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黄忠の死

  夷陵には、冬がきた。雪がちらつき、身も凍るような寒さであった。将兵は休息をいれ、戦線は膠着状態となる。

 連戦連勝の蜀は、占領したる巫峡ふきょう秭帰しき城を維持し、章武二年の正月を迎えている。

蜀の陣営では、幸先よく勝ち戦をした劉備が、すこぶる上機嫌で陣内で祝勝会を施している。

「劉備殿、まずは先勝おめでとうございます!」

 沙摩柯が、上機嫌で劉備に挨拶に来ている。

「まずは、御参戦してくださり、御礼を申し上げる」

 劉備は、沙摩柯をとりなし、大切にあつかった。それから、諸将に向かってねぎらいの声をかける。

「雪が降っている。我が体も老いたが、帷幕の諸大将も老いたので、冬の陣も幾ばくか耐えうるに堪えてきている」

「そのなか、関興と張苞のような若い者の、活躍は見事である!」

 劉備は、諸将の働きを労うかのように言葉をならべる。それを見ていた、黄忠がすこぶる面白くない顔をして席を外してゆく。


 黄忠は、顔を硬直させて怒りに満ちた様子である。

「おのれ、老いぼれ扱いしおって!」

「わしだって、まだまだやれるところを見せてやろうぞ!」

 そういうと、その日の正午すぎに数十騎ばかりを引き連れ、呉に攻め入ってしまった。

 心配した劉備は、関興と張苞に助成を銘じ、支援させるべく両者を投入することになる。

「関興、張苞、すぐ参り黄忠を救うのじゃ!」

 劉備は、胸騒ぎがするのを感じている。続いて、張飛にも出撃命令を出して、黄忠の援護にあたらせた。

「いくらなんでも、無茶がすぎます!」

 さすがの張飛も、慌てたのか命令に従い、軍を整え出ていった。


 黄忠は、敵中に攻撃を加え、人働きせんと進軍中であった。それを、味方の馮習、張南が見かけて声をかける。

「老将軍、どこへ参られる?」

 黄忠は、くわっと、目を見開き馮習と張南に言い放った。

「帝は、賀春の宴席で帷幕は、年老いて役に立たぬと申した。それがし、これより敵陣に攻め入り、ひと泡もふた泡も、吹かせてやろうと思うのでござる」

 馮習と張南は、黄忠をなだめた。

「敵は、若き孫桓が陣営を整え、新たに建業から十万に新手が合流している」

「その将は、韓当と周泰の老練を配し、先手は潘璋、後ろ備えには凌統が控え、それを率いるのが甘寧であります」

「そのような場所に、数十騎あまりで出かけるとは無謀ですぞ!」

 しかし、黄忠は耳にもせずに言い放った。

「手前らは、見物しているがいい!」

 そういうと、一目散に夷陵の自陣を通り過ぎてゆく。

「これは、見殺しには出来ないぞ!」

 馮習と張南は、慌てて黄忠を追い掛けた。

「無茶するにも、程がありますぞ!」

 そういうが、馬の耳に念仏といえようか、黄忠は敵の守る陣へと突撃してゆくのであった。

 呉軍は、馬忠と潘璋が迎え撃つ。

「ふん、この老いぼれめ!」

 はじめに黄忠と潘璋が、やり合っている。激しく討ちあい、黄忠は力が入っている。

「関羽が仇、覚悟召されい!」

 老骨に鞭打ち、獅子奮迅の働きを見せていた。そこへ、関興と張苞の新手が追いつき、老将を迎えに来た。

「黄忠殿、今日は引き返しましょう」

 関興が言うと、黄忠は動かず闘い続ける。

「馬鹿を申せ!」

「老骨、黄忠も働けることを見せつけるのじゃ!」

 そこへ、張飛がやってきて黄忠を止めた。

「黄忠殿、明日に再度、ご出陣しましょう!」

「今は、立て直す時。我が陣営に戻りましょう」

 張飛は、黄忠を説得して陣中に引き返して行った。

「関羽の仇、かならず取るであろうぞ!」

 そう言い残すと、黄忠は陣営に引き返してゆく。それを見ていた潘璋は、黄忠を睨みつけていた。

「さしもの、老いぼれめ! 明日こそ、帰り討ちにしてやるわ!」

 地団駄を踏みながら、立ち去る黄忠を見つめる呉軍がそこにはあった。


次の日になると黄忠は、わずかな手勢を率いて、再び敵陣を目指して出陣してゆくのであった。老骨の体に鞭を打ち、最後の働き場所と意気込みながら、老練なる将は呉の陣へ突撃していった。

