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厄病女神

御徒町寄生中

作者: 雑草生産者

 皆さん、こんにちは。私―絹坂衣きぬさかころも(18歳の乙女)はとっても御機嫌万歳快晴気分です。何故ならば、今、私は幸せの大絶頂だからです。

 私は今を去ること3年と半年くらい前にある人と出会いました。

 その人こそ、我が愛すべき先輩。正式名は冴上双葉さえがみふたばという名なのですが、先輩はその「双葉」という女っぽい名前を何故だか大いに毛嫌いしていて、その名を呼ばれると相手が誰であろうとも即座に「その名を呼ぶなっ!」と怒鳴るので、私は彼のことを無印の先輩と呼んでいます。

 先輩はきりりと鋭い瞳。すっと通った鼻筋。細い顎。体つきは華奢と言えるほど細く、背の高い人です。

 大変偏屈で気難しい人で、いつも不機嫌で無愛想で短気でちょっと暴力的で、屁理屈だし、全然優しくないし、更には我侭で自尊心の高い性格な人です。こーやって、性格的特徴だけを羅列すると何だかかなり悪い人みたいですけど、そんなことはないのです。先輩だって、えーっと、うーんっと、今はちょっと思い付きませんけど。まぁ、何か性格的にも長所があるはずです。

 そんな先輩と私が出会ったのは、私が高校一年生。先輩が高校三年生のときでした。私と先輩は高校1年間を共に過ごして、私は本当に彼のことが好きになりました。

 それから、まぁ、色々と云々かんぬん(詳しくは厄病女神寄生中を参照。宣伝です)があって、私は高校3年生の夏休みに先輩と男女交際することになりました。この時点から、私の機嫌は最高潮に達し、その状況は現在も続いています。

 私は交際し始めた次の年の春から先輩と同じ大学に入学し、今は一緒に通っているのです。素晴らしいぃっ!



 さて、季節は秋。

 私が先輩と正式に男女交際を始めてから、丸一年と少し、私が今の大学に入学して半年近くが経過したある日のことです。

 つい数日前まではいつまでもいつまでも太平洋高気圧が日本を座布団にして居座って、残暑という夏の欠片みたいなものを撒き散らしていたのですが、何だか急に秋めいてまいりました。

 木の葉は黄や紅に染まり、風は少し冷たく感じられ、スーパーマーケットには季節の果物や茸、秋刀魚なんかが並んでおります。

 先輩は青魚はあまり好きではないので、秋刀魚を出してもあまり良い顔はしないのですが、果物や茸類は好物なので、梨や林檎を剥いてあげると、結構上機嫌に食べてくれるのです。茸御飯や栗御飯も喜んでくれます。やっぱり、作ってあげた御飯を好きな相手が美味しそうに食べてくれるってのは幸せなことです。

 そんなわけで、最近の私は存分に秋を楽しんでいるのでした。

「せーんぱーい」

 今日も私はいつものように先輩の部屋に押しかけます。

 私の住んでいる所から先輩の部屋に行くのは非常に簡単です。何せ隣の部屋ですから。

 先輩や私が住んでいるのは通っている大学に程近い住宅街にある木暮壮というところです。ここは大学の先輩(さっきから言っている先輩とは別の先輩です)が大家で管理人をやっているアパートで、その人はお人よしなので、結構安い家賃で住ませてもらっているのです。

 この木暮壮の2階の階段から最も遠い部屋が先輩の住処なのですが、私はこの春からその隣に住み着いています。

 元々、ここには漫画家の人が住んでいたのですが、半ば無理矢理下の階に移動してもらい、私はまんまと先輩の隣室を手に入れたのです。本当は一緒に住みたかったのですが、それは先輩が許してくれませんでした。

 ただ、私は先輩の部屋の合鍵を持っているので出入りは自由なのです。

「せーんぱーい! おーい!」

 私は部屋に中にいる先輩に呼びかけながら合鍵を使って部屋に上がり込みます。

「先輩、先輩、起きてくださいー! 朝ですよー! 先輩がいつも楽しみにしているび○かんサラリーマンが始まってしまいますよー?」

「うるさい! 朝っぱらから騒ぐな! そして、なんだそのわけのわからない言葉は!?」

 私が呼びかけると、茶の間で寝転がっていた先輩が飛び起きて怒鳴りました。

「びん○んサラリーマン知りません? 敏感○郎が……」

 私が○んかんサラリーマンについて詳しく説明しようとすると先輩は私の言葉を遮るように怒鳴りました。

「止めろ止めろ! その伏字の○の位置をずらしては伏せている意味がないだろ! それに、それは元ネタが分からない人にはチンプンカンプンだ! しかも、何で、こーいうコラボ企画でそんな二次ネタを使うんだっ!? 場をわきまえろ!」

 先輩は怒鳴ってから、ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返した後、顔色をみるみる青くさせてトイレに駆け込みました。たぶん、吐いてます。

 部屋の中にはビールやチューハイの空き缶がごろごろ転がっています。ついでに、このアパートの大家兼管理人の木暮二十日こぐれはつかさんも転がっています。

 この人はうわばみと言って全く過言ではないくらいのとんでもないお酒好きで、少しでも機会があればひたすらお酒を飲み干していくのです。ただ、1人では寂しくてお酒が飲めないという習性を持つため、いつも先輩が飲酒に付き合わされています。先輩はなんだか嫌々そうに飲んでいるのですが、何だかんだ言いながらいつも付き合っているところを見ますと、実は先輩も相当の酒好きなのだと思います。

「うぅ……頭が痛い……」

 私が部屋の中を掃除していると、先輩は頭を抱えながら、よろよろとトイレから出てきました。

「あぁ……もうダメだ……」

 ぶちぶちと弱気なことを言いながら、ソファに頭から突っ伏します。どんな格好で転がっても良いですけど、吐くのはトイレだけにして欲しいです。さすがに私も愛する人のものとはいえ吐瀉物の後始末には二の足を踏んでしまいます。

 しかし、ここまで弱っている先輩も珍しいものです。先輩はそんなにお酒に弱い方ではありません。ビールならジョッキで10杯くらい飲んでも平気な人です。では、この弱りようは何だというのでしょうか?

 変だなーと思いながら部屋を片付けていると、その原因の品を見つけました。

「……これですね」

 テーブルの下に転がっていたのは、スコッチウィスキーの空き瓶数本でした。英語で何か色々書いてます。ロイヤル・ロッホナガーとかグレンフィディックとかです。これが何かは分かりません。

 当然ながら、ウィスキーはビールとかチューハイなんかと比べると格段にアルコール度数が高いお酒です。スコッチはアルコール度数の下限が確か40だったはずですから、ここに転がっている空き瓶のウィスキーも、少なくともアルコール度数40以上のものなのでしょう。そんなものを何本も空ければ大変なことになるのは当たり前です。

「これ全部飲んだんですかー?」

「うぅむ……。最初は水割りソーダ割をしていたのだが、面倒臭くなって、オン・ザ・ロックとかストレートで……」

 馬鹿です。

「いいですかー? 先輩。先輩は酒を水とか味噌汁の代わりに飲んでるような赤ら顔の欧米人じゃないんですからねー? 日本人ではお酒が強い方とはいえ、いくらなんでもこんなに飲んだら身体を悪くしちゃいますよー?」

「そんなこと分かっとる。お前はそんな説教をする為に俺の部屋まで来たのか?」

「恋人が恋人に少しでも近付こうとやってくることに理由などいるのですかー?」

 そう言うと先輩は黙り込んでしまいました。先輩は都合が悪くなると黙り込むことがあります。卑怯な人ですねー。

 私は沈黙する先輩と動かない二十日さんを放置して部屋を掃除し、窓のカーテンを開きます。

 今日はとても良い小春日和です。太陽が朗らかに輝き、暖かい日差しが部屋の中に差し込みます。何だか爽やかな気分になりますね。

「うー。眩しいー」

「眩しいぞ。こら」

 部屋に転がるダメ先輩たちが口々に文句を言います。せっかく掃除してあげてるのにー。まぁ、私が好きでやってるんですけどねー。

「ほら、先輩、二十日さん。外は良い天気ですよー? 人間は日光に当たらないと健康に良くないのですよー? しかし、本当に良い天気ですねー。お散歩にでも出かけたら良い気分になれると思いますよー? 気分爽快! 掃海艇!」

