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出陣

 関羽の精霊に促され、心を入れ替えようとしている張飛は、劉備と合流すべく街道を進んでいた。その進軍はかつての張飛の軍団とはかけ離れた軍団と化していたのである。

 そのころ、江州に駐留している劉備の陣に、宿将である趙雲がおとずれていた。趙雲は、劉備の行動を危険と感じ、正面切って諌めにきたのである。

「敵は魏であって呉ではありません。さきに魏と戦い滅ぼせば、孫権は自ずと服従します」

「いま、あの曹操は死んだとはいえ、息子の曹丕が纂奪をはたらいております。人々の心に沿って、はやく関中を手中に収め、逆賊曹丕を一刻も早く討つべきです!」

 しかし、はやる劉備は盲目となり、趙雲の換言にまったく応じることはなかった。怒りが平常心を失っていたのである。

 こんなとき、 いつも能弁によって巧みに劉備を説き伏せた。蜀攻略の功労者法正はこの直前にすでに死去しており、もはや劉備を抑えることのできる者はいない。

 蜀に留まっていた諸葛亮は、劉備の心情を理解していた。予想していた諸葛亮は、張飛に一通の書状を急いで馬良に託してやった。事は風雲急を告げている。


そのころ、劉備が荊州に攻め入る情報を聞きいれた呉では、諸葛亮の兄である諸葛瑾が、和平交渉のため長江を西上していた。

「うむ、劉備殿は聞きいれるかどうか。孫権様の御指示じゃが?」

 それに伴う、顧雍が意見を伝えた。

「関羽を兄と慕う、張飛のほうが恐ろしいと思うのだが?」

「それは、言える。されど、頭の弱い張飛は恐れるに足らんような気はするが。」

「この交渉は、上手くいかんだろうな!」

 諸葛瑾は、長江を意味ありげに遡る。


 呉には、関羽を策略で葬った、頼りになる呂蒙は病死していて、この世にはいない。噂では、狂い死にしたともいわれている。

 今は新参者の陸遜が呉の軍事を統括している。陸遜は秭帰城を守備している。そのほか李異、劉阿は巫城を守備中である。

 呉では、曹魏に上辺だけ臣従する姿勢をとり、蜀との決戦を覚悟していた。恐らく、蜀軍の勢いが物凄いことが予想できることを陸遜は感じている。


道中を急ぐ張飛は、江州で劉備と合流することになる。張飛は書状を馬良から渡されていて、その内容をしかと肝に命じていた。

 張飛は、劉備のいる所へ急ぐ。

「兄じゃ、張飛にござる。面会を願い申す」

「おおっ、張飛。間に合ったか!」

 劉備は、張飛を目の当たりにして驚いた。それは、普段と違う張飛がそこにいたからだ。

「どうしたのだ、張飛!」

 あまりの様変わりに、諸将も驚いている。

「如何なさいましたのじゃ、張飛殿!」

 驚いた趙雲が駆け寄る。無理はない、粗暴な張飛の影は潜めて。ただ実直な張飛がそこにいる。

「わしは、亡くなられた兄者に諌められております」

「兄者が、亡霊となって、この張飛の前に現われましてございます」

 あまりの、張飛の真剣な面持ちは周りを圧倒した。その表情は、鬼神の如くで凄味が増している。

「まことなのか、張飛!」

「まことでございます。劉兄者!」


 その雰囲気から、ただならぬ覚悟が満ちている。関羽の仇を晴らすために、劉備のいる江州では早くも評議が開かれている。

「関羽の弔い合戦である。われらは、これより進攻する!」

「陣立てを、発表する」

 第一陣、張飛!兵力一万五千。副将、呉班。

第二陣、馮習!兵力一万。副将、張南。

第三陣、黄権!兵力一万。副将、張嶷。

「私自身が、本体! 四万を率いる。なお、今回は老いた老兵は期待しておらん!」

 それを聞いた、今年、七十五才の黄忠はすこぶる面白くないようだ。

「劉備様、待ってくだされ。なぜこの私目を外すのじゃ!」

「ぜひとも、一陣にお加えくだされ!」

 黄忠の剣幕に劉備もたじろいだ。老兵ならずも、この一戦には彼なりに意味があったのだ。

「仕方がないのう、黄忠には兵五千を与える」

