるための言葉。
「……」
「だから私こう言おうと思ってたのよ。私に復讐でもすれば? って」
冷たい視線が、熱を持つ。真っ赤に焼けた鉄みたいに、私を焼こうと貫いていく。
「でもね、止めた」
チェシャ猫の後ろのグレイが、そっと体を起こすのが見えた。口元の笑みが深まっている。
「私、今ならあんたにこう言うわ。あんたが死んだら……トカゲさんも死ぬわよ?」
「……?」
チェシャ猫の目が開かれる。瞳は針みたいに細まって、驚いたことを素直に伝えてきた。
「だってそうじゃない? エースが絡んでるんでしょ? だったら城関係のごたごたでしょ? そしたら今捕まってる場所って、城とかそんなとこなんじゃない? 脱獄なんて不可能レベル?」
普通に暮らしててもよく兵士さんを見る。しかも一人一人ちゃんと強いわけ。たぶんね。私は素人だし、ちょっと稽古覗いたくらいだから何とも言えないけど、すごい!! って感じだったもの。
城じゃなくても、そのレベルの強さの人が守ってる牢獄とかにいるはずじゃない? そんなの、脱獄なんて無理ゲーよね?
それを可能にしたいなら、それこそ弱いカードでもなんでも必要よ。もちろん、役付のチェシャ猫は、それなりに強いカードなんでしょ? だったら言うまでもないわ。でしょ?
「だから、ねぇ、あんたがいなくなったらそれだけ不可能レベルが上がるのよ。トカゲさん助けるんでしょ? だったら、自棄にもなっちゃだめよ? ちゃんと考えて、落ち着いて、それから動かないとだめなのよ?」
開かれた目が、どんどん細められる。糸くらいまで細くなって、そこから表情は読み取れない。こっちを見ているのかすらわからない。
何考えてるかわからないけど、それでもまだ言葉を続けなくちゃいけない。止められるまで言わないと、きっと後悔するから。
「私、もうなんかどうでもいいの。全部がどうでもね。だからね、私、今ならなんだってできる気もするわ。自主的にはしないけどね。……あなたが望むなら、私を囮にでもなんでもすればいいと思うよ」
こめかみに何か押し当てられる。ひんやりしたのが急に当たって、少し驚いて体が跳ねる。
次に感じたのは痛み。硬くて、質量がありそうな物体。それが思いきり押し付けられて、痛い。手加減なしに、ぐりぐりされる。角当たってるし。超痛い。
目の前はいつの間にか金色に埋め尽くされていて、らんらんと輝くネコ目が私を至近距離で睨みつけていた。
「本気?」
吐息が顔にかかるくらいの距離で、チェシャ猫が囁く。
「嘘ついたら、ぶち抜くよ?」
カチリ、という音と衝撃が、頭がい骨を伝わった。
「別に……。トカゲさんの事、気になるわ。でも、それよりも、私は私がどうでもいいの。だから、なんでもいいのよ」
「……」
しばらくチェシャ猫とにらみ合う。大きな金目に、表情のない自分の姿が映ってた。
……。
気持ち悪い子。
ミカがイラついているようで、私を抱く手に力がこもる。でも抱きつぶさないように気を配っているのか、肘あたりに力を入れている雰囲気がある。そのせいで震えていて、微妙な振動が不愉快だ。
「……ふぅん」
満足したのかチェシャ猫が離れる。銃を腰の所に収める間も、私から目を離さなかったけど。
「ダメだね、この子。つまんない、お人形さん。こんな子のために犠牲になって……ビルがとっても可哀想」
目線は私に固定されていたが、その言葉は私以外に向かっていた気がする。
『こんな子に協力してる、あんたたちは敵だ』って感じかしら?
「ミカ、行け」
グレイがミカにゴーサインを出す。くるっとチェシャ猫が視界から消える。
言いたいことは言い切ったけど、なんか、さらに状況をややこしくした気しかしない。なんか、申し訳ない。
風呂場に連れていかれた私は、ミカに丁寧に傷を洗われている間に眠ってしまったようだった。そんぐらい疲れてたってことだろう。
……うん、とっても、疲れてたの……。