 私の言葉に、一瞬、先輩と二十日さんが視線を向けます。そして、すぐに無言でらします。何ですか? ツッコミを入れて下さいよ。寒いじゃないですか。

「とにかく!」

 私は誤魔化すように叫んで、先輩にすがりつきます。

「せっかく良い天気なのですから、お出かけしましょうよー! 行きましょうよー!」

「嫌だ嫌だ。天気が良いならば余計に出かけたくない」

 私の言葉に先輩はぶうたらと文句を言います。まるで学校に出かけたくないと駄々をこねる子供のようです。こんなことを言ったら先輩は激怒することでしょうから、口にはしません。代わりに別のことを聞いてみました。

「天気が悪ければ出かけてくれるんですかー?」

「天気が悪い日にわざわざ外出してどーする?」

「…………………………」

「痛い! 痛いぞ! 無言で俺を叩くな!」

 私は叩くのを止めて、真正面から先輩を睨みます。

「出かけましょう。お散歩でも買い物でも何でもいいですからー」

「だから、嫌だって言っとるだろうが」

 先輩はぶちぶちと文句を言い、手持ち無沙汰だったのか、新聞を読み始めます。

 しかし、私は諦めません。

 もしも、先輩が本気で嫌がっているのならば、もうとっくに怒鳴り散らし、私を部屋から摘み出しているはずです。それを未だしていないというのは、先輩が最終的には「やれやれ、仕方のない奴だ」と迷惑そうに言いながらも、私の言うことを聞いてくれる用意があるということです。その辺のこと、私はプロですから、十分に分かっているのです。

「先輩先輩ー」

「煩い奴だな……。やれやれ、仕方…」

 そう先輩が言いかけた時です。何とも都合悪く電話が鳴り出しました。

 先輩が立ち上がるよりも先に、私の方が電話に近かったので私が電話に出ました。

「はいー。冴上ですー」

「大目付はおられますか?」

 電話向こうから聞こえた男性の声は何処かで聞いたことのあるような声でした。

 ちなみに、大目付というのは先輩が所属しているさる組織での職名です。

 先輩は高校時代にもとある組織に在籍しており、その組織で縦横無尽にして天下無敵、傍若無人に振る舞っていたのです。勿論、先輩行くところ常に私在り!なわけですから、私も在籍していました。

 そんな謎組織好きな先輩が大学でも大人しくしているわけがありません。入学して暫くの間は鳴りを潜めていた先輩ですが、一年の冬頃から俄然やる気を出し始め、私が居候(先輩は意地悪なので寄生と呼んでいます)していた二年の夏は暑さでぐったりしていたものの、私がいなくなってからは更なる本格的活動に入り込み、私が入学した大学3年の段階では組織の幹部となっていて、夏には大目付という組織トップクラスの役職にまで達していたのです。

 こんな風な謎の組織活動に精を出している暇があったら、健全にサークル活動をしたり、文化祭に熱を上げたり、勉学に励んだりすればいいと私は思うのですが……。この人は何がしたいというか、何処に向かいたいのでしょうか?

 まぁ、そんなところも素敵だと私は思うのです。以前、そう友人に漏らしたら思いっきり変な顔をされました。

「いますよー」

 私は電話向こうの人に答え、先輩に受話器を向けます。

「倶楽部の人ですよー」

「む」

 今まで立つのも嫌だという様子だった先輩はそう聞くと、文句も言わずにおもむろに立ち上がり受話器を受け取りました。私が散歩に行こうと言ったら散々ごねてたくせに。

 先輩は暫く電話で会話した後、急に怒り出しました。受話器を叩きつけ、素早く身支度を整えました。

「先輩、出かけるんですかー?」

「急用ができた。以上だ!」

 そう怒鳴って、先輩は風のように部屋を出て行ってしまいました。

「行っちゃったねぇー……」

 二十日さんはそう言ってから、大きく欠伸をしてから、そのまま床の上で丸まりました。



「まったく、先輩ったらー」

 私はぶちぶちと文句を言いながら、手にして小さなフォークでチーズケーキを切り刻みます。勿論、チーズケーキを八つ当たりで切り刻んだままにはしません。切り離された欠片は直ちに口の中に放り込みます。口の中にチーズケーキの甘さとほのかな酸味が広がります。このチーズケーキは今まで私が口にしてきた中でも確実に上位にランクインする美味です。ここは、料理番組でお馴染みの某芸人さんのように「なんちゃらの宝箱や〜」などと感想を言わねばなりません。

「うーん。まったりとしてクリーミーでうんたらかんたらー」

 しかし、語彙ごいのない私にはこんな台詞が限界でした。先輩、私には料理番組は無理です。

「とにかく、美味しいのは確かですねー」

「本当? ありがとー」

 私の言葉に青いエプロン姿の女の人が嬉しそうに言いました。黒いストレートヘアーの大きな目で小さな体(まぁ、私と同じ背丈なので人のこと言えませんが)の可愛らしい人です。

 彼女は私が在学している大学の先輩で、名前は、確かー……。そうそう、椎名さんです。御友人方からは「しぃちゃん」と呼ばれており、私は「しぃ先輩」とお呼びしています。

「このココアもベリーマッチですねー。ここは、素晴らしい喫茶店ですー! で、こんくらい褒めたら何か出てきませんかー?」

「あははー。出ないよ」

 しぃ先輩は朗らかに笑いながらもはっきりと言いました。果たして、これは冗談に付き合ってくれたのか、本気なのか。

「じゃあ、しぃ先輩の美しさを褒め称えたら何か出ますかー?」

「そんな冗談言っても、何も出ないってばー!」

 しぃ先輩は笑いながら私の肩にパンチを食らわせてきました。とても痛いです。しぃ先輩は格闘技マニアな人で、それが高じたのか何なのか分かりませんが、そのパンチ力には一般女子、いえ、一般男子以上の威力があります。

 勿論、彼女はツッコミのつもりなんでしょうけれど、やられているこっちとしては冗談抜きで痛いです。

 今、私がいるのは大学の近くにある団子坂という坂の真ん中にある結構歴史ある感じの木造平屋建ての雰囲気の良い「御団子」という名の喫茶店です。

 ここには、今年の春、私が大学入って少しの頃、大学構内にて女性先輩に襲われているときに知り合った先輩方(この先輩は「先輩」のことではありません。自分で呼んでおきながら何ですが、区別が面倒臭いですね)と一緒に来たのが初めてで、その時に、しぃ先輩とも知り合いました。

 それ以来、ここにはたまに通っています。しぃ先輩も親しくしてくれますしねー。割引はしてくれませんが……。

「あ、いらっしゃいませー」

 暫し私としぃ先輩は談笑していたのですが、他のお客さんが来て、彼女は私のいる店の最奥席から入り口の方へ行きました。

 さて、私はチーズケーキをまったりゆっくり堪能することにします。先輩(再び言いますが私が無印で「先輩」と呼ぶ相手は基本「冴上双葉」先輩のことです)はチーズケーキが苦手なので、私がチーズケーキを食べる機会はあまりないのです。

 勿論、先輩は目の前で私がチーズケーキを食べていても文句など言いません。しかし、先輩は通常とても素直な人なので、嫌いなものが目の前にあるだけで自然顔をしかめてしまうのです。先輩大好きな私としては、少しでも先輩の機嫌を損ねるようなことは避けたいことで、故に、こうして先輩から離れているときくらいしかチーズケーキを食べる機会はないのです。

「うん、御馳走様でした」

 私は何となく手を合わせて呟き、空いた皿をテーブルの脇へとやり、脇に置いた鞄から教材とノートを取り出します。

 そうです。私は大学生。学生の本分は学業とはよく申したものでというか当然至極当たり前のことであり、私はきちんと真面目に勉強するのです。留年とかは嫌ですからね。ただでさえ、先輩とは2年の開きがあるのに、これ以上、愛する2人の間を開けられて堪るもんですか。

 私はテーブルの上に広げた参考書片手に、教授が出した課題に取り掛かります。課題の内容は経済学関連のレポートです。提出期限は明々後日なので、まぁまぁ、切羽詰った状況と言えるでしょう。

 しかし、私は余裕なのです。何故かといえば、それは先輩のお陰です。あの人はこーいう社会科学系のネタが大好きなのでちょっとネタを振ればうだうだと勝手に長らく喋ってくれますし、質問すれば嬉々として答えてくれます。しかも、その手の本も腐るほど部屋に溜め込んでいます。更に言えば先輩と私は同じ学部ですから、先輩が昔やったのと似たような課題を今私がやっているわけですから、先輩はもう既に正答にかなり近いものを知っているのです。まさに最高の勉強環境。

