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仇の潘璋

 寒さが厳しい中、夷陵の地にも梅見月が輝いている。蜀は秭帰城を本拠として、馬鞍山を手中に収め、夷陵の城壁を見つめている。

 未だにこの戦場では、蜀の攻勢が繰り広げられている。そしてなおも、意気上がる蜀の士気は高く、呉軍を圧倒している状態は変わらない。

 そんななか、長期線を覚悟する呉の陸遜は、蜀の動きを観察しつつ、用心しながら警戒を深めている状態であった。彼は若く、諸将の信任を得ていない。その苦心は、蜀の攻勢を許すばかりか、連戦連敗の責任の重圧さえ感じ入る。

「時が来れば、必ず蜀にも油断が生まれる」

 その一言を呟くと、陸遜はしずかに眼を閉じた。


 そんななか、白装束に身を固めた関興は、父の仇をいつまでも討てない状況に苛立ちを心ながらに覚えているというのが現実である。

「未だに、父上の仇の潘璋の首は上げておらず。この不甲斐なき関興を、お許しくだされ!」

 関羽の御霊みたまにひれ伏し、祈りをささげる関興は、復讐のその瞬間を待ち望んでいるのである。

 その様子を、文官の劉巴と郭攸之が奥から見ていた。劉巴はプライドが高く、張飛をよく思っていないのが、本音の部分にある人物である。

「関興の気持ちも解からぬでもないが、冷静に振るまわなければ、二の足を踏む可能性も大きいぞ」

 人物を見る目は、劉巴の素晴らしい所である。まだ若く、将来性を期待されてはいるが、態度の悪いところは欠点である。

「父上のご最後を、悔しさに思うのは仕方のないこと。それだけ、関羽様の存在は大きいのです」

 冷静に考える、郭攸之は蜀の若い文官の一人である。関興は自室に戻り、就寝の時を迎えた。

夜は更け、蜀の兵卒も疲れているのか、静かに寝息を立てている。月は輝き、妖しく地上を爛々と照らしていた。


 朝が来た。冬の早朝は寒くて、体に堪えるように厳しく冷え込んでいる。霧が立ち込め、夷陵は緊張感を増している。

 そのような状況で、関興は兵馬を整え、これから始まる闘いに備えている。そして張飛は、その姿に関羽の面影を重ね合わしている。

「親父に、似てきたじゃないか。関羽の兄いも、喜んでいるだろうぜ!」

 張飛の口調らしさが見えている。その姿に関興は、張飛らしさが出てきていると思った。

「今日は、冷えるぜ! 心して掛かれよ。潘璋の野郎にあったら、教えてやるぜ」

 そう言い残すと、張飛は関興と別れた。関興は先陣を務めるべく、霧の立ち込める戦場へと向かってゆく。

 関興の部隊は、乱れることなく整列が行き届いて、一筋の乱れも感じられない。

「進め、呉の敵陣はもう見えてきている!」

 すぐ横には、張苞の陣が疾走している。まさに好敵手と化した、張苞の陣が隣にあることも、関興の部隊の士気を上昇させている。

 関興の部隊には、亡き関羽の部隊の生き残りも、多く含まれている。主を関興と変えた部隊は、獅子奮迅の活躍を見せてきている。     

そうした状況で、敵の一陣に当たる破壊力は、群を抜いている状況である。

「敵は陣に張り付いたまま動かぬ。気の抜けた猫のようじゃ! 敵陣を崩すのは、今が好機ぞ!」

 関興の声は戦場に木霊し、率いる部隊は怒涛の如く、呉の部隊に攻めかかっていく。

 その斜め後ろに続いていく、張飛の部隊は先陣の様子を見ている。

「よし、我らも負けぬ様に、ぶち当たって行くぞ!」

 張飛は、昔と変わらぬ獅子奮迅ぶりを発揮していた。その姿は、鬼神のような凄味を見せている。

  呉の陣営は恐れをなし、次第に戦意が失っていくのが読み取れる。

  その呉の陣を指揮しているには、韓当と周泰の老練の将たちである。

「相手が悪い、あの甘寧亡きいま、無理強いは禁物である!」

 韓当が、張飛の奮迅ぶりに恐れをなし、後退を指示しようとしていた。そんな様子を覗う、周泰は頭を抱えている。

 その場を見ている、亡き陳武の庶子の陳表が近づいてくる。

「陸孫殿は、機会を探っておられる。今は、後退する時と存じます」

「それに今は、蜀の攻勢が勢いづいております。兵の消耗を抑え、機会を待つのも宜しかろうかと」

 呉の先陣にいる、武将の陳表が韓当に意見を具申した。

陳表は、三国志演義には登場しない人物。三国時代の武将であり、陳武の子(庶子)である。陳修の弟であり、子に陳敖がいる。字は文奥。呉に仕えて、信義・仁愛に厚い人物であったという。


