第八話 エレナ
冒頭に、登場人物表を追加掲載しました。
エレナ・レイヤースは、傭兵団の少年と共に、食事の手伝いをしていた。干し肉と乾燥野菜のスープである。
「すっげーな! ねえちゃん見えないのに、手際良いなぁ!!」
元気で明るい少年の声に、エレナはくすりと笑う。
「料理は、いつも私が作っていましたから」
「そうなのか。慣れてるんだな。でも見えないのに包丁捌きに迷いがないのはすげーよ。恐くないの?」
「包丁はどう切るか迷いながら使う方が危ないんですよ」
エレナは苦笑する。
「ちゃんと使えるようになるまで何度か怪我した事もありますが、それは目が見えていても変わらないでしょう?」
「あ……そうか」
なるほど、と言わんばかりに頷く少年。
「頭で考えるより、身体で覚えろってやつだな!」
「そうですね。そんな感じです」
エレナは自分が今、どこでどういう状況になっているのか、はっきりわかっていない。一人で家にいた時、ダンにここは危ないからと、森の中の天幕らしき場所に連れて行かれ、そして暫くしてまた迎えに来た彼と共に、この異臭のする瓦礫のある川の近くのこの場所へと来た。
エレナの感覚と予想では、ここは元の場所──カザフの街──かそれに近い場所である。だが歩く感覚は初めてのものだ。火災の後の臭いと、森で獲れた鳥や動物の血抜きをしたり捌いたりした時の臭いと、腐敗臭、汗と馬や人間の体臭。その他、嗅いだことのない何かの臭い。
深く考えると嫌な考えが浮かびそうで、微かな不安に脅えながらも、いつも通りに振る舞おうと努力している。
何故なら、彼女は幼なじみで兄の親友であるダンを、信頼していたからだった。彼が彼女に害になるような、酷いことをする筈がない、と。他の誰かならともかく、彼女は兄と幼なじみを疑った事は一度もない。彼らもその信頼を裏切った事がなかったのだ、これまで一度も。
(だから、私はダンを信じる)
たとえその結果、命を落とす事になろうとも。
「……エレナ」
ダンの声に振り向いた。エレナは幼い頃に病気で視力を失ったが、声と雰囲気でわかる。ダンは今、落ち込み、悩み、苦しんでいる。
「ああ、ダン。もう少しでスープができるところよ。新鮮な野菜や食材がないし、あまり時間もかけられなかったから、味の保証はできないけど。できれば穀物が欲しいところね。乾いた固パンしかないみたいだけど」
わざと明るい声で話しかける。
「すまない、エレナ。俺は……」
「謝らないで」
エレナは微笑んだ。
「何があっても私は、あなたを信じているから。誰がなんと言おうと、どういう状況になろうと。まじめだけどおっちょこちょいのカイ兄様と違って、慎重で頭の良いあなたが、間違えるはずなどないもの。だから謝る必要なんてないわ」
その言葉に、ダンは顔を赤くする。
「エレナ! ……聞いてくれ、俺は……っ!」
「ここはカザフに程近い場所のようだけど、たぶん違う所ね。私達、これから何処へ向かうのかしら。もしかして、イルウォーク共和国?」
「……聞いたのか?」
おそるおそる、といった口調でダンが尋ねる。
「いいえ。誰も何も言わないし、教えてくれないみたい。でも、私、耳は良いもの。ここは帝国と共和国の人が多いようね」
「……エレナ……」
苦痛を堪えるように、ダンは唇を噛み締める。
「すまない、俺は……君を巻き込んだ。本当は俺一人で済む筈だったのに、俺は……っ!」
「あなたは私を助けてくれたんでしょう?」
見えない筈なのに、ダンを真っ直ぐ射貫くような目で、エレナは言う。
「私は、あなたを信じるわ。そのために命を賭けても良い」
きっぱりと言うエレナに、ダンは絶句する。
「恐がらないで、ダン。私は平気。あなたが私を守ってくれるんでしょう? 大丈夫、なんとかなるわ。死にさえしなければ、大抵の事はどうにかなるものよ。ほら、私だって、目は見えなくなったけど、普通に生活できてるでしょ?
人は何かを失っても、別の何かを得るように出来ているのよ。そのためには多少の努力は必要だけれど、神様はちゃんと見てらっしゃるわ。努力した分だけ、その人相応のものを与えて下さる。苦しい事や辛い事があっても、それを乗り越え、克服できれば、目には見えなくても、それに費やした何らかの成果や対価を得るものよ。悔やんだり嘆いたりする必要はないわ。死んだら終わりだけど、生きている限り、諦めない限りは、何度でもやり直せるもの。ねっ?」
エレナの言葉に、思わず涙を流しそうになって、ダンはぐっと堪えた。
「……エレナは強いな」
「ダンはいつまでたっても泣き虫ね。でも、ダンはそのままで良いの。だって、ダンが涙を見せるのは、私と兄様の前だけでしょ? 本当はもっと、他の人にも心を開ければ良いのだけど、それは仕方ないものね。ダンはいつも頑張り過ぎるから、それが心配。無理しないでね。泣きたくなったら、いつでも私の胸を貸すから」
「……相変わらずだな、エレナ。俺は……いつまでたっても君には勝てそうにないよ」
「勝ち負けなんかじゃお腹はふくれないわ。スープが出来たら、昼食にしましょう。何をするにも、食べて飲んで寝ることだけは大切よ。ダンは放っておいたらすぐ食事を抜いてしまうから、心配だわ」
「ちゃんと食べるよ、エレナ。君が作ったものを、残す筈がない」
「本当にそうだと良いけど。……ダン、私は、私だけは、何があってもあなたの味方だから。だから、私があなたを信じるように、あなたも私を信じてね?」
ダンは目頭を押さえ、頷いた。
「うん、有り難う……エレナ」
頷いたが、ダンは本当の事を話せそうになかった。簡単な状況説明すらできそうにない。だが、エレナには全て見透かされていそうだ、と思う。
「君の事が好きだよ、エレナ」
「私もよ、ダン。愛してる」
ダンにはそれが、親愛の情か、男女の恋愛に類するものなのか、判別つかなかった。