 お陰で、既にタイトルも決まっていますし、内容も殆ど書けているのです。にやり。


「あ、きぬちゃんだー」

 聞き慣れた声がしました。

 当然ながら先輩の声ではありません。もし、先輩が私のことを「きぬちゃん」と呼んできたら、私は「偽者っ!」と叫び、泣きながらパンチすることでしょう。

 これは先輩以外の聞き慣れた声です。いや、先輩ですけど、冴上先輩ではありません。

 声の主は私が視線を向ける前に、回避行動に移る前に、体当たりをかましてきました。私は丸太の椅子(ここの喫茶店はこーいう感じの椅子なんです)から転げ落ちそうになりましたが、何とか体勢を維持し、頭を床に打ちつけ色々なもので喫茶店の床を汚す運命から免れました。

「明石先輩ー。抱きつくのはいいですけどー、いや、よくないですけど、少なくとも、勢いはある程度抑えて下さいー。私はこれから50年は先輩と一緒に暮らすつもりなんですから、まだ人生終わるわけにはいかないんですー」

「いいじゃないー。減るもんじゃないんだからー」

 私に抱きついている明石先輩は、私の注意も聞かず、私の頬に自分の頬を当てすりすりしています。

 彼女は長髪で、ぱっちりとした目で、なんとなくほんわか柔らかい感じのするお姉さん的な社会学部の3年生です。下の名前は忘れましたが、名字が明石なので、明石先輩と呼んでいます。

 彼女こそが春先に私を襲った女性先輩で、私がこの御団子とかしぃ先輩とか他数名の先輩方と知り合うきっかけとなった人です。この人はどーも女の子が大好き(どの辺りまで好きなのかは不明ですが……)らしく、所構わず可愛い女の子に抱きつくという悪癖を持っており、私はその常習的な被害者なのです。ちっこいから抱きしめ易いのでしょう。

「ほっぺがぷにぷにー。相変わらずこれ良いわー。癖になりそう」

「止めて下さいー。課題ができないじゃないですかー」

 私はぶちぶちと文句を言いますが、明石先輩が私から離れる気配はありません。もぅ! これでは「経済政策における左派と右派の差異について」のレポートが書き進められません。

「あー。明石先輩がまたきぬちゃんを襲ってるー」

 その声に私と明石先輩は仲良く一緒に顔を斜め後ろくらいに向けます。

 新たに御団子にやってきた2人のお客さんとも私は面識があります。この御団子という喫茶店は私の通う大学に近いため、よく大学の関係者や学生が訪れるのです。また、何故だか、文庫本が多く置いてあるため、文学部の人々には勉強のためにも利用されているようです。

 やって来た2人も文学部であり(しぃ先輩も文学部です)、しかも、しぃ先輩の親友でもありますから、よくここを利用しているのだと思います。その為、たまにここに訪れる私ともたまに会うのです。

 また、春先、明石先輩に襲われていた私に、今のように声をかけてくれた人でもあります。

 中背で肩ほどの少し色の入っている髪の彼女は、御徒先輩です。友人の間ではかっちゃんと呼ばれているようですが、後輩である私はそんな呼び方は出来ません。よって、私は名字に先輩を付けてお呼びしているのですが、彼女はどーにも不満そうです。

 彼女は下の名前を真知といい、繋げると御徒真知となり、音だけ聞けば山手線の駅名で知られる「御徒町」という地名になってしまいます。そのことが長らく彼女のコンプレックスであったようですが、最近は、開き直、もとい、克服したそうです。

 もう1人のうなじほどのショートヘアで背が高い人は、はる先輩です。伊井国というちょっと変わった名字で、確かうちの大学の教授の娘さんだったかと思います。

「あー。御徒先輩、はる先輩。助けて下さいー。このままじゃ勉強がはかどりませんー」

 私は2人に助けを求めます。

「きぬちゃん、勉強中?」

「あ、レポートか。経済みたいね」

 2人はさして明石先輩を止めるでもなく、私と明石先輩の前に並んで座りました。もう明石先輩が女の子に抱きついている光景には慣れっこなんでしょう。

「あ、しぃちゃん。私、アイスココア。はるちゃんは?」

「私はコーヒー」

 2人はのんきに注文を済ませます。まぁ、喫茶店ですからね。当然なんですけどね。

「そーいえば、きぬちゃん。今日は1人なの?」

 御徒先輩が私を見つめて言います。珍しいとでも言いたげな様子。

 それもそうです。私は大学に入学してからのここ半年ほど、ずぅっと先輩の側に付きまとっているのですから。大学にも、買い物にも、散歩にも付いて回り、尚且つ、部屋は隣同士。先輩のいる所に私あり。私のいる所に先輩ありと言っても過言ではありません。先輩は非常に迷惑がっていますが、もう諦めているようで、最近はたまに思い出したようにぶちぶちと文句を言うだけです。

「先輩は倶楽部の用事で出かけてしまったのです」

「クラブ? あの人、サークルとか入ってたの?」

 あ、あんまり倶楽部のことは口にしない方が良かったかもしれません。何せ謎の組織ですから。

「まぁ、そんなものです」

 私はお茶を濁すようなことを言い、話題を変えます。

「そんなわけで私は1人寂しくレポート執筆中なのです」

「ふーん。どんなの書いてるの?」

 はる先輩の言われ、私はレポートの内容を軽く説明することにしました。

「今回の課題は「経済政策についての考察」だったので、私は政治的左派と右派の経済施策の差異について調べました。

 基本的に右派の経済政策はアダム・スミスに由来する古典主義もしくは新古典主義、マネタリズムなどに基づく小さな政府を目指そうとします。小さな政府というのは、経済においてはできるだけ政府は介入をしないようにしようというものです。古典主義経済学者曰く、市場においては各人の欲望が需要と供給を生み、それは自然と均衡しようとするというのです。アダム・スミスはそれを「見えざる神の手」と表現しました。この「神の手」により市場は自然のままに望むべく形になると主張するのです。

 次に、左派の経済政策ですが、こちらはケインズ主義に基づく大きな政府的な政策が基本となっています。大きな政府は経済を市場だけに任せず、そこに政府が介入し、経済を操作しようとする政策をいいます。経済の操作とは具体的には、中央銀行による公開市場操作と預金準備率操作を基本とする金融政策を積極的に行うと共に公共事業を行って需要を増やし、また、社会福祉を充実させ、失業者を減らそうとします。これによって国家経済の底辺の底上げを計るものです。

 このそれぞれの経済政策は、つまり……」

「いや、もういい」

 私の説明の途中ではる先輩が手を突き出して、私の言葉を止めます。

「分かった。十分に分かったから。迂闊に聞いた私が馬鹿だったわ」

 しかめ面のはる先輩は首を横に振りながら言うのです。

「でも、きぬちゃんって頭いいんだね」

 アイスココアとコーヒーを持ってきたしぃ先輩が感心したように言います。

「えー、まぁ、隣に先生と勉強道具が常駐してますからねー」

 その上、意味もなく勝手に突然講義を始め出したりもするんですから、これで勉強が上手くいかなかったら私の脳味噌は救いようもない能力不足ということになってしまいます。

「そーいえば、私たちも課題あったね」

 御徒先輩が思い出したように言い、傍らの鞄からプリントを出しました。

「日本文学史の軌跡について簡単にまとめよ」

 プリントの先頭にはそー書いてありました。あとは提出期限と白い空間。

「曖昧な課題だよね」

 しぃ先輩が少し困った顔で言いました。

「ここにそーいう感じの本ってあるかなー? 日本の文学史が簡単にまとめてある感じの」

「んーん」

 御徒先輩の言葉にしぃ先輩が首を横に振ります。

「うちは文庫本が主だから、そーいうのはないの。やっぱり、図書館とかじゃないとないんじゃないかな」

「じゃあ、大学の図書館で勉強する?」

 3人の先輩はあれこれと話し合っています。

 その間、私は明石先輩にほっぺをすりすりされながら、レポートの続きを書き進めていました。

「マネタリストとは、貨幣供給量マネーサプライは物価水準を変化させるだけで実物経済には影響を与えないとする貨幣数量説を唱える経済学の一派のことです。彼らは裁量的な経済政策の有効性に疑問を持ち、固定的な貨幣供給ルールを主張しており……」

「そうだぁっ!!」

 これからマネタリストの大物にして近年お亡くなりになられた経済学者ミルトン・フリードマンの主張について書こうとしたところで、いきなり、目の前のはる先輩が叫び、私は吃驚して手先を狂わせ、ミルトン・フリードマレと書いてしまいました。あーあ。このレの縦の棒と下にある右斜め上に上がっている線を何とか切り離せないものでしょうか? こんなことならば、ボールペンではなくシャープで書くんでした……。それか、ワープロでやればよかったんでしょうか?

