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第四話 経緯(一)

 ダンは、前は小男ギィル、背後は大男ガルンに挟まれ、無言で歩いていた。周囲にいるのは、全て敵だ。仮に、前にいる、残虐非道な策謀・戦術と、悪鬼のような戦い方で有名な男に従い、働くようになったとしても、周囲にいる人間は、全て敵だ。エレナ以外は。

 ならば、カザフにいた頃とさほど変わらない。親友のカイに助けて貰えなくなっただけ、負担は多いだろうが、借りた借りを返せない重荷と良心の痛みに悩まされることも、劣等感に悩まされることもない。

 救いはあったが、苦痛や苦悩もあった。他人に比較されたり、自ら比較して、悩むこともない。無二の親友を裏切り、死に追いやった苦痛や苦悩や悲嘆はある。だが、同時に解放感と、彼に対する気兼ねがなくなり、これからはエレナを独占できるのだというほのかな愉悦があった。

 カイとエレナは、ダンが密かな嫉妬心を抱くほど、仲の良い兄妹だった。カイの両親は、カザフの勇敢な戦士として有名であり、二人とも、ディカルクェンド軍との戦闘で、凄絶な死を遂げた。

 ダンの父の故郷はカザフだったが、母は流れの旅芸人で、父は母との結婚を反対されて、駆け落ちしようとしたが、途中で山賊に襲われ、抵抗して殺され、父の子を身篭った母が一人戻って、ダンを生み落としたが、産後の肥立ちが悪くて亡くなった。そのため、父の弟一家に引き取られ、厄介者呼ばわりされ、殴られ、罵倒され、こきつかわれながら生きて来た。

 戦士の誇りなど抱けなかった。故郷に愛着など抱けなかった。僅かに幸福だと思えたのは、カイ、エレナ兄妹と三人きりで過ごせた時間だけだ。

 ダンはカイのことを好きだった。尊敬してもいた。カイは純粋で、勇敢で、正義感が強く、真っ直ぐで、明るく屈託のない少年だった。憧れの存在でもあったが、同時に妬んでもいた。自分の卑屈さとひがみっぽさ、狭量さを恥じながらも、愛憎していた。

(俺は街の連中だけじゃなく、本当はカイも殺したかったのかもしれない)

 カイの生死は不明だ。しかし、先の激闘や、現在の惨状を見る限り、カイが生きているとはとても思えない。

 カイにはたくさんの借りがある。一生かかって返せるかどうかもわからない借りだ。一つも返さない内に、カイは死んだ。自分が殺したのだ、と思う。

 初陣の前の晩に、ダンはカイに尋ねた。

『俺達、何のために、誰のために戦うのかな?』

 本当にわからなかった。見当もつかなかった。ダンには、自分の命を危険に晒してまで、戦う理由や意義なんてものは、何一つ見出すことなどできなかった。そんなダンに、カイは迷いなく即答した。

『意味があるかどうかなんて関係ない。俺は守りたいものを守るだけだ』

 守るために、戦う。そんなことは思い付かなかった。仮に思いついたとしても、俺は思い切れなかった。

『……強い、ね。カイは』

 ダンは心底そう思った。その真っ直ぐさと純粋さに、少しばかりの嫉妬を覚えながら、感嘆した。

『そうか?』

 カイはきょとんとした。ダンは自嘲混じりに本音を吐露した。

『俺は……恐いんだ。ものすごく恐いんだよ。自分が、死ぬのが』

 自分が死ぬことが恐いという以上に、自分が死んでも、誰も哀しまないんじゃないか、という恐怖にさいなまれていた。自分が死んでも、ただの無駄死にで、何の意味を持たないんじゃないか、と。

