i fine?
木々は茶黄に色付き始めていた。
夜には少し肌寒い木枯らしが吹く。
さほど大きな変化もなく、この町は日常を選んでいる。
見る人が見れば、退屈な街だろう。それでも平和なものだ。
公園のベンチに小柄な少女が一人、全身を座面に預けていた。
灰色のパーカーのヒモがだらしなく垂れている。
同色のフードを目深に被った少女は、閉じていた眼を開いて、うろ気に空を見やった。
鳥は飛んでないが、わずかな囀りが聞こえてくる。 風は撫でる程度の風圧で、実に穏やかなものだ。 季節毎に替わり咲く花々の豊かな香りが、仄かに鼻孔をくすぐる。
実に平和だった。
その平和を成り立たせているのは、めざましいほどに発達した技術の所以でもある。
ここ100年近くであらゆるものを持たなくなった。
毎日モノを持つといえば、食事くらいだろうか。
情報は全てパーソナルウィンドウを通して表示されるし、個人の情報などは身体の中に埋め込まれた超小型チップが認識する。
もちろんチップを内蔵して生まれてくるわけではないが、生まれてすぐに後頭部にミクロ単位の生体認識チップを埋め込まれる。
当然人体にチップを埋め込むなどと、倫理の観点から反対もあった。
だが個人情報の最大の保護は、本人が常に持ち歩く点にある。ソレ以外は不要となる、などと説いた学説から、今では当たり前となっていた。
過去の産物であるペンや本といったものは博物館などでないとお目にかかれない。
現在の人間からすると、常に何かが記されたものを持ち歩く、という感覚がよくわからなかった。
つい今しがた目の前を通った男もそうだろう。
胸元に公務員のバッジをつけていた。おそらくは役所の人間だろう。
両手に特別何かを持ち歩くわけでもなく、歩くために手を振っているといった感じだ。
左手の指輪が彼のパーソナルウィンドウだろう。
時間的に出勤だろうか。
カバン、などというものを昔は持っていたらしいが、全てが情報化された今では不要の代物だった。
どんな世界だったんだろうかと 夢想してみるも、不便という言葉しか思い当たらない。
情報のやりとりは全てパーソナルウィンドウで行う。ので荷物を入れておけるカバンなどは不要だ。
携帯電話?というのも、やはりパーソナルウィンドウの対面チャットシステムでいいだろう。
身の回りや身だしなみも、各自の家に備え付けのハウスキーパーが自動で行う。
食事だけは手を使うが、あとは特に持ち歩くものは思い当たらない。
やっぱり今のままでいい、そう一人ごちて再び目を閉じた。
「ひぅっ!?」
首筋に冷たい刺激を受けて背筋が伸びる。
「まぁた朝飯も食わずに。身体に悪いぜ」
逆光に照らされて顔は良く見えないが、見知った飄々とした声だ。
声のした方を睨み付けた。
「……私の勝手だよ、ニクル。だいたいそんな健康オタク今時流行らない」
「いいンだよ好きでやってんだから」
ニクルと呼ばれた男はニカッと笑って、目の前の茶毛をくしゃくしゃに撫でた。
「そうやって自分の趣味を人に押しつけるの、やめてくれないかい」
頭のせわしなく動く手が鬱陶しくなって振り払う。
「フィニももっと食ったほうがいいんじゃねぇか?いつまで経っても背が伸びないぜ」
「よ、余計なお世話だ!」
力いっぱい蹴りを入れたつもりだったが、ニクルはびくともしない。
莫迦に頑丈なやつめと悪態をつき、眉間にしわを寄せむすっとする。
「はは、好き嫌いすンなよ」
屈託無く笑い、冷えたスポーツドリンクを手渡された。最初に驚かされたのはこのペットボトルのせいか。
「フン…」
受け取り、どかっとベンチに座り直す。
ベンチにひじを着き、その方向に視線を落とす。
ニクルの言葉。
彼女にとっては皮肉にしか聞こえなかった。
もちろん、ニクルは気付かずお節介を焼いているだけだろう。
だが……。
誰が自分の運命の枢軸を知っているというのだろうか。
今そうして生きている事自体、当たり前だと享受するかのように生きている。
人間とは往々にしてそういうものだ。
決められた枠組みから逃げ出せやしないというのに。
公園に建てられた一本の時計。10時50分を回る頃だった。
ふと思いだしたようにフィニは口を開く。
「なぁ、ニクルよ」
「なんだ?」
頬杖をついて目線を投げたままの姿勢の彼女を見る。
フィニはさほど興味もなさそうに棒読みで続けた。
「今日はいいのかい?」
「いいって何が?」
さすがのフィニも眉をひそめてニクルを見返す。
「……お前はまったく」
はぁ、とひとつ溜息をついて次の言葉を示した。
「……例のバイトはどうした」
「げ、やべぇ!またな!フィニ!」
まるで放たれたウサギのように走っていった。
今度はふぅ、と溜息をつく。
ようやく静かになった。
ニクルは根は悪い人間ではない。むしろお人好しの部類だ。
そのことはよく知っている。
知ってはいるが、あまり人と関わるのが好きではないフィニには、共にいるほとんどの時間が鬱陶しく感じられた。
一度、命を救われたから仕方なく共にいるだけだった。
フィニはあまり人との接触を好まない。
4ヶ月ほど前、本を読みながら出歩いていると、暴走した車がフィニめがけて突っ込んできた。
耳にイヤホン、本に夢中。
そんな状態だったので車が向かってきてることも知らず、ぶつかる寸前のところまで車が迫った。