「はっ、有りがたき幸せ。ええい、腕がなるぞ!」

 黄忠は、身震いしながら年老いた身体を鞭打っていた。

「すまぬが、趙雲! お主は江州の留守居を頼む!」

 劉備は忠告されたのが気にいらないようである。私情とはいえ、決意の固いことは動くことはなかった。


 そこへ白装束の、いで立ちの若武者が入ってきた。その凛々しい若武者は、あの関羽の二男の関興であった。

関興は、父・関羽とともに樊城攻めに出陣していたが、戦果を報告するために戦列を離れていたので難を逃れていたのである。

「この関興を、父の弔い合戦にお加えくだされ!」

 関興は鎧から、すべての物を白に統一していた。張飛が言う。

「ぜひとも、わが軍に加え父君の仇をとらせてくださいませ!」

「よし、分かった。関興を、張飛に預けることにしよう」

 それを見た、劉備は涙ながらに語った。

「はあっ、有りがたき幸せ」


 関興は、父と別れる際の場面を思いだしていた。もはや父の関羽はいない、その思いは深く胸に刻まれている。

「関興よ、劉備様に樊城攻めの戦果を報告に行くのだ。まもなく樊城は、この関羽が落とす」

「劉備様が、喜ぶ顔をみたいものじゃ」

「ははははっ!」

「はい、わかりました」

 これが、父。関羽との最後の会話である。

「必ず父の仇は、この関興がとる!」

 関興は固い決意を、心に決めていた。


その静寂の中、呉からの使者。諸葛瑾が江州にたどりついた。劉備は、拒絶する方向を示すが、黄権が出て意見を伝えた。

「お会いにならずに、追い返しては敵に狭量と見られます。むしろ彼を通し、こちらの言い分を告げて、お帰しあるならば、戦の名分も立ちましょう」

 劉備は、諸葛瑾を通した。瑾はひれ伏し、呉の使者として云う。

「我が弟の亮は、陛下に臣従し蜀におります。故に、陛下のご眷顧も仰がれようかと、勤を使いとして、呉の衷心を申し上げる次第でございます」

「簡単に聞く、使いの主旨は、如何なることか?」

 諸葛瑾は、続けて云う。

「ご了解を仰ぎたい儀は、関羽様の死のことであります。呉は、蜀に対して何のお怨みもございません」

「呉の呂蒙と、不和を招き、ついに非業の死を迎えることになりました。実にこの件は、主人の孫権も遺憾としているところです」

「魏の圧力さえなければ……」

 劉備は、諸葛瑾の話を制し、形相を変え言い放った。

「もうよい、大義であった。呉へ帰り、孫権に言うがよい!」

「朕は、誓って呉を許さない。これなるうちは、一戦交えんと!」

交渉は、むなしくも劉備が拒絶したために決裂に終わる。諸葛瑾は蜀を離れる。その思いは、交渉が憚らなかったことに、虚しさを感じている。


「やはり、無駄であったか。致し方あるまい」

 無念そうに、諸葛瑾が心中を顧雍に呟いている。温厚なる劉備がここまで言い放ったためしはなかった。

「これは、駄目だ!」

「決定的ですな、もう名将の呂蒙はこの世にはおりませんし」

「若造の陸遜は、どう対処するのでしょう?」

「蜀の対戦一途は、防ぎ様がありますまい!」

「心配でございますな、まったく!」

 目的を果たせない、諸葛瑾と顧雍は船上で呟いていた。

「早いとこ、呉に戻らねばならないな」

 長江を下り、呉への帰路を急ぐ文官の両名が、蜀の地を遠くから眺めていた。

劉備は、必ず呉に侵攻するであろう。そのただならぬ、雰囲気を目の当たりにした諸葛瑾は腕組みをしている。

 まだ、建業ははるか向こうである。諸葛瑾は、弟の諸葛亮に会えなかったのが気がかりであった。

「こうなれば、弟とも会わず仕舞いか」

 複雑な思いが、諸葛瑾の胸の中には生まれている。先日、来た蜀の山々を見渡しながら、彼はどのように感じたのか。


 夷陵の戦いが、起こるまで秒読みであり、蜀と呉の戦いの火蓋が切られるのは必至である。


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