「ねえねえ! きぬちゃん!」

 レの分離方法について考えていた私にはる先輩が話しかけます。

「ふぇ? 何ですかー?」

 あ。そーだ。修正ペンを使えばいいのです。でも、私の部屋にはなかったはずです。買ってませんからね。あるわけがありません。先輩持ってるかなー?

「きぬちゃんの彼氏、ほら、先輩ってさ!」

 先輩っていうのは、つまり、私の部屋の隣に住んでいる先輩のことに他なりません。この自分の名前を極度に嫌悪している人は私以外にも自分のことを名前で呼ばせないことを強要しているのです。

「たくさん本持ってるって言ってたよね? そーいう経済とか何とかの難しい本をさ」

「ええ、まぁ、持ってますねー」

 ここらへんで私は察しました。

「日本文学史を体系的にまとめて図説にして、しかも解説まで書いてあるような本もあったような気がしますねー」

 聞かれる前に言った私の答えに、はる先輩は満足そうににんまりと笑いました。



「ここですー」

 御団子を出た私たちは何か用事があるらしい明石先輩と途中で分かれ、その後、私の住処であり、当然、先輩の家でもある木暮壮に至りました。

 木暮壮は築十数年という新しくはないがそんなに古びてもいない部屋数十ほどの小さなアパートです。どーいう経緯だが分かりませんが、今、この木暮壮の大家で管理人は木暮二十日さんという私たちの通う大学の4年生で、その縁っていうか、お酒大好きな彼女のお酒に付き合ったり、掃除をしてあげたり、おつまみを作ってあげる代わりに家賃は他の物件よりもいくらか安くしてもらえています。住み心地もいいんですよー。

「うーん」

 ここに初めて訪れた2年生3人娘は特に褒める点もない木暮壮を見上げて唸ります。

「なんか、古きよき下町にありそうな感じね」

「あ、うん。昭和を感じさせるよね」

「……このアパート平成元年建築ですよー?」

 私の言葉に3人とも沈黙します。いや、そんな気にされても困ります。

「いや、別に無理にでも感想言わなきゃいけないってわけじゃないですからー」

 私たちは建物の外に取り付けてある鉄製の階段をカンカン上ります。先輩の部屋は2階奥なのです。その隣が私です。この階段も屋根とかあったら雨降りでも濡れずに先輩の部屋に侵入できるのですがねー。

「こっちが私の部屋ですー」

 私が言うと皆さんがドアを見ました。いや、ドアは何の変哲もない文句なしの普通ドアなんですけどね? 私の部屋だと分かるのは「絹坂」って書いてある名札がはっつけてあるだけです。

「きぬちゃん」

「何ですか? 御徒先輩」

「この表札っていうか、名札は手書き?」

「ええ。スーパーのチラシの裏に自分で書いて、テキトーな大きさに切り取ったやつです」

 3人は呆れたような変なものを見るような目をします。何ですか?

「しかもセロハンテープではっつけてあるし……」

「これじゃあちょっと触っただけで取れちゃうよ」

「ほら、風でぴらぴらしてる」

 そんな口々に私の部屋の表札にケチをつけなくてもいいじゃないですか。

 そのとき、ぴゅうっと強い秋風が吹いて、私の部屋の表札(もどき)は呆気なくはがれてどっかへ飛んでいってしまいました。

「「「……………」」」

 3人とも沈黙のまま、紙が飛んでいってしまった先を見つめ。続いて、私を見ます。

「で、こっちが先輩の部屋ですー」

「表札は全くどーでもいいんだ!?」

「新しく貼り直したりしなくていいの!?」

 私の言葉に御徒先輩とはる先輩が叫びます。そんな大層なことじゃないでしょうに。

「いいんです」

「あっさり言うなぁ」

 しぃ先輩が呆れた様子で言います。そんなに呆れることでしょうか? てか、私、呆れられてばっかですよ。思い返してみれば、先輩にも、友人にも、教授にも呆れられることが多々思い至ります。これじゃあ、私はマスター・オブ・アキレサセですよ! マスター・オブ・アキレサセって何だ!?

「とにかく、表札のことは置いといて……」

 私は目の前に浮かんでいた架空「表札のこと」を横に置いておきます。「置いといて」と言うときには必ずこの動作をしなければならないという決まりはありませんが、やらないよりはやった方がいいということもありませんが、まぁ、ノリですね。

「今、きぬちゃんは何を横にずらしたの? 空気?」

「しぃちゃん。表札のことだよ。さっき言ってたじゃない」

「ここは口に出したらダメよ。滑りが際立っちゃうから」

 3人は何やらぼそぼそと小声で話し合っています。全部聞こえていますけど、聞こえていたことになると、また面倒なので、私は聞こえないふりをします。

「とにかく、こっちが先輩の部屋です」

 3人は私の指し示した方に視線を向けますが、さして反応はありません。そりゃそうです。見た目は私の部屋のドアと全く変わらないんですから。

 とにかく、さっさと部屋の中に入ることにします。何だか、少し前から雲が出てきて、風も強くなってきているのです。午前中はあれほどの秋晴れだったというのに。変わりやすいのは女心と秋の空とはよく申したものです。元来は女心ではなく男心らしいですが。以前、先輩が言ってました。ことわざも時代と共に移ろうのですね。

 そんなことをぼんにゃり考えながらドアノブをひねろうとしました。

「ん。鍵がかかってます」

 しかし、開きません。先輩はまだ外出から戻って来ていないのでしょうか?

「えー。じゃあ、入れないの?」

「いいえ。心配御無用です。あ、今の御無用は無用に丁寧語の御を付けた単語であって、ゴムとは関係ないですよ? ゴム用の心配なんて意味不明ですからね」

「いや、分かってるって」

 御徒先輩のつれない言葉を聞きながら、私はポケットを探ります。つれないからって気にはしてません。先輩ならば、たぶん「うるせえ」の一言でお仕舞いですから。

「じゃじゃーん。先輩の部屋の鍵ー」

 ポケットから取り出したるは我が愛しの先輩の部屋のカギでございます。

「これさえあれば先輩の部屋のドアなど敵ではないのですー」

「元から、敵、ではないけどね」

 後ろで御徒先輩が呟きます。細かい人ですねー。

 鍵穴に鍵を突っ込んでぐりぐり回すとすぐにがちゃっと開錠された音がしました。

 ドアを開け、皆さんを中へ招きます。

「さぁ、どーぞ。遠慮なくお入り下さい」

「ここ、きぬちゃんの部屋じゃないよね?」

 我が物顔で振る舞う私にはる先輩が言います。

「ええ、でも、ほとんど毎日来てるんで自分の部屋とさして変わりませんよ」

「毎日……」

 3人は何とも言い難い顔で黙り込みました。心情は何となく分かりますが、ここはあえて述べない方が宜しいでしょう。

 どやどやと上がりこむ私たち。部屋は静謐そのものです。

「へー。男の部屋にしては綺麗ねー」

「あんまりモノがないね」

 3人は結構自由に部屋の中を見回ります。しぃ先輩に至っては冷蔵庫の中を覗いています。

「冷蔵庫の中、お酒がたくさんあるー」

 しぃ先輩の言葉を聞いた御徒先輩は慌てて冷蔵庫の閉めます。

「し、しぃちゃん! お酒はダメだよ!」

「何、かっちゃん。そんなに血相変えて。言われなくてもお酒なんて飲まないよ。今日は勉強の為に来たんだから」

「そ、そーだよね。うん」

 御徒先輩はほっと胸を撫で下ろします。

 彼女の言動を見るに、しぃ先輩は酒癖が悪いのかもしれません。注意することにします。

「ねぇ、こっちの部屋はー?」

「あぁ、そっちは寝室ですー」

 はる先輩は「ふーん」と頷き、襖を開けました。そーいえば、おかしいですね。寝室と居間を区切る襖は開け放ったままだったはずなのですがー。

 寝室を覗き見た私たちは絶句します。

 先輩がいつも寝ているベッドに見ず知らずの女性が寝てますー!!

