第一話 朱にまみれた傭兵団
赤く染められた大地。その幅いっぱいに、無数の死体と瓦礫を浮かべ、下流へと押し流しつつある、血に汚れた大河。
目立った施設はことごとく破壊されて瓦礫と化し、その村を焼き尽くした火は煙と小さなおき火を残しただけで燻っている。
全身黒ずくめの衣装と鎧、篭手などを身にまとったギィル・カーツェン、今年二十八歳の男は、その小さな火を特製の革のサンダルを履いた足で踏み消し、顎に生える無精ひげを撫でさすりながら、一人呟く。
「あっけねぇもんだな。一昼夜でこれかよ。てめぇで指図した事とは言え、ちっと吐き気がするぜ」
その背後から、音もなく、ギィルのほぼ倍近い背丈の、スキンヘッドの大男が歩み寄る。
「団長、掃討全て終了しました。生き残りは一人もいません。敵は非戦闘員も含め、全滅です。目撃者もいません」
それを聞いてギィルは舌打ちする。
「ったくよ、ガルン。俺に近付く時は、必ず声をかけろっつってんだろ。それとよ、お前はただでさえでけぇんだから、あんまり俺の近くに寄るなっつうんだよ。じゃねぇと、俺がチビなのが、世間の皆さんにバレちまうだろ?」
そう言うギィルは、標準的な成人女性よりも頭一つ分以上は低い背丈で、かつて天才剣士と呼ばれた男とは見えないほどに、小柄で貧相な顔つきの男である。白目の多いぎょろりとした目と、あまり高くない鼻、皮肉げに歪められた唇が特徴的だ。間違っても美男子とは言ってもらえない容姿の持ち主である。
背中には身の丈には合わないと思われるような大剣が斜めにかけた革の帯に納められている。だが、傍目には帯剣しているというよりは、剣を背負っているという風にしか見られない。
この男が戦闘時には、いかに素早く剣を抜き、それを振るうかを見た者は、大半が恐怖する。もっとも、対峙した者のほとんどは、その恐怖を味わうことなく、瞬時に絶命するのだが。
そのため、彼は敬意を篭めて『疾風のギィル』、憎悪と怨恨を篭めて『血まみれギィル』転じて『朱のギィル』と呼ばれている。
「お言葉ですが団長。誰がどう見ても、団長の背は低くて小柄だと思われます」
真顔で鬱蒼とした低い声で言う、強面の大男ガルンに、ギィルはガツンと鼻を殴りつける。それをガルンはまともに受け止め、多少足をよろめかせたが、すぐに元の直立姿勢に戻る。憤慨したようにギィルは短気に怒鳴りつける。
「うっせぇ! んなこたぁ、自分でも判ってんだから、わざわざ指摘すんな! 折角、俺がシリアスに格好良く感慨に耽ってんだから、ちったぁ気ぃ使えよ、バカ」
「そう言われても、報告しなかったら怒るのは団長でしょう。次の指示を貰いに来たんですが」
ちっともこたえていない顔で、平然と、ほとんど抑揚の無い低い声で、ガルンは言う。
「ったくてめぇらはよ、どうして、全員揃って、破壊と殺戮以外に興味がねぇんだ。俺はな、こう見えても、平和主義で博愛主義なんだよ。ったくこの街だってよ、元は程良くひなびた素朴で朴訥な辺境の街って感じで、俺は結構気に入ってたんだぜ? それをこうもまあ、跡形無く破壊し尽くしやがって。だいたい、採算・収支を第一に考えてやれって言っただろ? お前らこの戦闘で、幾ら分の金を注ぎ込んじまったか、判ってんのか? 矢や弓は勿論だが、剣も斧も鎧も無料じゃねぇんだよ! それを遠慮もしねぇでボロボロになるまで酷使しやがって! 修繕するならてめぇらの財布から出せよ! 新しいのに買い換えようなんて思ってんなら、大間違いだぞ! だいたいこの騒ぎで、この辺りの商人達ぁ、すたこらさっさと逃げ出しちまった。現地調達するより他に、新しく資材や武器や食料を調達する方法はねぇんだよ。ディカルクェンド軍の物資はあるが、ありゃぁ俺達『黒の傭兵団』には回して貰えねぇ。ディカルクェンドの連中のもんだ。まあ、金さえ出しゃあ、横流ししてくれんだろうが、相場の倍以上はする。だから、俺は、旅行者や商売人が逃げ出すほど派手な戦闘はすんなって言っただろ! ただでさえ、収支ギリギリの商売してんだから、ちったぁ考えろ。俺は、てめぇらの下世話な趣味にはうんざりだよ。まあ、この街自体にゃ戦略的価値はねぇから、雇用主から文句言われるこたぁねぇと思うけどよ。……けどよぉ、もうちょっとやり方っつうもんがあるんじゃねぇの? なぁ、副団長よ」
