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第五話 経緯(二)

 ダンはそれまで、街から遠く離れたことはなかった。街道を離れて歩くことなどできなかっただろう。だが、人目に触れぬよう街道ではなく、その脇の道ではない所を歩くなどといったという知恵を知らなかった。だから、見つかったのは当然と言えた。その場ですぐ殺されなかっただけマシな状況だった。

 ダンを見つけたのは、ギィルの部下二人だった。一方の陰気な黒髪の男は、無言で腰のナイフを取り、問答無用でダンを殺そうとしたが、もう一方の快活そうな赤毛の男が、それを止めた。

『団長の意見を聞いてからにしようぜ』

 そして黒髪の男がしばし離れ、しばらくしてからその男と、ギィルと、二十歳くらいの美しい容貌の男がやって来た。

『お前はとても幸運だ』

 若い男が言った。悪い冗談としか思えなかった。男は戦場には不似合いな、これからまるでパーティーにでも出かけるような、上品で上質な衣装を身にまとい、厚手の革のコートをはおっていた。

 美しいが皮肉げな笑みを浮かべて、男は言う。

『お前は知らぬだろうが、私がこのような場所にいるのは、年に数回あるかどうかなのだ。ほとんどの期間を帝都と自宅の往復に当てているからな。お前は本当に運が良い。さて、お前の望みは何だ? お前の望み通りのものを与えてやる。金か、地位か、名誉か。いったい何を望む? 人の心も、命でさえも、私に叶わぬ願いはない。さあ、望め。そして選べ。お前の未来を。たった一つきりだ。たった一度きりだ。二度は聞かない。何も望まぬというなら、それでも構わない。その程度の性根の人間になど興味はない。お前は実に良い目をしている。理想的だ。さあ、お前の望みを叶えてやろう。さて、何が欲しい?』

 おかしな男だった。てっきり殺されるのかと思えば、好きな望みを言えと言う。

 だが、ダンにそんなものはなかった。だから、何も考えずに即答した。そんなものが叶えられるはずがないと思いながら。そんなことが許されるはずがないと思いながら。

『力を。この世のありとあらゆるものに打ちかつことができる、最強の力を』

 男は目を細めて、唇をゆるめて笑った。

『大胆不敵なやつだ。お前のように、肝の据わった男は、これまで数人にしか出会ったことがない。気に入った。それでは取引しよう』

 そう言って、男はゆっくりとダンに歩み寄り、そっと屈み込んで、額に唇を軽く押し当てた。

『!』

 ダンが慌てて飛び退くよりも、男が離れる方が先だった。

『心配するな。しるしというか、単なる儀式、ただの形式にすぎない。だが、契約はとりあえず成立した』

『…………』

 ダンは呆然と立ちつくす。慌てた顔つきでギィルが、ダンと男の間に割って入る。

『セルラウンの旦那、いったいなんでこんな……』

『この少年は飢えている。ギィル、サウェード、ラウル、お前達と同様だ。私は、飢えた者達の声は良く聞こえる。氏素性や生まれ育ちなどには関係ない。知っているはずだろう?』

『しかし、このガキは……』

『心配しなくても、私はただの一般人だ。軍事・戦略・戦術などに口を出す権限などない。少年の身柄についての判断は、お前の仕事だ。むろん、お前のことだ。適切に処理をしてくれると、信じているよ。全くお前は期待通り、いやそれ以上に育ってくれた』

『…………』

『それでは、私はこれで一度帝都に戻るよ。例の件と今回の戦果、共に良い結果を期待しているよ。次の再会は、何事もなければ、帝都だろう。では、な』

『え? もう行かれるので?』

『作戦中だろう? 忙しいところ邪魔をした。具合良く夕食もいただいて、重ね重ね礼を言わせてもらう』

 男の言葉に、ギィルは一瞬、硬直した。他の二人は、ラウルが首を傾げた他は、特に反応しなかった。

『また会おう』

 そう言って、男は立ち去った。ギィルはそれを少々困惑した顔つきで眺めやり、ダンに向き直ると、こう言った。

『悪いが、お前に選択肢はない。今すぐ俺に殺されるか、素直に俺に従うか、どちらが良い?』

『従ったら、どうなるんだ?』

『お前が俺に教えることは、これだけだ。カザフの街の正確な所在とその周囲の地形、それと、街の構造、それとお前の脱走経路だ』

 それを敵に暴露したらどうなるか、ダンは口にする前からわかっていた。

『それを教えたら、命を助けてくれると言うのか?』

 どうせ、この身に誇りも何もない。失うものなど何もない。いや、救えるのならば、たった一つだけ、救いたいものがある。

 頷くギィルに、ダンは言った。

『一つだけ条件がある。カザフの街に住んでいる一人の少女の助命だ。それがかなわないなら、何も教えない』

『わかった、と答えたら、了承するか?』

『もちろんだ』

『……そうか』

 ギィルは苦笑した。

『少女の名は?』

『エレナ』

 そう言った途端、ギィルの顔が引き吊った。

『なんだと?』

『エレナ・レイヤース。知っているのか?』

 ダンが驚いて言うと、ギィルは苦笑しながら、首を振る。

『いや、全然知らねぇ』

 騙された、と思った。無言で相手を睨みつけると、肩をすくめながら、男は言った。

『彼女の家の正確な場所さえ教えてくれたら、その家だけは攻撃しないように手配してやるぜ』

『……わかった。教える』

 ギィルは苦笑した。

『随分素直なんだな』

 ダンは無言で相手を見つめた。素直なわけではない。全てわかっていて、自分とエレナの命だけを助けようとしているのだ。実のところ、自分の命はどうなっても良い。最終的に、エレナさえ助かれば十分だ。事実を知れば、エレナには恨まれるだろうが、そうなったとしても構わない、と思った。どうせ死ぬなら、あの嫌な思い出ばかりの故郷の街ごと死んでやる、と思った。

『じゃあ、教えろよ?』

 偽悪的な口調と表情で。そうすると、ギィルのただでさえ、人相の悪い顔が、ますます悪人のようになる。脅されているのだろうか、とダンは思った。嘘をついたり、誤魔化しをさせないためかも知れない。だが、脅迫されるまでもなく、嘘など言う気はなかった。しかし、答える声は、震えていた。ギィルの脅しに震えたというよりは、自分の罪の重さに震えたのかも知れない。ぼんやり脳裏で呟きながら、機械的に答えた。

 何故か一度もカイの事は思い出さなかった。カイはどうなったのか、ということは、戦闘がディカルクェンド軍(正確にはそれに加え『黒の傭兵団』)の圧勝により、終了してからだった。

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