 長い黒髪に大人っぽく端正な顔立ちで、背が高くほっそりとした体つきの、かなり美人な女性です。何処かの大学のミスコン優勝者だとしても不思議ではありません。モデルだとか言われても信じそうです。

 清楚な長袖の白いシャツを着て、ストレートのジーンズを履いています。何故だか、ベッドの側には茶色いロングスカートが脱ぎ捨てられています。

「だ、誰?」

「お姉さんとか妹とかじゃない?」

「あ、あぁ、なるほどー」

 私の横で3人が話し合っています。

 私はその彼女たちの導き出した結論をはっきりと否定できます。私は先輩の御実家へ行って、先輩の御家族に会ったこともあります。お姉様にも、妹さんにも会っています。

 しかし、今、ここに寝ているのは、まぁ、似てはいますが、先輩のお姉様でも妹さんでもないのです。家族ではないのです。

「綺麗な人ねー」

「うちの大学の人ではないわね。こんな美人いたら絶対目立つもの」

「でも、歳は私たちとあんまり変わらなさそうだよね」

 彼女である私が外出中に、先輩の部屋のベッドで寝ている1人の女性。彼女は誰か? この疑問から導き出される答えはそうそう多くはありません。

 その少ない答えの中で最も自然で普通でありきたりなのは、つまり、つまり、

「もしかしたらさ」

「何? はるちゃん?」

「この人ってさ」

 はる先輩はいたずらっぽく笑いながら言いました。

「浮気相手?」

 たぶん、はる先輩は冗談で言ったのでしょう。

 しかし、私はその言葉を全く冗談とは受け取りませんでした。

「ガッデーーームッ!!!」

 私は絶叫しました。

「ねえねえ、しぃちゃん」

「なぁに、かっちゃん」

「ガッデムってたまに聞くんだけど、どーいう意味だっけ?」

「ガッデムは、英語で、綴りはgod damn。本来の意味は神に呪われてしまえだけど、それが転じて、くそったれとかそんな感じで使われるよ」

「なるほど。しぃちゃん賢ーい」

「そんなことないよー」

 御徒先輩としぃ先輩は暫し「あはははは」とのどかに笑います。

「ちょっとー。2人とも、笑いながらフェードアウトしないの。面倒臭いから現実逃避したくなるのは分かるけどさー」

 はる先輩の言葉で2人は唐突にのどか笑いを止めます。

「これって修羅場かな?」

「修羅場ではないでしょう。ここに先輩もいたら完全修羅場だけど」

「じゃあ、ここに先輩が帰ってきたら修羅場完成だ」

 3人は何だか勝手に話し合っていました。

 しかし、このときの私には、その彼女たちの言葉など全く耳には入っていませんでした。私の心はただただ怒りだけに染まっていました。

 てか、何ということですか。私がちょっと目を離したら、その短い隙間に女を部屋に連れ込むなんて、何てことですか!? 先輩はそんなに女好きなのですか!? そんなに、好きならもっと私を愛して下さいよ!

「くあぁーッ!! 先輩の馬鹿野郎ー!!!」

「うわ! きぬちゃんが叫んだ!」

「きぬちゃんが怒ってるの初めて見る……」

「まぁ、怒るのも当然だよね」

 寝ている横でこんなに騒がれていれば、大抵の人は目を覚ましてしまいます。今、寝ている人もそうだったようです。

「むぅ……。何だ。煩いな……」

 正体不明の先輩の浮気相手らしき女性は、目をこすりながら、身を起こし、私たちを見ました。

 釣り気味の鋭い目で、眉間には深い皺があります。しかし、それさえも格好良いと思える美人顔です。うっすらと施された化粧も顔の造作の綺麗さを幾分にも高めています。

 くっ。負けてる。

 しかし、容姿で負けても、先輩を巡る恋の戦いに負けるわけにはいきません!

「このー! 私の敵ー!」

「わぁっ! きぬちゃんが殴りかかった!」

「でも、女の子叩きだ。しぃちゃんなら、もっと」

「そう。パンチはこう腰を……」

「しぃちゃん、恐いから私を目標に見立てないで……」

 後ろで何やら3人の先輩が言い合っていましたが、私は眼前の敵を叩くことに夢中で殆ど聞いていませんでした。考えてみれば叩けばどーにかなるってわけでもないんですが、この時の私には敵をぽかぽか叩くこと以外にやることが思いつかなかったのです。

「痛っ! 痛いっ! 止めろ! 止めんか! 止めろ言っとるじゃろーがこの糞ボケスットコドッコイッ!!!」

 私が攻撃していた敵は、真っ赤な顔でそう怒鳴って、私の腹を蹴っ飛ばしました。

「げふぅっ!!」

 無防備な腹を攻撃された私は大量の空気を吐き出しながら後ろに吹き飛ぶってまではいきませんけど、仰向けに倒れこみます。

「あ! きぬちゃん大丈夫!?」

 危うく畳みの上に後頭部を殴打してしまうところだったのですが、幸いにも御徒先輩たちが抱きとめてくれました。

「こんのアホンダラッ! 寝起きにいきなりボカスカ殴ってきおってっ! 一体、何のつもりだ!? ついに頭がおかしくなったのかっ!?」

 おもいっきりぼろ糞に罵倒してくる女性を見上げながら、ふと私は思ったのです。まさか、いや、まさかとは思いますけれども、えっと、でも、もしかしたら、この人は……。

「………先輩ですか?」

「……………」

 その問いに彼女(先輩だとしたら彼女ではありませんが)は沈黙しました。

 真っ赤になっていた顔がどんどんと赤みを失っていき、遂には青ざめてきました。

「え。この人が先輩?」

「あの偏屈で怒りっぽい?」

「我侭で自己中で横暴な性格の?」

 私含め全員がきょっとーんとした顔で、目の前の人を見つめます。

「いや、人違いだ」

 先輩(もう確定です)は今更、とぼけました。既に物凄く手遅れっていうか無駄な足掻きだと思います。

「もう普通にバレてますよ。てか、先輩、何で女装なんかしてるんですかー? 普段、あれだけ自分の名前が女っぽいっていって嫌ってるくせに、女の格好をするのは平気なんですかー?」

「平気なわけあるかっ!? これは、諸般の事情により仕方なく、致し方なくこうなっているのだっ! 勘違いするなよ! っていうか、何で、ここにこいつらがいるんだっ!?」

 先輩は続けざまに怒鳴り散らします。青ざめていた顔がまた赤くなっています。信号機の真似ですか?

「ちょっと! こいつらってのはあんまりじゃない!?」

「そうそう! まぁ、確かに、ここの住人である先輩に無断で入ったのはあれですけど、そこまで邪険にしなくてもいいじゃない」

「ていうか、先輩が名乗らないのって、名前が女っぽいからなんだー」

 はる先輩ににやにやと笑われながら言われて先輩は顔を真っ赤に染めました。そんなに顔に血を集めたら血管破れちゃいませんか? 大丈夫ですか?

「ぐっ! ぬぬぬぬぬ……! 絹坂! 貴様のせいでぇっ!」

「それよか、先輩。さっさと女装を解いたらどーですかー? まぁ、美人さんなので、私は目の保養になっていいのですけどー」

 先輩は怒りの矛先を私に向けてきました。でも、普段からいっつもいっつも先輩に怒鳴られている私はもうそんなことには慣れっこです。それよりも珍しいのは、今の先輩の容姿です。うーん。やっぱり、普通に綺麗です。先輩って女顔ですしねー。下手すれば男性の状態でいるよりも今の方が似合っているかもしれません。

 私の言葉に女装先輩ははっと気付いたように目を見開き、顔を更に赤く染め(これはたぶん恥ずかしさで染まったんだと思います)、脱兎の如くに駆け出して、洗面所に立て籠もりました。たぶん、カツラを取って、化粧を落としているのでしょう。

「でも、びっくりだねー。あんなに女装が美人な人初めて見たかも」

 しぃ先輩が感心したように言います。

「ミスコンとか出ればいいんじゃない?」

 はる先輩が何気なく言った言葉で、私はふと思い出しました。少し前に二十日さんから聞いた話です。

「あぁ、そーいえば、先輩は以前、ミスコンに出たって話を聞いたことがあります」

「えぇっ!? あんなに嫌がってるのに!?」

 御徒先輩が驚きます。そりゃそうです。あんな偏屈で、自分の名前がちょっと女っぽいってだけで名前を隠匿せしめようとするような人ですから。自ら女性らしさを競うミスコンに出るなんてことは奇想天外に思えることでしょう。