「確かに採算・収支は考えろとは言われましたが、手加減してやれとは言いませんでしたよ、団長は。ですから、全員いつもの通り仕事をしたんですが。……無論、手加減のやりかたなど知らん連中ばかりですからね。どうやって手加減するのか、程度具合を説明していただけないと、無理そうですが」
「……俺はこんな物騒な連中とは縁を切って、さっさと人殺しから足を洗って、手頃に平和な村で所帯を持って、平和に暮らしたいよ」
「ならば、団長。どうして、セルラウンの旦那と手を切らないんで?」
ガルンのその言葉に、ギィルは一瞬、言葉を詰まらせる。チッと舌打ちして、ギィルは晴れ渡った青い空を見上げる。
「……あの人ぁ、俺の命の恩人なんだよ。だから、裏切れねぇし、そむけねぇ。あの人が俺を必要とし続ける限りは、傍にいる──それが、『誓約』なんだよ。……あの人が生きていて、俺を必要とし続ける限りは、あの人の望み通りにする。……それが俺の命の代価だ」
「別に脅されてるとか、契約だとか、そういう理由じゃないんですね」
「……そういうつまんねぇ理由で、こんなくだらねぇことに関わるもんか。『戦争』とかいう、国と国の、くだらねぇ因縁や諍いによ。……俺は人殺しや破壊が好きなんじゃねぇ。信念とか国の正義なんてもののために命をかけられるほど酔狂でもねぇ。だから、義理と人情と、商売ってやつだ。イルウォークは商売人の国だ。商売のためなら、何だってやる。まったく商魂たくましいぜ。ま、俺は因果で、頼まれてその代表で頭領やってるわけだがよ」
「……十分酔狂ですよ、ギィル団長」
ガルンは苦笑した。
「判ってるよ。判ってるけどな……俺達、イルウォークの『黒の傭兵団』はな、金でてめぇを切り売りする人殺し集団だ。だが、心までは売り渡しちゃならねぇんだよ。それが、傭兵の誇りだと、俺ぁ、信じてぇんだ」
「顔に似合わずロマンチストですね」
「てめぇだって人の面相のこたぁ言えねぇだろ、ガルン。一目で女子供に小便ちびらせる面しやがって」
「この商売には、向いてますよ、俺の顔は」
ガルンは唇を歪めて、にやりと不敵な笑みを浮かべる。ギィルは苦笑する。
「……お前は、意外と真面目でおとなしいヤツだがな、戦闘時以外は」
「稀代の天才剣士『疾風のギィル』にそう言っていただけるとは、光栄です」
「ばぁか。誰も褒めてねぇよ。ったくどいつもこいつも、血に飢えたおかしな連中ばっかりだ。常識人の俺ぁ、頭が痛ぇよ」
「……そういう団長が、一番人殺しが得意なくせに。良く言いますね」
ガルンに言われ、ギィルは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……俺ぁ、本当、人殺しなんざしたくねぇんだよ。だが、因果な事に、それっきゃ特技はねぇからな。全く、困ったもんだぜ……」
「俺達は助かっていますよ、団長。あなたのおかげで長生きできる」
「ああ、長生きすりゃあするほど嫌われるけどな。敵にも味方にも嫌われるたぁ、因果な商売だぜ。なのに結果が出せなきゃ、しこたま文句は言われるし。冗談じゃねぇぜ、まったくよ」
そして、ギィルはもう一度、自分と部下が破壊しつくした、廃墟と瓦礫と死体の山と化した、風景を見渡した。
「……ディカルクェンド帝国とセイランス王国の戦争が始まってもう三十年か。さて、この決着がつくまであと何年かかるんだろうな」
呟くギィルにガルンが言う。
「心配しなくても、団長、イルウォーク共和国有数の傭兵団『黒の傭兵団』が、帝国と契約したのですから、いずれ結果が見られますよ」
ガルンが不敵な笑みを浮かべて言う。
「そういうのはな、自画自賛って言うんだ。調子に乗るな、このスカタン! どうせ作戦は俺一人で考えなきゃならねぇんだからな!」
そう怒鳴りつけて、ギィルはガルンの足を払った。油断していた大男は見事にどう、と背中から倒れ込んだ。それを見てギィルは満足そうに、笑みを浮かべた。
「……いい気味だ」
「ひどいですよ、団長」
ぼやいてガルンは立ち上がった。
「ま、とりあえずメシと休憩だな。……次の作戦行動はそれからだ」