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戦況の変化ともう一つの仇(2)

 漢中へ向かう、道を彩る晩春のよそおいは、何処か不安なる気持ちを馬謖に植え付けている。

「急がねば。これから暑くなれば、事の状況は一変する」

 蜀の陣営では、たび重なる長期戦に突入した疲れが出はじめていた。それを不安視する馬謖は、漢中へ急いでいる最中である。

 その漢中には、魏の動きに備えるべく、劉備の命で魏延ぎえんが赴任していた。

 以前、魏延はその赴任に際し、劉備に対し「曹操が天下の兵を挙げて攻め寄せて来るならば、大王のためにこれを防ぎ、配下の将軍が十万の兵でやって来るならば、これを併呑へいどんする所存でございます」と語り、劉備や群臣はその勇敢な発言に感心したという出来事があった。

 その後、劉備が皇帝に即位すると、彼は鎮北将軍に昇進している。その魏延を監視する諸葛亮は、成都を離れ、魏との接点である漢中に赴き、劉備のいる夷陵のことが気に掛るのか、落ち着かない様子で、幕僚の費イを呼び寄せ、その心境を語り始めた。

「関羽様が亡きあと、劉備様はその仇討ちに慢心しておられる。私は、劉備様の心の内も理解するあまりに、その呉への報復戦を止めることが出来なかった!」

 その心中を察するあまり、事の是非を誤ったような気がしてならないと、孔明は溜め息交じりで呟く。

「やはり、諸葛亮様もそうお考えでしたか!」

「私は、劉備様が心配でなりません」

 幕僚の費イは、諸葛亮の心境を充分に理解している。彼は、劉備が蜀を支配するとき、益州に留まりその家臣となった人物である。

「流行る気持ちは解からぬでもないが、今回の私情なる呉への進行は、蜀の内政事情にも影響を与える」

「ましてや、深入りし過ぎたために、呉の反撃を食らえば、状況は切迫すると思われる」

 冷静に判断する諸葛亮は、苦しげな表情を浮かべている。

「しかし、落ち着いた魏延の態度は、油断ならぬものがあると、私は考えています」

 そんな表情を見つめながら、費イが本音を漏らした。

「そう思うか、あの男はあまりにも考えが壮大すぎる。この状況では、その内にある想いが災いすることさえありうる」

「私が、こうして漢中を訪れ、内政の状況をくまなく目を通しているのは、魏延の行動を監視している意味あいもある」

 漢中の魏延の監視、そして呉の夷陵にいる劉備の心配のこと、諸葛亮は心痛の想いで、遠い呉にいる蜀の軍隊の状況を心配していた。


 さて、夷陵に布陣する蜀の面々は、コウ亭の目の前に布陣する呉の先陣にいる糜芳と士仁のことを見つめている。

「裏切り者の士仁と糜芳の首、是非とも挙げてやる!」

「いくぞ、者ども。奴等のいる呉の陣営を蹂躙してやる!」

 罠とも知らず、張飛が突撃を命じようとしていた。すると、その視線の向こうには、二人の将軍が立ち塞がっていた。

「お待ちください!」

「ここは、我らが敵陣に様子を探るため先陣となりましょう」

 その二人の男は、張飛に以前、暗殺を企てようとした張達と范彊である。たび重なる張飛の仕打ちに、我慢の糸も切れかけていた頃と、今の張飛の様子を知る両名は、張飛の危険なる行動を抑えようとしている。