「いつの話?」

「確か、先輩が一年生の頃だって、二十日さんは言ってましたー」

「でも、あの人、そーいうの凄く嫌いそうなのに……。意外……」

 しぃ先輩が不思議そうな顔をして呟きます。

 私は先輩がミスコンに出た経緯を説明することにしました。

「何でも、ミスコンの優勝賞金が大量のビールで、それを狙った酒好き二十日さんが、先輩に出場を強制したらしいですよー? 当時の先輩は金欠で困ってたそうで、出場の代わりに家賃3ヵ月無料という条件を出され、うっかり出てしまったそうですー」

「で? 結果は?」

 何だかうきうきした顔ではる先輩が尋ねます。

「見事優勝して、二十日さんはビールを手に入れ、先輩は家賃3ヵ月無料にされたそうです。で、出場したときに偽名を使っていて、正体も明かさなかったので、後にミスが行方不明の正体不明という事態になり、人々は大いに混乱したといいます。実は、あの人は宇宙人だったとか幽霊だったとか幻覚だったとかっていう色々な噂が広まり、その全てを明確には否定も肯定もできず事件は迷宮入り……」

 そこまで語ったところで、ふと目の前の3人の視線が私の後ろに向いていることに気付き、ついでに背後に殺気と、こめかみに硬いものを感じました。

「貴ッ様は、何をべらべら喋っておるのかなー?」

「いぃっ! いたたたたたたたっ! 痛いですっ! 先輩痛いですっ! うぎゃー!」

 先輩は私の両こめかみを中指の第二関節でぐりぐりします。滅茶苦茶痛いです! しんちゃんの痛みが分かります。しんちゃんって誰かっていうと、クレ○ンのですよ。


「で、貴様らは何しにきたのだ?」

 先輩は疲れ切った表情で居間にあるソファに座り込みました。ていうか、普通、お客に椅子を勧めませんか? お客が座布団で、先輩がソファって……。

 そして、先輩が女装するに至った諸般の事情って何なんでしょう?

「えっとですね。ちょっと勉強をしに来たんですよ」

「これ、その課題のプリントです」

 プリントを受け取った先輩は「ふむ」と軽く頷きました。

 普段は部屋に他人を入れたがらない先輩ですが、女装を見られたショックとか何とかでうっかりしているようです。

 先輩は部屋の一角を見つめます。

 私の部屋がある方の壁には壁を全て覆い隠すほど巨大な本棚が鎮座しています。もしも、地震がきたとき、これの下敷きになったらただでは済みそうにありません。本棚には数百もの本が詰め込まれています。そのジャンルは難しい学術書から、大昔に出た文庫、最近出たばかりの小説に流行の新書と、種類は様々です。

「この辺りが文学系だったと思うのだがなー」

 先輩はぶつぶつ言いながら本棚を漁ります。あまりにも本が多過ぎて自分でも何が何処にあるのか分からないらしいのです。たまに一年に何度かもう読まないであろう本を実家に送ってもいるので、実際に先輩が持っている本は千を軽く超えているはずなのです。そのうちのどれが実家にあって、どれがこっちに置いてあるか、そして、こっちに置いてあったとしても、この壁のように高く幅の広い本棚の何処に目的の本があるかなんてことは中々把握できないようなのです。

「む。あったぞ。豆でも分かる日本文学の歴史」

「豆……」

「作者が豆井っていう名前なんだ。ともかく、日本文学史を学ぶには良いと思うぞ」

 先輩は、軽い名前の割には分厚い本を誰に渡すか迷って、とりあえず御徒先輩に手渡しました。

「じゃ、それやるから帰れ」

 御徒先輩が吃驚した声を上げます。

「ちょっと、その言い方ってどーかと思うけど! 学部が違うとはいえ、同じ大学の先輩後輩じゃない! もうちょっと仲良くしてもいいんじゃない? お茶出すとかお菓子出すとか! しかも、私たち何だかんだあってお昼ご飯まだ食べてないから何か出してくれてもいいんじゃないかなぁっ!?」

「伊井国。お前、何だか尤もらしいことを言っているように見せかけて、実はかなりおこがましいことを言っていないか?」

「気のせい気のせい」

 疑いの目で見つめる先輩に対して、はる先輩は顔を横にぶんぶん振って否定します。

 先輩は暫ししかめ面をしていましたが、少しして立ち上がり、台所へ行きました。

「しかし、冷蔵庫の中には何もないぞ? 酒なら売るほどあるがな。売らないが」

 先輩は何言ってるんでしょう。酔ってるんですかねー? 昨日のお酒がまだ抜けていないのかもしれません。

「え!? 本当に何かお昼作ってくれるの!?」

「だから、冷蔵庫の中には何もないって言ってるだろ」

 はる先輩の言葉に先輩は気難しげに眉根を寄せます。何だかんだ言って先輩は御徒先輩たちと結構仲が良いのです。部屋に押しかけてきても、無理に外へ追い出そうとしていないのが何よりの証拠です。先輩は気に入らなければ例え、相手が女子供でも、ケツを蹴っ飛ばしてでも部屋から平気で放逐しようとする人ですからね。

「あ。じゃあ、私の部屋から食材持ってきますよー」

 せっかく、先輩が己の部屋で珍しく人と一緒に御飯を食べようという気分になっているのを助けるべく私は自分の部屋の冷蔵庫に貯蔵している食材を持ってくることにしました。さて、お昼は何にしましょう?


「私の部屋にホットプレートがあって良かったですー」

「なぁ、おい。絹坂。何で、お前は1人暮らしなのに、こんな大家族用ホットプレートがあったりするんだ? 俺には全く理解できんぞ」

「先輩先輩! そんなこと言ってないで早く引っくり返して下さい!」

「早くしないと焦げるってば!」

「ええい! 俺はこーいうのは苦手なんだ! む!」

「あぁー。形崩れたー……」

「そんな責めるような目で俺を見るな! だから、俺は苦手だって言っただろ!」

 先輩はがみがみと怒鳴ります。

「絹坂! こっちはお前がやれ!」

 そして、ぷりぷりと怒って、私にヘラを押し付けました。仕方ないですねー。

「よいしょっと」

「わぁっ。きぬちゃん上手ー!」

「綺麗に裏返せたねー」

 ふぅ。綺麗にできたようです。ここ数年間、毎日料理を作っている私の腕は伊達じゃあないのです。皆さんはやんややんやと褒めてくれますが、先輩は1人不機嫌そうです。まぁ、先輩は基本的にいつも不機嫌なんですが、いつもにも増して不機嫌そうなのです。

「先輩? お好み焼きが綺麗に裏返せなかったからって気に病む必要はないんですよ?」

「うるさいわっ! そんな慰めるような感じに言うなー!」

 思ったとおり先輩は怒鳴りました。怒鳴られるって分かってるのに、こーいうこと言っちゃう私ってばMなんでしょうか?

 さて、さっきからの会話で分かるとおり、本日のお昼はお好み焼きとなっています。

 ちょうど、私の部屋に大量のキャベツと豚肉がありましたし、部屋に持ち込んで以来、1度も使っていない大型ホットプレートを使う絶好の機会だと思い、お好み焼きにした次第です。足りないものは近くのコンビニで調達しました。今のコンビニって便利ですねー。

「これって、もういいんじゃないかな?」

「うん、いいよね」

「いいと思ったらさっさと食え。食って、早く家に帰って勉強しろ」

 先輩はぶっきらぼうに言います。何だかとっても嫌な言い方ですが、これが先輩の基本的な話し方なのです。言いたいことの本質は「遠慮せず早く食べなさい」なのに、この人の場合、何でか余計な言葉をぽこぽこくっつけてしまうのです。ツンデレなんですよ。きっと。

「いただきまーす」

 御徒先輩たちは先輩の言葉を気にすることもなく早速出来上がったお好み焼きを食べます。もう先輩の癖というかこーいう習性に慣れたのでしょうか? それとも食い気が勝ったのでしょうか?

「むぐむぐ。うん、美味しい」

「やっぱり皆で食べると美味しいもんよね」

「でも、きぬちゃんは料理上手だよね。キャベツの千切りとか凄く手馴れてた」

「毎日料理作ってますからー」

 私はえっへんと胸を張ります。

「偉いねー。それってやっぱり先輩の為?」

「勿論です!」

「そんな健気な彼女を持つ先輩は幸せものですなー」

 はる先輩のからかうような言葉を先輩は無視しました。でも、何だかちょっと頬が赤くなっていたような気がします。ちょっとは照れてたのかもしれません。

 このとき、私たちは全く気付いていなかったのです。忍び寄る巨大な災厄に……。



「なあ、絹坂」

「何ですかー?」

「お前が外に出ているとき、空はどうだった?」

「うーん。何だか分厚い雲がどんどこやってきていましたねー」

「風は?」

「ぴゅうぴゅうと強く吹いていて髪の毛が滅茶苦茶になりそうでしたー」

「雨は?」

「ちょっとぽつぽつと大粒のがきてましたねー。微かに雷鳴も聞こえましたー」

 先輩は「なるほど」と頷きました。

「つまり、こんな事態になる兆候を貴様は分かっていたわけだ」

 そう言って先輩は私を見下ろします。にんまりと微笑んだ口元とこめかみの血管がぴくぴくしています。そして、何で、そんなに指をごきごき鳴らしているのですか?