退却をしようとしていた、呉の陣営の殿を買って出るものがいた。

「殿は、わしが担当いたす!」

 つい先ほどの甘寧の死に伴い、配下の部隊を任された潘璋が買って出たのである。

 味方の退却を一身で引き受け、呉の殿を務める潘璋は、蜀の進軍する方向へ身構えている。

「ここに仇を討つ、絶好の好機を与えてもらった!」

 関興は、仇の潘璋を確認すると、部下を引き連れ進軍してきた。

「こわっぱ、目にもの見せてくれようぞ!」

潘璋は奮戦し、味方を逃がすことに成功する。率いる部隊は、次々に討たれていく。

殿の役目を終えて、命からがら、退却する事を決めた。

「もはや、これまで。退却致せ!」

 身を翻すと潘璋は、関興の目の前から疾走していく。

「逃げるか、卑怯者!」

 関興は、潘璋を追いかけるが、途中で見失い、深入りしたことに気がつく。辺りは、どっぷり日が落ちて、味方さえ確認できない状況に陥ったことになる。

 関興は、その後も夜道を彷徨い続けている。


 蜀の陣営では、戦後処理が行われている。異変に気がついたのは、張飛であった。

「関興がおらんぞ!」

 劉備の報告しようとした張飛は、先に張苞に支持を与える。

「張苞、今すぐ関興を探して参れ!」

 顔色を変えることはなかった張飛は、落ち着いていたようである。

「承知致しました。これより張苞が、探しに参ります」

 張苞は、兵馬を整え関興の救出に向かっていく。その動きは、俊敏で隙が感じられない。

「まあ、関興なら大丈夫と思うが。張苞をやればよかろう!」

 張飛は、劉備のいる幕舎に向かっていく。

「兄じゃ、関興が戻りませんが、ただいま捜索に張苞を遣わせました。潘璋を追って、深入りしすぎたのでござりましょう」

 しかし、劉備の機嫌はすこぶる悪かった。

「敵の待つ、この敵地で一人は危険だぞ! 何を落ち着いておる、お前も探しに行かんか」

 罵声の如く浴びせられた言葉には、張飛も無理もないと思った。

「わかりました。俺も参ります!」

 張飛は、暗い夜道を部下を率いて出陣してゆく。

「まあ、無理もなかろう。関羽の忘れ形見の関興だ!」

「ついて参れ。急を要する!」

 疾走していく張飛の部隊は、関興を探しに進んで行く。


 関興は、僅かの供と夜道を彷徨うかのように、進んでいた。月は傾き、夜は更けていく。辺りは静けさを増し、静寂が緊張感を増している。

「殿、本陣に帰還するのは、この夜では不可能と思われます」

 どれくらい、進んだろうか。関興の一軍は、野宿を覚悟していた。敵陣深く、入り込んでいる感覚がする。

「もう少し、進軍する。この辺りは危険である」

 夜道歩んで行くには、月が頼りになる。関興は、勘を頼りに行軍している次第であった。

 夜道を進んでいると、一軒の屋敷を見つけた。配下の将が、一夜の宿を申し入れることになった。

「夜分、失礼ではあるが、一夜の宿を提供してもらいたい」

 関興の部下が、丁重に宿の主に願い出る。

「どうしましたかな、甲冑を着込んでおられるようですな?」

「夜も更けております。こんな宿では御座いますが、どうぞ、お休み下さい」

 宿の主は、一行を向かい入れ、一夜を提供してくれた。入口に入ると、屋敷の主が、関興には月明かりで微かに見えた。年老いた屋敷の男は、そこに立っている。

「かたじけない、一夜をお借りいたします。夜分の御無礼、申し訳御座いませぬ」

 ふと、関興は考えた。宿の御人に、見覚えがあった気がしたのだ。考えてみたが、思い出せない。

(どこかで見た顔である。はて、誰であったであろうか)