間一髪、飛び出した男に抱えられて車道へ転げる。
車は壁に激突し大破、運転手は奇跡的にも生きていた。
フィニを抱えて飛び出した男、それがニクルだった。
そんな状況にも関わらず「大丈夫か」などとニコニコしながら聞いてくるものだから鬱陶しさに辟易していた。
それが彼との初対面。
殺されかけた車の所有者を社会的にも抹殺してやろうかと考えてたが、ニクルは相手まで庇ってしまう始末。
そのお人好しのバカさ加減にいよいよ呆れ、結局は謝罪のみでその場を収めた。
もう彼等と会うことはないだろう。そう思っていたが、甘かった。
その後も事ある毎にフィニを見つけ、何かと構ってくる。
裏路地だろうと、郊外だろうと、何処にいようとも、どういうわけかニクルがいた。
それというのも、ニクルのバイトが主に関係していたようだった。
今時珍しい、現物の手紙を運ぶメッセンジャーをやっていると聞いた。
手紙なんてものは50年も前に絶滅していたと思っていたが、レトロな物好きたちが心や粋なんてものを大事にしているのだろうか。
現代人にはあまり馴染みのない感覚だった。
毎回じゃれてくるニクルのことが鬱陶しくて仕方がないが、仮にも命を救われた恩人である。
あまりムゲにも出来ずに今に至る。
少し感慨に耽ってしまったか。はっとして時計を見る。
5分も経ってないのを確認し、安堵した。
柄にもないことをしたと、目の高さの前髪を無造作にいじる。
特にこれからの予定はない。
が、しようもないことで時間を浪費するのだけはなんとなく嫌だった。
公園という一角。
穏やかな日差しの中、ふわりと柔らかい風が吹く。
風に乗って植えられたコスモスやパンジーが僅かに香る。
この公園や気候は既に人間の支配下にあった。
空を見ても目には認識できないが、無数の気圧調整装置が空を漂っている。
天気、気候、風の流れすらもコントロールしている。
自然にサイクロンなどが起こることは、今ではありえない。
公園は地域によって定められた気候は違えど、どこも穏やかな気候に設定されていた。
植えられた花壇もそうだ。
定期的にスプリンクラーが作動し水を撒く。
公園駐在の機械が清掃や草花の管理をもする。
我々人間はここでくつろぐことだけを考えられる。公園とはそういうものだ。
昔は全て人の手でやっていた、という事を考えると途方もなく虚しくも思えた。
皆がみんなそのような仕事をしていたのだろうか、それとも物好きだけがやっていたのか。
そこまでは以前読んだ歴史の情報に記述がなかった。
だが、平和だ。
鳥の鳴き声、水の流れる音、それら全ては脳をリラックスさせる。
平和なのは公園の特性でもある。
ここで寝泊まりしていた人間もいたというから、昔から公園が平和は共通なのだろう。
そう、至って平和だ。
平和な時間と気候に瞳はまどろみかける。
うつらうつらと意識を柔らかく遠ざけていった。
突然、車の急ブレーキする音が聞こえた。
耳障りで甲高い刹那的な音。
すぐ後に強烈な衝撃音が弾ける。
はっとして、つい先ほどの記憶が頭を過ぎる。
自分を轢きそうになった車、悪い予感が身体を急かした。
気がついたら現場に走り出していた。
公園の入り口からそんなに離れていない場所。
黒いタイヤ痕と煙。
轢かれたらしい人間が数メートル離れた場所で倒れている。
赤いスポーツカーは壁に激突していた。
割れたフロントガラスに大量の血が飛び散っている。運転手は即死だろう。
轢かれた人間の方を見る。
こちらも飛び散った血の量を見るに、生きている可能性は低い。
引きずられた死体を確認し、頭を抱えたくなる衝動にかられた。
「なにやってるんだい……」
倒れていたのはニクルだった。
俯せになっている彼の腕の中、黒い子猫が苦しそうに動いている。
ソレを助けるためにこいつは飛び出したのか?
あまりにも不可解だった。
徐々に野次馬も集まっている。早急に処理しなければいけなかった。
人混みから外れ、路地裏で足を止める。
「次から次へと面倒を持ち込みよって、全くあいつは」
フィニは左耳のイヤリングに触れた。
彼女の頭の中で電子的な声が響く。
≪ゴキゲンヨウ、フィニ≫
「本日の死亡予定者を照合」
≪了解シマシタ...≫
フィニの頭の中に次々と人物の顔と名前、そして固有IDが羅列される。
目的の行までなかなか辿り着かずじれったいフィニはコマンドを実行する。
「検索 ID:290235-FDF」
≪結果ニ一致ガアリマセン≫
ニクルは今日死ぬ予定ではなかった。
先ほどの車を運転していた人間の記録も見当たらなかった。
「やはり、子猫を助けるためにあのバカが飛びだし、相手も死傷させたと……?理解に苦しむ」
眉間を寄せ唸る。
再び左耳のイヤリングに触れ、そこで音声と映像は途切れた。
「莫迦が、死んでも面倒なやつだ」
フィニの右手が水平に薙ぐように動く。
そして世界の時間は止まった。
時の流れはゆったりと紡がれる。
急激な歴史の改変などあってはならないのだ。
右腕を伸ばし、手のひらを強く握る。
フィニは横目でニクルを一瞥した。
顔は見えないが、笑っているような気がした。
奇妙なやつだ、そう思って再び目を閉じる。
ぱっと上に向けて手を開くと、手のひらから空へと青白い光が浮かんで消えた。
世界は定められたシナリオへと書き直される。
幾つかの奇跡を犠牲にして。