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ふわりとほほ笑むマリーさんが、やっと説教を途切れさせてくれたので、ミカはそっと口を開いた。
「グレイが何を考えてるか、俺にはわかりません。けど、俺はグレイについていくって決めてますんで」
なんでここまで崇拝してんだろ? あの人は、いい人ってわけじゃない。間違ったことだってするでしょ、人間なんだから。
それなのに、なんで? 私にはわからない。ミカの方がわからない。
もうやだ、全部わからない。
「あらそう。でもね、それで納得しろ、と言うのは無理な話ですわ」
「はい。なので、手紙を預かってます」
「手紙?」
ミカがポケットから、少ししわになった手紙を取り出す。それを見て、マリーさんが眉をしかめる。私も首をかしげた。
え、なに? 手紙? と言うことは、この状況を予想してたってことよね? ルールに触れてるって思われる事を、予想してたってことよね?
そこまでして? 面倒事はお嫌いじゃなかったの? そこまでしてくれるほど、信用されたとは思えない。
グレイに、何かあったんだ。
「拝見しますわ」
厳しい表情のまま、マリーさんは手紙を受け取り、読み始める。読み進めるたびに、眉間のしわが深くなっていった。
手紙は二枚。重ねて閉じて、マリーさんは大きく息をついた。
「なるほど、困った状況ですわね。今回のゲームは複雑ですわ。裏切り者がいますのね? 世界を裏切ろうとしてる、とんでもない大悪党が」
世界を裏切るってなんだろう。ルールを破ったってことかしら? でも、それならグレイはどうなるの? グレイが裏切り者?
「えぇ、えぇ……よろしいですわ。今回のアリスはとてもかわいそうですもの」
私は可愛そう? 私のせいで、周りの方が可愛そうなことになっているんじゃない? ねぇ、私は害悪よ? そうでしょ?
じゃなかったら、どうして私に殺意が向けられるのよ……?
「アリス、アリス! しっかりしなさい」
もうだめだ。気分が上がらない。どんどん表情が死んでいくのがわかる。その死んだ表情を、呼ばれたから、という反射のようなものでマリーさんに向けた。
「あなたのせいじゃありませんわ」
「……なにがあったか知ってるんですか?」
「……知りません。チェシャが言うには、血だまりに、あの方の帽子だけが残されていた、と。どうやって血を落とせばいいのか、泣きつかれましたわ。その後、敵討ちに行くと言ってましたの。ゲームなんてあるからいけないって言ってましたわ。心配して探してみれば……少し、遅かったですわね。申し訳ありませんわ」
そう言って頭を下げるマリーさんを、何も感じずに見つめる。
あぁ、あの帽子、形見ってこと? だから、ちゃんとポケットに入れたんだ。漫画とかだと、あぁいう時、地面に投げつけたりするじゃない?
仲良しだったんだ? あんなに怒るほど? 私は、敵なんだ……?
「あなたが手を下したわけではありませんわ。チェシャ猫の怒りは見当違いですの」
「そう、でしょうか……?」
「遺体は見つかっていないそうよ。だからきっと生きてますわ」
「血だまりって言ってましたよね? どのくらいですか?」
無理やりな慰めに聞こえて、私は口の端を吊り上げた。
いらない。そんな薬にならない慰めなんていらない。
罰したければ、罰すればいいじゃん! 私のことは許さなくたっていいじゃない!! もう、たくさんよ!! 何も考えたくない。知らない。勝手にすればいい。どうでもいい!!
「……よろしいですわ。アリス、カードを出してくださいますか?」
私は何も答えない。
隣でミカがすごく心配してるのがわかる。……だからぁ? 視線が煩わしい。
「カードを見る癖をつけなくてはいけませんよ?」
「あなたは役付ってことでしょうか?」
へらへら笑いながら答える。なにもおかしくないけれど、勝手に口が弧を描くんだ。
あぁ、最後の役付見つけたんだ……よ……あれ? 違う。
そうだよね、最後、だ。色ついてないのは一枚のはず……。でも目の前には役付であろう人物が二人。意味がわからない。
「わたくしも、ドードーも、ただの一般人ですわ。そんなたいそうな役、もらっていませんの」
カードを出さない私だが、マリーさんは気にしていないのか、話を続ける。
「最後の一枚はクラブの8、かしら?」
カードを見てもいないのに、するっと最後の一枚だろうカードを当てた。
「そうですね」
まぁ、彼女たちの担当がそのカードなら、当てて当たり前かもしれないか。……彼女たち? ディーとダムみたいに二人で一枚なの? いや、でもあの二人は同じ役名だったし……一般人って? どういうことなんだろう?