「貴様がこの兆候をさっさと俺に伝えておれば、俺は連中をさっさと家に帰せていたものを……」

 先輩は既に微笑みも消え去り、憤怒の表情で私の頭を掴みます。そして、指に力を……。

「ぎにゃー! 痛い痛い痛い!!!」

「痛いじゃねぇっ! 貴様がわざとか何なのか知らんが俺に言わんからこんな事態になったんじゃろうが!」

「痛いです痛いですーっ! 頭蓋骨が割れますー!」

「うるせぇー! 我慢しろ!」

 私たちがやりあう玄関先。その扉1つ向こうは暴風雨の真っ只中。

「台風だってー」

「いきなりねー」

「何か急に速度を増して房総半島に上陸したんだってー。気象庁も予想外の展開なんだってさ。テレビでは台風の奇襲っていってるよ」

 私たちの背後―居間の窓から外を見ながら口々に言います。

 彼女たちの側で付けっ放しになっているテレビ画面で暴風雨に晒された新人男性アナウンサーが叫んでいました。

『関東に上陸した台風21号はっ! 現在、房総半島に上陸! ここお台場でも凄い風と雨です! 立っていることも難しい状況です! あっ! 今、大きな看板のようなものが飛んでいきましたっ! 外にいるのは大変危険ですっ! くれぐれも外に出ないようにして下さいっ!!』


「えーっと、まぁ、そんなわけで、外が大変危険で、帰るに帰られなくなったので、暫くここに置いて下さい」

 御徒先輩たちが深々とお辞儀します。

「む、むぅぅぅ……」

 ここまで下手に丁寧に出られては先輩も強くは言えません。尚且つ、外の暴風雨の状況は先輩もよく分かっています。まぁ、御徒先輩たちの大袈裟なほどのお辞儀には冗談の意味も大いに含まれているのでしょうが。生憎というか、御徒先輩たちにとっては運良く先輩は冗談と本気の区別を見分け辛い人でした。

「まぁ、致し方あるまい。緊急事態であるしな……」

 そう言ってからも先輩はむーむー言ってました。牛ですか?

「まぁ、ゴロゴロしているのは時間の無駄だし、せっかく、先生もいるし、資料もたくさんあるから、ここで課題済ませちゃおっかー」

 御徒先輩たちはそう言って、課題をやり始めました。

 何はともあれ、こうして御徒先輩たちは先輩の部屋に見事寄生したのでした。

 さて、ついでなので、私も経済のレポートを済ませることにします。

「おい、お前、それ。フリードマレになってるぞ? わざとか?」

「あ、いえ、違いますよー。間違えたんですー。先輩、習性ペンあります?」

「いや、ない。昨日、なくなった」

 ガッデム……。


「おぉーい。後輩ーって、何だこのハーレムはぁっ!?」

 いきなり、ドアを開けて、暴風雨と共に家に入り込んできたのは、この木暮壮の大家にして管理人の木暮二十日さんです。朝もこの部屋でぐったりしていた人です。しかし、入ってきて早々ハーレムって……。

「わけの分からんことを言わんで下さい」

 先輩は読んでいた心理学の本から顔を上げ、迷惑そうに言いました。そして、ちょっと目を見開きます。

「てか、二十日先輩。何で、あんた、そんなにびしょ濡れで、髪ぼさぼさの服ボロボロなんですか?」

 先輩の言うとおり二十日さんはボロボロでした。この台風の中、外出していたのでしょうか?

「いやぁ、うっかり家の酒を切らしちゃってねー。買い物に行ったんだけど、お店全部仕舞ってやがんの」

 そりゃテレビで臨時ニュースやるくらいの台風がくりゃあ店だって閉めますよ。

「でさ、何で、女の子がこんにゃに?」

「ちょっと避難中なんです」

「なるほど。あ。私、ここの大家で、木暮二十日っていうの。文京大学の4年生。よろしく」

 二十日さんはひょいっと片手を上げて気楽に自己紹介しました。

「私たちも同じ大学ですよー。2年生です」

「あぁ、どーりで何か見たことあるような気がしてたー」

 二十日さんは納得したようにしきりと頷きます。

「で、私は伊井国遥です」

「椎名真智です」

「御徒真知です」

「御徒町?」

 御徒先輩の自己紹介に二十日さんは目をパチクリさせます。東京近辺に住む人はご存知でしょうが、御徒町は山手線の駅がある東京の地名です。

 御徒先輩は少し眉をひそめました。本人はその名前のコンプレックスを克服したと仰いっていますが、まだ少し引っ掛かるところがあるのでしょう。

「で、あなたはわざわざ何しに来たんですか? まぁ、概ねの用は分かるが」

 不意に先輩が口を挟みました。

「あ、うん。お酒あるー?」

 二十日さんは何の遠慮もせず勝手に冷蔵庫を開けます。

「あるねー。よっしゃー! いただきまーす!」

 そして、すぐさまビールを煽ります。

「ぷひゃー! やっぱ、これやねー!」

 二十日さんは能天気に酔っ払いだしました。

 この人は明るくて元気で楽しい人なんですけど、お酒に目がなく、ほぼ毎日、大量の酒を消費するうわばみなのです。しかも、誰かが一緒に飲んでくれないとダメっていう迷惑な人です。更に言えばデリカシーも結構足りません。だから、さっきのように思ったことはすぐ口に出してしまう人なのです。困った人です。

 しかし、考えてみれば、さっき、先輩はあえて話題を変えるようにさり気無く口を挟んだのかもしれません。先輩も自分の名前にコンプレックスがありますから、共感するものがあるのでしょうか?

「おりゃー! 絹も飲め!」

「むー。ダメですー。私はまだ未成年だから飲めませんー。お酒担当は先輩ですー」

 私の言葉で二十日さんはふらふらと先輩の方へ向かいます。

「貴様! 俺を売るのか!?」

 先輩は慌てて逃げます。昨日、散々飲んだのがまだ堪えているのでしょう。

「むぅー」

 二十日さんは不満そうにほっぺを膨らませます。

 そして、彼女は視線を向けた先に新たな獲物を見つけるのです。

「きらーん」

 口にした擬音そのままに二十日さんの目は光っているように思えます。

「そこのお嬢さん方ー。ちょいとお酒に付き合ってちょーだい!」

「だ! ダメですよ! お酒はダメ! ダメ! 絶対!」

 彼女に対し、御徒先輩が俄然と立ち塞がります。どーしても、他の2人にお酒を飲ませたくないようです。

「酒癖悪いのか?」

 御徒先輩の隣に立った先輩が小声で尋ねます。

「えっと、結構」

 御徒先輩は控え目ながらもはっきりと言いました。

「しぃの方は何となくヤバそうだな。はるは酔ったら面倒臭そうだ」

 先輩はちらっと他の先輩2人の方を見ました。しぃ先輩とはる先輩は何でそんなに御徒先輩が必死なのか分からないようでキョトンとしています。

「仕方あるまい。二日酔いで頭が痛いが……」

 先輩はぶつぶつと文句を言いながら二十日さんの持っているお酒を取り上げぐいっと一気に飲み干しました。

「げふぅ……」

「「「おぉー」」」

 先輩の見事な飲みっぷりに感嘆の声が上がります。先輩はお酒得意人間なのです。しかも、酔わないっていうか、酔っていたとしても普段と全然変わりませんし。ただ、二日酔いで具合を悪くしてげーげー吐くだけです。