 関興は、宿の人物が気になった。気になってはみたが、聞くのも迷惑かと思い黙っていた。

「もしや、蜀の軍の方たちでは御座いませぬか?」

 宿の主は、親切にも宿を提供している。関興は、素性を明かすことを決断して、事の次第を丁寧にのべる。

「我らは、蜀の関興の軍の者たちである。夜分、邪魔をいたしたことは、御迷惑と承知しております」

「一夜、宿を借りたら、朝には出ていく所存であります」

 そういうと、関興は静かに目を閉じている。

「もったいないお言葉、あの関羽様の御子息様でありますか。私は、過去に、関羽様にお世話になっていた者です。名を楊毅と申します」

 楊毅は、戦乱明けくれぬ頃に、荊州に住んでいたことがある。その頃に、関羽に世話になった逸話があった。

「忘れもしませぬ、関羽様のお人柄。誠に心優しい、武人でありました」

「私は士官もせずに、流浪の日々を過ごしていた頃、関羽様の屋敷に御奉公しておりました」

 楊毅は戦乱の中、雇い主の関羽に、生き別れていることも正直に関興に話した。

「そうか、呉の侵攻から逃れて、隠れ住んでおったのじゃな。これも何かの縁、こうして再会できるとは、亡き父のおかげであろう」

 関興は手を握り、年老いた屋敷の人物にお礼をする。それから、屋敷の主は、蓄えておいた酒瓶と、僅かな酒の肴を用意してくれた。

「僅かですが、空腹を満たすには役立つでしょう。関興様達で、頂いて下さい」

 関興は、楊毅の心づくしを、この上なく有り難く思った。

「かたじけなく感じる。宿を頂いた上に、おもてなしまで頂いては、何とお礼を申したらよいか」

 関興の一派は、もてなしを受け、空腹を凌ぐことが出来たのである。そして、一夜の宿を借りた関興の部隊は、楊毅に手厚いお礼をして去って行った。

「関興様のお姿には、関羽様が乗り移っておられるようだ。もうじき、関羽様が仇に会わせてくれるであろう」

 楊毅は、これからの関興に起こることが、解かっているかのような発言をする。


 関興の仇の潘璋は、自陣に戻ることもなく、夜間を野宿で凌いでいた。供の者も僅かで、殿しんがりを担当した部隊は、散り散りになっている状態である。そうしているうちに、潘璋は夜分に馬の嘶きを聴く。その馬の嘶きは、潘璋の耳に木霊している。

「はては、敵の捜索部隊か。この場は危険かもしれない」

 潘璋は、その嘶きが不気味に聞こえた。無論、他の配下の将には聞こえていない。

潘璋は血相を変え、馬に掛け上がり手綱を引き、馬を走らせた。

「ここは、危険だ。全軍、退却せよ!」

 追いかける部下を尻目に、潘璋は取り乱している様子である。逃げ惑ううちに、逸れて一人になった時は、暗がりの中であった。

「部下と、逸れてしまった」

 そう思うと、なんとなく心細く感じる自分に気がつく。そうしているうちに、再び馬の嘶きに気がついた

 辺りは、静まりかえっている。僅かに月明かりが、不気味に照らしている。

その月明かりの中に、緑の直垂に、黄金色の甲冑。そして、赤ら顔に美髯の武将が見えている。

「ぐわあっ、貴様は関羽。迷い出やがったか!」

 潘璋は、関羽の亡霊と遭遇したことになる。狂ったように、夜道を逃げ惑うが、関羽はぴたりとついてくる。

「どこへ行く、潘璋!」

「貴様の命は、もうじき露と消える」

 千里を走る、赤兎馬まで、潘璋を憎んでいるかのように追いかけてくる。必死に逃げる潘璋は、どうにか関羽から逃れることに成功する。気がつくと、辺りは明るくなり、すっかり夜が明けていた。

 安心しきっていると、宿を出たばかりの、関興の部隊と偶然にも遭遇することになる。

「貴様は、潘璋。父の仇である、憎き奴め!」

「今日は、逃さぬぞ!」

 関羽の亡霊に、疲れきっていた潘璋は、ただ驚くばかりであった。逃げようとするが、関興に切りつけられて落馬した。

「しまった。不覚であった!」

 関興の降り降ろした刃は、潘璋の胸を深く切りつけている。

「覚悟しろ、潘璋!」

 倒れ込んだところを関興にとどめを刺される。関興の手には、青龍偃月刀が握られている。父の形見を、取り戻した瞬間である。

 寒空が広がる夷陵の地で、関興は父の仇のひとりを討つことに成功する。白い霧が、立ち込めている彼方に、僅かながら、関羽が見えている感じがしたのは、関興の錯覚であろうか。


つづく。


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