「では、ゲームしませんこと?」
「?」
え、そんなの聞いてない。
思わずミカを睨み付けた。ミカも心なしか、少し顔が青ざめている。
「あの、夫人……?」
「黙りなさい。わたくしはアリスとゲームしますのよ?」
「ご主人? 何でゲームするデスカ?」
ドードーさんまで首をかしげている。
「わたくし、少々怒っておりますの。帽子屋にですわ。アリスには可愛そうですが、ルール違反ギリギリのことさせますのよ? だから、本物のゲームの前に、もう一つゲームを要求しますわ」
なるほど。グレイのせいってわけかしら? もう一回ミカを睨み付けてしまうけど、これ以上ないくらいに体を縮めて、耳を垂れさせているから放っておくことにする。さすがに、いじめたくはない。
一息だけついて、前に向き直る。
「いいわ。やりましょう」
「その調子ですわ」
マリーさんはにこっと微笑む。でも、あぁ、その目は笑ってない。まるでガラス球だ。なんで気づかなかったんだろう。
彼女の笑みはほとんど完璧だった。
「では、謎々を一つ。それにお答えくださいね。間違ったら、あなたの隣の人のご主人様に罰がいくだけですわ。あなたは気を楽にしていてよろしいのです」
視界の端に移るミカの肩がびっくぅ! と揺れる。
負けられない。もうこんなゲームやりたくないもの。とっとと終わらせてやる。
それに、グレイに罰が言ったら、こっちに八つ当たりが来そうだもの。
少し悩んで、マリーさんは口を開く。
「ハンプティ・ダンプティが塀に座った。けれど風にあおられ落っこちた。この世で一番の権力者、この世で一番のお金持ち、この世で一番の知識人、この世で一番の力持ちが加わっても、ハンプティ・ダンプティを元の通りに戻せなかった。さて、ハンプティ・ダンプティとはいったいなんだったのでしょうか?」
ハンプティ・ダンプティ? これ、誰かってことよね? ……いや、人? 物? それもよくわからない。
とりあえず、落ちて、壊れた、の? それで、元には戻らなかった、と……。
うーん、なにかしら……?
「これは難しいかしら?」
マリーさんが、私の顔を覗き込むように見つめた。
「たくさん悩んで、答えが出ないなんて困りますわ。ですので、制限時間を設けさせていただきますわね」
「最初は何も言ってなかったじゃないですか」
「わたくし、そこまで気が長い方ではありませんの。それにきっとすぐ、伝書鳩が来ますわ。その前には終らせないと」
急にそんなこと言われても困る。さらさら理由を述べられて、腹が立つ。
この人、自分のルールを押し付けてくる人だ。頭の固い大人みたいな。子供の私には、受け入れられないタイプ。
「まだそんなに待つかわからないじゃないですか」
「でもダメですわ。この問題は、あなた、悩みそうなんですもの」
「理不尽ですね」
「あら、今更ですわ? この世界のゲームは、理不尽なものがほとんどのはず。それとも今まで甘やかされてでも来ましたの? それなら、今までがよすぎたのですわ」
あぁ、むかつく。何よ。まだゲームは半分もやってないのよ。
でも、でも! 確かにそうだ。この世界のゲームは理不尽だ。ゲームと言うよりも、この世界が。連れて来られた時から理不尽がいっぱいだったはずなのよ。
周りは優しくて、イライラすることもあったけど、楽しかったから忘れてた。
だめよ。私は帰らないといけないの。絶対よ。あの、記憶の通りなら、私は決めたはずなんだから。元の世界で、やらなきゃいけないことがあったはずなんだから。
「制限時間は三分ですわ。じっくり、悩んでくださいね」
マリーさんが砂時計をテーブルの上に置く。
どこがじっくりよ。
でも、考えないと。
壊れたら元に戻らない。絶対に。なんで?
元に戻らないもの、流れ? 時間?
時間は壊れないし、時計は直せる。粉々だったら無理かもだけど、絶対じゃない。
というか、形あるものいつかは壊れるわ。風化だってするでしょう。じゃあ何でもよくない?
でも、それじゃあ謎々にならない。だとしたら、人間? いや、この場合は……。
「命」
深く考えず、その言葉が滑り出た。出てから、あぁ、と納得する。
ヒトは、元には戻れない。生きてるものは戻らない。壊れてしまったら、戻らない。
トカゲさんは、戻らない……?
「それが、あなたの答えですのね……?」
マリーさんの言葉と一緒に、砂時計の最後の砂が落ち切った。