「よし! 後輩! いい飲みっぷりだ! どんどん飲むぞー!」

 先輩はちょっと泣きそうな、ヤケッパチみたいな顔で二十日さんのお酒に付き合うのでした。

「ねぇ、ちょっとくらい飲んでも……」

「はるちゃんはダメ! 人の家にお世話になってるんだから、酔って迷惑かけたりしたらダメだよ!」

「かっちゃん。何で、そんなに一生懸命なの?」

「しぃちゃんは絶対にダメだからね! 二十日先輩とかふらふらしてるから、寸止めしても間違って当たっちゃいそうなんだから!」

 御徒先輩は頑張って、2人を抑えていました。

 こんなふうにして台風を空に迎え、御徒先輩たちに寄生された先輩の部屋での夜は過ぎていったのです。

 さて、私は先輩が悪酔いしないように消化の良い酒の肴を用意することにします。



「う。ぐぅえ、げー。げほっ! ごほごほ……」

「先輩ー。大丈夫ですかー?」

 トイレのドアに背を当てて、私は尋ねます。

「……俺が大丈夫そうに見えるとしたら、貴様は直ちに病院に行って検査してもらえ。目も耳も脳もイカれてるぞ……」

 そして、また嘔吐音。正直、聞くに堪えない音ですが、まぁ、それでも、先輩の側にいたいのですから、私の先輩狂いも大したもんです。

 暫くしてトイレの中で盛大な洗浄音が聞こえ、私は背をトイレのドアから離します。

「あぁ、もう嫌だ。酒はもう止めてやる……」

 げっそりした先輩はトイレから出るなり呟きました。ちなみに、この台詞を私はもう十回以上聞いています。私は予言します。先輩は絶対、この先もお酒を止めません。

 先輩は口を入念にゆすいで歯を磨いてから、よろよろと居間に戻ります。

 居間には4人の女性が寝転がっています。

 1人は先輩がこんなんになった原因である二十日さん。この人は床にテキトーに転がってます。

 あとは、御徒先輩、しぃ先輩、はる先輩です。彼女たちは私の部屋と先輩の部屋と二十日さんの部屋にあった毛布や布団を総動員して仲良く並んで寝てもらってます。お陰で私らは寝床を失ってしまったのですが、まぁ、結局、こうして朝まで二十日さんに付き合うことになってしまったので、あってもなくても関係ないですがね。

「こいつらはのほほんと気持ち良さそうに寝ておるなー」

「ですねー。可愛い寝顔ですねー」

「お前の方が年下だろうが」

「まぁ、そーですけど。でも、可愛いです。純粋で良い子なのがよく分かりますね」

 人柄が無防備な寝顔に出ているように思えます。

「うむ。眩しいくらいに」

「ええ。眩しいくらいに」

 私と先輩は揃いも揃って目を細めて3人の寝顔を観察します。しかし、やはり眩しいです。たぶん、それは私も先輩も心根があんまり良くないからでしょう。

 私はたまに人から、純粋無垢だとか天真爛漫だとか天然で自然な感じとか言われることがありますが、それは全て間違いなのです。

 正直に言いましょう。私は極めて自己中心的で我侭で、執念深く強欲な人間なのです。現在まで、私が先輩を手に入れる為にやってきた行為をよくよく見てもらえればそのことは十分に分かることでしょう。

 それでも、私の評価が本質と全く違うのは、何故かというと、それは簡単。つまり、猫を被っているからなのです。私は強欲な雌狼の姿を猫の皮で巧妙に隠しているのです。まぁ、先輩は今ではすっかりお見通しのようですけれどもね。

 そんな自己偽装に長けた私に対して、先輩は自己中心的で我侭で偏屈で短気な自らの性質を隠してもいないわけです。こちらはそのまんま皮も被らず堂々と己を見せつける獅子とでも例えましょうか。

 つまり、私と先輩は、本質的には結構似た者同士なわけです。

 そんな性格の悪い私たちは、純粋で良い子な御徒先輩たちの美しい心を曝け出す寝顔を見ていると、自らの心の汚さが際立つような気がしてしまうのです。

 私は微妙な気分で先輩を見上げました。すると、先輩も私を見下ろしていました。

 私たちは無言で、目で語り合うのです。

「まぁ、性格悪いの同士これからもよろしく」

 お互いに意思は伝わったようで何となく苦笑します。

 あ、そうだ。

「先輩。キスしていいですか?」

「……嫌だ」

 先輩は渋い顔で拒絶しました。まぁ、このお願いをすると大抵先輩は最低1度は必ず拒絶するんですけどね。

「何ですか。せっかく、良い感じの雰囲気なのに」

「お互いの性格の悪さを確認しあうのが良い雰囲気なのか?」

「むー。それはアレですけど。今は結構良い雰囲気だと思いますよー?」

 台風一過。空は素晴らしい秋晴れで、東の空には太陽が白く輝き、朝の日差しがこの部屋にも差し込んでいます。白い光の中で男女が2人。これを良い雰囲気と言わずして何という。ぶっちゃけ、雰囲気なんてあんまり私は気にしないんですけどね。

「ほらほらー。彼女が求めているのに、それを無視する彼氏ってどんなもんですかー? 男が廃りますよー?」

 そう徴発すると、先輩は不承不承といった感じで腰を屈めました。結構身長差があるので、立ったままキスをするときは私は背伸びを、先輩は腰を屈める必要があるのです。

 唇が合わさります。私は即座に先輩の後頭部に両手を回し、にゅるっと舌を入れます。

「むー!!」

 先輩が怒ったように唸ります。ここまでやるのは予想外だったのでしょう。

 この人は結構照れ屋ですからね。寝ているとはいえ、他の人がいるところでは、あんまりこーいうのをしたがらないのでしょう。まぁ、普通といえば普通ですね。

 でも、私は、こーいうことを人前でするのが結構好きなのです。バレるかもっていう緊張感が堪らないってのもありますけど、それよりも、たぶん、人に私と先輩が愛し合っているんだ!ってことを見せ付けたいのだと思います。

「うわー……」

 ふと気付き、目を開けると、御徒先輩、しぃ先輩、はる先輩が目を覚ましていて、私たちを真っ赤な顔で見ていました。

「うぐにゃぁっ!」

 先輩も気付き、慌てて、私を突き放し、口元を拭いました。

「大人なキスだった……」

 誰かが呟き、先輩はここにいる誰よりも顔を真っ赤にしました。

 対して、私は何だか誇らしげな気分になっていました。胸を張って宣言します。

「これが愛です」

「「「おおー」」」

 上がる感嘆の声。続く拍手。

「……………っっ!!!」

 先輩は顔をトマトみたいに真っ赤に染め、泣きそうな顔をして、無言で部屋を飛び出していきました。

「あぁっ! 先輩! 自分の部屋を飛び出して何処へ行くんですかー!? 待って下さーいっ!」

 咄嗟に、私は追いかけます。

 と、その前に、私は駆け出しかけた足を止めます。

「先輩たちは、どーします? もう帰ります? 台風は止んでますよ?」

「あ。うん、そーね。もう朝だしねー」

「文学史の課題も全部できちゃったし。先輩の添削も受けたからバッチリ」

 3人はのろのろと起き上がります。

「布団はそのままでいいですよー。後で私が運びます。シャワーはご自由に。歯ブラシは、これ、まだ使ってない予備です。この前、商店街の福引で何故か10本も貰ったんで、あげます。口ゆすぐのはこのカップですね。あ、もし、着替えたかったら、私の部屋のタンスにあるのをご自由に。サイズはしぃ先輩以外は合わないと思いますけれど。これ、私の部屋の鍵です。で、帰るときは鍵開けっ放しでいいですよー。どーせ泥棒が来たって盗むもんないですしー」

 私は早口で必要な伝言を全て言いました。

「あ、うん。分かった」

「先輩を追いかけなくてもいいの?」

 しぃ先輩がちょっと心配そうに言います。

「大丈夫です。あの人の行動範囲は全て把握済みです!」

 この時の私はかなり活き活きとした表情をしていたことでしょう。こんなにも楽しい日々があったでしょうか? いや、ないのです! そりゃ活き活きともしますよ!

「きぬちゃん。幸せそうだね」

 御徒先輩が言いました。

 私は満面の笑みで答えるのです。

「勿論っ!!」

 そして、私は駆け出しました。先輩を捕まえる為です。

「ふふふ……。先輩、逃がしませんよー。一生……。ふふふふふふ………」


かなり暴走しました。

頭がどっかおかしくなったのかもしれません。

何もコラボ小説を書くときに暴走せんでもええと思うのですが、してしまったものは仕方がありません。

お見苦しい点があるやもしれませんが御容赦下さい。

工場長さん、こんなんになってしまいました。すいません。そして、ご協力ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] どもー、読ませていただきましたよ。 ……まず、この長さに驚きました。でも、面白かったですよ。見事な暴走っぷりで。 とまあ、長い分チェックが追いつかなかったのかもしれないですけど、あちこちに誤…
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