 カイやエレナですら、数年経てば、自分のことなど忘れてしまうだろう。それがとてつもなく恐くて、すごく嫌だと感じた。

『誰だってそうだろ? 同じだ、俺も』

 カイの言葉にダンは首を振った。独りきりになったことのない、暗さや不幸と縁のないカイに、ダンの恐怖は決してわからない。だって、カイにはエレナがいる──そう思った。

『同じなんかじゃない。絶対違う』

 そう言ったダンに、カイはゆっくり首を横に振った。

『違う事なんかない』

 そうしてなだめるように言った。

『明日は初の出陣だからな。気が高ぶるのも無理はない。俺もだよ。不安で、恐くて仕方ない。俺が死んだり、怪我したら、妹エレナの面倒見る人間がいなくなるからな。それに何よりカザフの街が戦場になるのが一番恐い』

 ダンは、カイは、俺を信用していないのだろうか、とちらりと思った。

 が、次の瞬間、否定した。自分のひがみだ。そういう意味はない。そう思い直し、ダンは何事もなかったかのように、取り繕った。

『……カイの家は二人きりだものな。それに、エレナは目が見えない。カザフの街が戦場になったら、エレナ一人では逃げ切れない……』

 ダンは自分で言って、ぞくりとした。

『ああ。だから、俺はあいつを守るためだったら何だってする』

 その気持ちなら、わかる気がした。けれど。

『カザフの街を守る、それじゃ戦う理由にはならないか? ダン』

 その言葉に、すぅっと気持ちが冷えた。

『……俺は、この街が好きだ。俺の両親はカザフの戦士で、共に兵士として戦に参加した。二人が戦死した時、俺は哀しくて泣いたけど、辛くはなかった。俺の両親はカザフを守るために最後まで戦った。俺にはそれが、誇りなんだ。……俺は、両親が守ろうとしたこのカザフを、祖国セイランスを守りたい。死にたくないけど、守りたいんだ』

 言葉が重ねられるごとに、気持ちが重くなって行く。

『死にたくないけど、守りたい……』

 その気持ちは、わからないではないような気もした。だが、それは、あくまで大切な人を守りたい、という意味ではの話だ。ダンには、祖国にも故郷にも、愛情・愛着は抱けない。でも、その次の言葉が決定打だった。

『ダン、もう帰ろう。……おばさんも心配してるぞ』

 所詮、幸せで恵まれたカイには、俺の気持ちなどわからないのだ、とダンは感じた。

『俺は……物心ついた時から孤児だったから……お前がうらやましいよ、カイ』

 半分嫌味で半分本音だった。

『ダン?』

 驚いたようにカイはダンを見た。ダンは吐き捨てるように言った。

『俺は家で厄介者扱いだからな』

『ダン!!』

 カイは本当に、何も知らない。叔父も叔母も、さすがに人前では、ダンへの振る舞いに気を使うからだ。ダンが口外しないかぎりは、ダンが毎日何をされているか、誰も知らない。告白したとしても、信じて貰えないだろう。叔父夫婦は、善人だと評価されているのだ。

『……カイ、俺は……恐いんだ……』

 何もかもが恐い。だが、一番恐いのは、自分の身の内に巣食っている、おぞましい嫉妬と憎悪、怨恨かもしれなかった。しかし、それを自覚できていたかどうかは、よく覚えていない。ただ、懸命に、乱れそうな感情を、爆発しそうな何かを、抑えようとしていた気がする。

『……ダン……』

 カイが、ダンの名を呼んだ時、ダンは既に、聞いていなかった。自分の思索の海に潜っていた。

 誰にも理解して貰えない――死の恐怖と孤独、挫折感。初陣に出ずに済む方法は、逃げることだ。国内に逃げたらすぐ捕まる。ディカルクェンドへ逃げれば殺される。ならば、逃げる先はイルウォークだ――そう思って、夜中に荷物をまとめて窓から抜け出し、街門の手薄なところを探し、外へ出た。

 月明かりの明るい晩だった。無知なダンは隠れもせずに、街道も南に向かって下ろうとした。

 その結果、偵察に出ていたギィルの部下に見つかり、捕まったのだ。

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