プロローグ「愛の告白はフェイク」
「縦書きで読む」推奨です!
遠くで鐘の鳴る音がした。
授業の終了時刻を告げるでもなく、部活動の終わりの時刻を告げるでもなく、何故かいつも鳴る午後四時の鐘。もしかすると、俺に午後四時を伝えるためだけに鳴っているのかもしれない。そう思うと心地が良かった。
図書室はいつも通りの図書室だった。
利用者はゼロ。
擦りガラスから入ってくる西日の当った埃がくるくると舞い、キラキラと輝く。小難しい外国語で書かれた古書は心落ち着く本の香りを放つ。遠くからは幾つかの放課後の学校の音が聞こえる。硬球を叩く乾いた金属音、放送部おなじみの「あえいうえおあお」の発声練習、ランニングの掛け声……。皆、総じて部活動に励んでいた。
青春だなあ、と夢見心地で思う。
伏せた顔の横に文庫を携えていたけれど、読む気が起こらない。授業ではろくに頭を使っていないけれど、拘束時間が長いだけで大きな疲れになる。
瞼が重い。
視界を閉ざす五秒前――――
ごー
よん
さん
にー……
はい、フェイドアウ………………
ト…………!?
霞みがかった視界に異物が混ざる。
突如目の前に、漆黒の暗幕が降りたのだ。左から流れるように、視界が暗く染まる。
それは人の髪だった。
女の人が俺の伏せがちになった顔を覗き見ようと、極限まで顔を近づけて、セミロングの髪の毛を重力のなすままにぶらりと垂らしているのだ。
知っている。
彼女の名前は水上綾乃。同じクラスの女の子。
他の女子生徒に比べて、頭一つ抜けて可愛い。お洒落にはとことん無頓着な彼女ではあるが、それを補って余りある可愛さがある。
なんで、水上さんがここに?
もっとも、彼女の学校生活の仔細に関しては知ったことではないが、少なくとも無人の図書館に来る理由なんてあるだろうか?
そもそも、今は部活の時間だろう。
寝ぼけているのか。そうか、これはきっと夢で…………、
「あ、あの…………、月城君?」
「は、はいっ!?」
名前を呼ばれたっ! 正気に戻って、飛び起きる。これは夢ではない。繰り返す。これは夢ではない。れっきとした現実だ。
「えっと、その…………伝えたいコトがあって」
頬はうっすらとした桃色。
手を後ろに組み、そわそわした様子だ。
放課後の図書館で二人きりというシチュエーションに、胸が高鳴っているのは俺だけでなく、彼女も同じなのだろう。
「な、なんだろう。伝えたいコトって?」
そのまま問い返す。
すると、彼女は顔を俯け、頬にかかった髪を指先で軽く払った。
「うん…………」
水上さんはなかなか切り出そうとしなかった。
きっと彼女のペースというものがあるのだ。
返事を急く俺と、照れ隠しをして告白をする彼女。体の中に流れる時間は自ずと違ってくる。
だから、俺は彼女が話を切り出すまで、じっくりと待った。
そして。
「月城君のことが…………、好き、です」
やはり、愛の告白だった。
なんとなく予想はついていた。分かり易く照れ惑う彼女を見て、見紛うはずもない。
それでも、やはり緊張していた。
かれこれ十七年間生きてきて、女の子から「好き」と言われるのは人生で初めて経験だ。
それに、何と言っても水上さんは、とてつもなく可愛い。
舞い上がって、頭が真っ白になりそうだ。
「どう、ですか…………?」
と、上目遣いで問いかけられる。
俺は弾かれたように、椅子から立った。
「え、えっと、こんな俺でよければ…………、是非…………、ん、水上さん?」
彼女は握りこぶしをつくり、床をじっと見つめて、ふるふると震えている。
次の瞬間だった。
「うああああああああああ………………!! もう、無理っ!」
…………へ?
彼女は目を瞑り、地面に向けて大声で奇声を発した後に、飛び跳ねるようにして一歩後ずさった。
今となっては、怯えた目で俺の方を見続けている。
「はい、カットぉぉぉぉぉ!!」
そして、矢継ぎ早に見知らぬ第三者の声がけたたましく響く。
見れば、本棚の裏に人影が二つ。
それらは何の悪びれもなく、俺と水上さんの目の前に出て現れた。
えっ、今って愛の告白のやりとりの最中だったよね。
なんで、そこに割り込んで平然としていられるんだ、という心の叫びは届かない。
届かない。
「いやぁ、迫真の演技だったね、綾乃ちゃん!」
長身の女生徒が気さくに言った。
俺と同じくらいの背丈だから、少なくとも一七〇センチはあるだろう。痩身麗人で、おっとりとした雰囲気を身に纏っている。どうやら、彼女は三年生。スリッパの色で判別することができる。
「ものすごく、恥ずかしかったんですよ! で、夕里ちゃん、こんな感じでよかった?」
と、水上さんはもう一人の女生徒に訊いた。
身長は俺の肩ほど。学年は一年だけど、見た目はもっと幼い。赤いアンダーリムの眼鏡が特徴的だ。
「はい、バッチリです。いい感じに描写できました!」
少女は手に持ったメモを読みあげる。
「……おほん。
『月城君のことが…………、好き、です』綾乃は頬を真っ赤に染めて、思いの丈を言い切った。『え、えっと、こんな俺でよければ…………』と、月城は言った。彼は告白を快諾したのだ。しかし、綾乃は思いとどまった。なんで、こんな得体のしれない、さしてイケメンでもない、むしろ引きつった笑みがちょっと気持ち悪いくらの男に告白しているのかと。突如、月城は勢いよく席をたった。綾乃は身の危険を感じ、トムソンガゼル顔負けの跳躍力で、後方へ飛びあがった。
…………どうでしょうか?」
「ええっと、これは、わたしが月城君のことを本当に好きな体で告白したつもりなんだけど……?」
それに、トムソンガゼルって……と、付け加えて綾乃は苦笑いした。
「まあ、いいじゃない。面白いものが見れたわ。持ち帰って、ゆっくりと語り合いましょう」
長身の女生徒がそう締めくくる。
その刹那、俺と目が合って。
「じゃあ、そういうことで」
と、言って、この場を後にしようとした。
「待って下さい」
俺は、その肩に手を当てて、引き止める。
「『じゃあ、そういうことで』……じゃないです。ちゃんと説明してもらいますからね!」
「う、うーん。やっぱ、そうなっちゃう?」
当然だ。
まず、第一に、ことの次第が全く掴めない。
そして、第二に。
唯一漠然と分かることは、おそらく、俺の健気な純情が踏みにじられたということだ。それを糾弾せずになんて、いられるはずもない。