「黄忠が、攻めて参りました!」

 呉軍の見張りが、潘璋に告げた。

「来たか、黄忠! 目にもの見せてやるぞ!」

 昨日の戦に、心を一つにしている呉軍は、一斉に矢の雨を降らせる。

「小童め! それぐらいの、ひょろひょろ矢には当たるまいぞ!」

 黄忠は、獅子奮迅している。

「黄忠さまが、呉の陣へ攻め込んでおられます!」

 伝令が、劉備のもとへ急いでやってきた。劉備は、張飛を呼び出し出陣させた。

「急げ、黄忠殿を救うのだ!」

乱れる、呉の陣へ黄忠を救うべく、張飛が急いでいる。黄忠は、一度退却してくるが。

「老将、あまり無理はしないでください!」

馮習の一言に、黄忠は顔色を変える。

「やかましい!」

それから再び、呉軍へ突っ込んでいく。飛び交う、矢を避けながら黄忠は奮戦していた。

必死で、呉軍の中を掻い潜り、暴れまわる張飛がいる。

すると、呉軍の名手の狙撃手が、黄忠を狙って矢を放った。矢は、黄忠に向かって飛んでくる。

「危ない!」

 もうすぐ、合流する張飛の目の前で、黄忠の胸は射抜かれた。

「ぐわっ! 無念である!」

 そう言うと、黄忠は馬から転げ落ちていく。


 そのとき、敵将の馬忠が首を取ろうと攻めかかる。ひん死の状態の黄忠は、最後の力を振り絞り、死出の土産と馬忠と数十合も撃ち合う気迫を見せた。

「白髪首、それでも惜しむか!」

 黄忠の攻撃を交わして、撃ち合う馬忠は内心驚いていた。それから打ちあうも、その槍は黄忠に握られてしまうことになる。必死の黄忠は、槍を馬忠より奪い、突きまくってくる。しかし、馬忠は命からがら逃げ去ることに成功する。

「黄忠殿!」

 関興、張苞が敵陣を、なぎ倒し黄忠を救いにやってくる。そして張飛が黄忠に手をかけ、背中に背負った。

「背中に乗りなされ!」

 張飛は、涙を流しながら駆け抜けてゆく。敵を蹂躙しながら黄忠を背負って退却していく様は虎と化していた。胸を射抜かれた、黄忠は最後の声を絞って言う。

「張飛殿、すまぬ!」

「言うでない! 黄忠殿!」

 矢は、深く急所を射抜いていた。蜀の陣営に帰ってきた黄忠は、倒れ込み劉備に抱き抱えられる。

「許してくれ、黄忠!」

「取り返しのつかない、事をしてしまった!」

 劉備は、涙を流しながら黄忠を抱き寄せた。蜀の功労者の老将は最後の時を迎えることになる。

「黄忠は、果報者でございます」

「劉備様に、従ったあの時より、お慕い申しておりました」

 そういうと、黄忠は眼を閉じた。老練なる名将、黄忠の波乱に満ちた最後の生涯であった。矢を胸に受け、瀕死の状態であるまま、主君である劉備に抱かれるまで生きた黄忠は激動の夷陵の闘いの中に惜しくも息を引き取った。

「うおっー」

 張飛が、涙を流しながら叫んだ。共に闘ってきた、老将を失った悲しみは張飛を怒らせた。

「黄忠殿を、失ってしまった!」

 そう言い放つと、張飛は敵陣で突撃していった。その戦いぶりは、鬼神のようであり凄まじさが敵を圧倒している。

「黄忠殿の仇、許しまじ!」

 張飛の蛇矛は、敵をなぎ倒してゆく。それに加わる関興、張苞も獅子奮迅の働きを見せている。並居る敵を蹂躙して、この日の闘いは幕を引く。

 

蜀の陣営では、関羽の次に黄忠を失い悲しみに暮れている。劉備は、涙ながらにその思いを誓った。

「おのれ、孫権! その首をかならず刎ねてくれようぞ!」

 きれいな、流れ星が夜空を照らした。それは、黄忠の涙に見えたのは、蜀の全ての人の目蓋に映ったであろう。

 黄忠の遺骸は、成都に運ばれることになった。それから夷陵の地で、名将の軍葬が行われた。

 張飛は、涙が止まらない。悲しみは極限に達しようとしていた。

「今宵は、酒を飲むぞ!」

 怒りに満ちた、張飛は酒を飲もうとしている。その時、赤い馬にまたがる武人が雲の上より現れるのが確認できた。劉備のいる前にその姿を見せている。

「張飛、忘れたか!」

「悲しみに暮れて、飲酒は己の弱さだぞ!」

 雲より現れしは、関羽であり。その周りには、関平と周倉が控える。

「黄忠殿を迎えに参った!」

 亡骸の黄忠は、関羽に抱かれている。

「張飛、よく訊け。悲しみに暮れて酒を飲めば、そこもとの誓いは水の泡と化す」

「それ位の思いでは、劉備さまを助けることは出来ぬぞ!」

 そういうと、赤い馬に乗った関羽は天上に消えていった。

「兄じゃ!」

 張飛は、浅はかな自分に気付き、天を見上げている。


 その次の日、黄忠の棺は、幾度も闘った戦地にて軍葬を悲しげに行なっている。そしてその日、劉備ら諸将は雪空の白雲を見上げながら涙を流した。それから、軍を馬鞍山まあんさんまで進め、黄忠の遺棺を見送ることにした。

「別れであるぞ、黄忠!」

 劉備が別れの言葉を述べると、馬車は黄忠の遺棺をのせ、僅かの将兵を伴ない、夷陵の地を離れ、成都まで旅立っていく。雪が、ちらついている空は寒さを増していた。吹き付ける雪は、馬車を覆うように降り積もってゆく。


つづく。

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