「何をいう!」

「貴様ら、邪魔立てする気か!」

 一瞬、張飛は以前のようにその表情を変えようとした。

「張飛、奴等の言い分も聞いてやれ!」

 何処かで、聞いた声が木霊する。

 それは、紛れもない張飛の義兄弟、今は亡き、関羽の声にも聞こえてくる。

「焦れば、我が身と同じ運命になるぞ!」

 もう一人の老将の声がする。

 その男こそ、以前、張飛の目の前で胸を射抜かれ、落命した黄忠の声である。

「我ら、二人は、今は蜀の軍神となり、お前たちを見守っている。どうだ、この二人の忠誠を見るのも、いい機会であると思わぬか!」

 張飛は、目を驚いたように見開いている。まさか、この戦場に両名の声が響き渡るとは思っていない。

「姿を見せてはくれぬのか?」

 その様子を見ていた劉備が、涙を浮かべながら、張飛のところにやってくる。

「私にも聞こえたようじゃ。あれは、まさしく関羽と黄忠の魂の声に違いない!」

「張飛、充分に警戒しろ!」

 劉備の普段の焦る表情とは、違いを見せている。劉備は先陣を、張達と范彊にいい伝えると、張飛に向かって言い渡した。

「お前は、この二人の後ろにつき、呉の先陣をくまなく蹂躙してこい。されど、長き突撃は避けたほうが肝要であるぞ!」

「分かり申した。張飛、肝に銘じ。出陣いたします!」

 先陣を二人に任せ、張飛は蜀の陣から突撃していく。


「来たぞ! 先陣は張飛の率いる一隊だ!」

 先陣にいる、張達と范彊を見つけた後の陣営は、てっきり張飛が怒って突撃してくるように思っている。

 しかし、陸遜は一人、冷静に考えていた。

「張飛が、うかうかと罠に掛かる奴なら、苦労はしない!」

「おそらく、先陣は情報を探るために、張達と范彊をよこしたと思うのだが…」

 虞翻はその言葉を聞いていた。

「されど、敵陣に張飛がいるのは決定的!」

「怒らせれば、奴のこと。どう動くかは解かりませぬぞ!」

 虞翻は、陸遜のことを信用はしていない。ここまで、連戦連敗をしてきている状態が諸将の焦りを作りだしている。

「この状況下で、この猇亭を抜かれるのは危険です。ここは、この場所で敵を食い止めましょう!」

 先の先陣で、負けを喫した孫桓が、ここぞとばかり起死回生の道を進もうとしている。


 敵陣に突撃を敢行しはじめた蜀の面々は、糜芳と士仁を目指している。それを遠目で見つめている賀斉は、敵が迫りくる前に陣容を固めている。

「いくぞ、糜芳が見えたぞ!」

「奴の首をとれ!」

 戦場では、戦闘が始まった。

 敵味方が乱れ会う中、乱戦が繰り広げられる。まず、張達が暴れまわった。そして、范彊が突撃してくる。

 張飛は、両名の奮戦を確認しながら、獅子奮迅の戦いを繰り広げている。

「怯むな! 下がるでない!」

 自陣で、奮戦する孫桓が叫んでいる。

 しかし呉の陣容は、作戦通りに撤退を開始する。その撤退の先には狙撃兵が伏兵として身構えている。

「どうやら自陣は押されて、退却を開始したようじゃ!」

「敵が退却に乗じて、深入りしてきた時が最大の好機よ!」

 狙撃手をまとめている徐盛が、にやりと笑っている。

 その呉の先陣で、死を覚悟していた士仁は、怯むことなく闘っていた。やがて、張飛に見つけられ、数合その刃を交えるが、残念にもその蛇矛を急所に受けてしまう。

「張飛様に討たれて、これで悔いはない!」

 その場に、士仁は倒れ込んで、その命を終えようとしている。

「覚悟しろ、士仁!」

「ありがたき、幸せ。やっと、あの世へ行ける!」

 士仁は涙ながらに、その首を張飛に任せた。そして、張飛は鬼の形相でその首を手に入れた。

「裏切り者、士仁の首を討ちとったぞ!」

 蜀の軍隊は勢いづいている。その様子を見ていた糜芳は、恐れをなしたのか、一目散に逃げ去ろうとした。

「この場において、貴様はまたも逃げるのか!」

「士仁の奴とは、比べるのも馬鹿げている」

 その怒りに、その場の冷静さを欠いた張飛が、その糜芳の首を取ろうと蛇矛を振りまわして突撃してゆく。

 そして、張飛は糜芳に追いつき、蛇矛の餌食にしようとした。

「覚悟しろ!」

「貴様の首は俺様が頂いたぜ!」

 一瞬であった。

 糜芳の首は胴体から離れ、無様にも泥まみれになってしまった。 それを見ている虞翻が呟いた。

「士仁の死に際と、糜芳の死に際には、雲泥の差がありますな!」

「そのようじゃの…」

 徐盛が呟く。そして、敵陣への狙撃を銘じた。

「今が好機!」

「狙撃を開始するのは今ぞ!」

 隠れていた狙撃兵が、敵をめがけて一斉にその強弓を放つ。

「しまった!」

 張飛はその様子に気が付き、撤退を開始しようとした。そのとき、一本の矢が、その緯丈夫目掛けて突き進んでくる。

「ぐわっ!」

 その矢は、張飛の肩口に命中する。

「張飛様を助けろ!」

 その声は、張達と范彊である。主である張飛の護衛をするべく、降りそそぐ矢に、その身を二人は任せている。

「この場は、我らが引受けます。張飛様を後方へお連れしろ!」

 張飛の部下が死に物狂いで、その命をつなごうとしている。

「すまぬ!」

 張飛はその狙撃を交わし、どうにか命だけは繋ぐことができた。

「我らの大将を守ったぞ!」

 そう言い残すと、張達と范彊は針鼠のように矢を受け、夷陵の激戦の地で命を終えることになる。

「奴らが、このわしを助けた!」

 張飛は、その命の価値を惜しんでいた。肩に受けた矢じりには、呉の施しで毒が塗ってある。

 張飛はその矢の意味を痛感している。

「わしの命も、これまでか!」

 そう呟くと、劉備のいる夷陵の陣へと引き返して行く。その命運は、張飛の存在に掛かっている。

 二つの流れ星が舞い降りるのを、張飛はひしひしと感じ入る夷陵の一戦であった。

 その戦場で、陸遜は今後の展望を考えていた。


つづく。

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