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張飛は最後の殿で 三

 五月雨が夜間にしとしとと音を立てて、白帝城付近を濡らしている。この白帝城は長江三峡の第一峡であり、瞿塘峡くとうきょうの起点でもあり、もともとは水面から160メートルの高さがあったという。しかし、この場所に三峡ダムが完成すると、水位は山の中腹ほどの102メートルまで上昇し、現在は半島から孤島へと姿を変えたというのが実情である。


 この白帝城、夷陵方面から追撃しようとする呉から見れば、まさに天然の要害のようであり、また南の方角は大河に覆われ、船で下流から攻め入るにしても、そびえる断崖絶壁の上からは落石等があることが考えられ、うかつには手を出せない状況がここまできての足止めとなっていた。


 また陸路であれば間道の入口の両方には林がうっそうと茂入り、まさに伏兵の隠し場所には最適と思われ、なおかつ、その奥には切り立った岩山がそびえていて、投石等の罠があることを予測でき、南風が吹くことが予想できたので、蜀軍の火責めの攻撃も考慮せねばならないのが実情であった。


 その意味合いもあり、そう簡単には追撃の進路をとれない状況は呉の陸遜の頭を悩ませていた。

「うかつに間道を進軍すれば、このあとは切り立った崖から岩や丸太が落とされてくるだろう!」

「諸葛亮も奇策の持ち主、必ずや計略をもって仕掛けてくるに違いない」

 白帝城付近の天然の要害は、守るほうにとっては最高の場所であったことは言うまでもない。

 また歴戦の勇士である趙雲が夷陵に出陣していない状況も、陸遜はよくわきまえていた。

(蜀の趙雲、夷陵には出陣しておらず、白帝城の守備を命じられたと聞いていたが…)

 心の中で陸遜は呟いている。


 さて、張飛はというと間道の入り口で大暴れしている。呉軍の諸将らも防衛に必死で、陣形を乱すまいと敵味方乱れての白兵戦が繰り広げられていた。

 また出陣するときは喪章をつけ、白装束に固めていた関興の鎧もすすまみれになり、それを確認するとひとこと呟いた。

「やれやれ、この白装束だった鎧も黒煤ける始末、この白帝城付近の間道で張飛殿と一緒に殿しんがりを務めるのはうれしい限りだ」

「油断するなよ!」

 その様子を見て、張苞が一言叫ぶと、関興は我に返り、父譲りの青龍刀を振り回し、呉の陣容を迎え撃っていた。


 ここぞと思い、間道の上にそびえる切り立った岩山の上からは、一斉に倒木が落とされたと見るや。その後ろに隠されるように、狙撃手らを従えた趙雲が現れ、矢を放てるように諸葛亮が考案した弩弓が横一列に並べられ、一斉攻撃を仕掛ける準備を整えていたのである。

 この早変わりのような弩弓の一陣を見ると陸遜はやや深入りした事態に気が付くが、時すでに遅かった。


「それ、攻撃をやめて間道を超えて帰還するのだ!」

 待っていたというように、張飛は怒声を白帝城一帯に轟かせ、率いる兵卒らは一斉に引き上げはじめた。

 諸将らの見ている前で、蜀の面々は間道を退却していく。呉の陣容は、その新しい武器の射程には十分なる距離にいたのである。

「張飛が逃げていくぞ!」

 徐盛がすかさず追いかけようとするが、異様な雰囲気に上を見上げた時である。その見上げた方向にはその新たな武器が配置されているではないか。

「しまった!」

「この切り立った断崖絶壁の上には弩弓の群れか…」

「盾をもって集まり、身を固めろ」

 呉の兵卒らも訓練を受けているので、防御の陣形を作り上げるのは早かったのである。

「それ、弩弓の矢を防ぐのじゃ!」

 徐盛の声が響くが…。

 されど盾の厚さを考慮すると守り抜けれるものではなかった。要するに降りそそぐ矢を連想すると、怖れいう隙が生まれ、まさに心は野ざらしの状況になっているようなものであった。


 趙雲が下をのぞいて、その様子を見て笑っていたからたまらない。

「一斉に矢を打ち込み、諸葛亮さまが考案した武器を試す時が来た!」

 矢は一斉にはなたれ、呉の陣めがけて飛んでいく。それを見て陸遜が叫んだ!

「引け!」

「盾で防御したままで引くのだ!」

 降り注ぐ矢に打ち付けられた兵卒らが倒れこんでいく。どうにか、矢の攻撃を免れた者らが盾を拾い、必死に陣形を整えながら後退していく。


 徐盛らの諸将も兵卒らの盾に守られ、ようやく危険を脱することができたときには、無数の呉の兵卒の屍が白帝城付近の間道に散らばっている。

「張飛殿、はやく間道から退却されますように!」

 趙雲が山の上から叫んでいる。

「合い分かった!」

 張飛は蜀の生き残りを連れて、白帝城の方へ急いで進軍していく。そして、兵卒らが間道をやっと抜けたころ、山に仕掛けられていた岩や倒木が、趙雲の手はずで爆発とともに落とされた。

 しかし、張飛はまだ様子をうかがいながら間道の終わり近くまで進んでいた。その爆発の音で、乗っている馬が暴れ始めた。

「どう、どう、どう」

 馬を落ち着かせようとするが、これ以上馬は進もうとしない。落石と倒木は張飛のいる間道の崖下まで落ちていく。

「しまった、行く手をふさがれてしまった」

 いわば、張飛の白帝城までの退却路を完全にふさがれたことになり、それ以上は馬での通過は不可能になってしまった。


 それを見て、崖の上から趙雲が声をかけた。

「大丈夫か、張飛殿」

「お怪我はありませんか?」

 上を見上げて張飛が叫んだ。

「どうにか生きている」

「馬が驚いて、これ以上進むことができなんだ!」

 間道の岩場は一度亀裂ができると崩れやすい。不用意には動けぬことは張飛がよく知っていた。

(このまま呉軍の方へ向かっても、捕まるだけか)

(どうしたものか)

 張飛が考え込んでいると、急に地面が地鳴りのような音を立てる。中国の山間部ではよく地震が起きることは張飛も知っていた。

「この期に及んで、この地鳴り」

「間違いなく大きな地震が来れば、この崖はひとたまりもない!」

 そう叫んだ時である。

「ごごごご…」

 音を立てるように、地面は突き上げ、地上は大きな揺れに襲われた。この間道の下は切り立った崖となっており、落ちれば命はない状況の危険な場所である。

 白帝城の要塞でいざというために仕組まれた間道であったのである。そこに歴戦の勇士が落ちようとしている。

 地上の揺れと共に、崖が崩れて張飛めがけて落下してくる。

(これまでか)

 心の中で木霊するように張飛は今までの戦いなどを思い返している。これを回顧という。

(思えば、桃園の誓いで劉備様と義兄弟になり)

(どれくらいの月日が流れたであろう)

(兄貴の関羽の智がなければ、今の私はない)

(どちらにしても命の繋がれた存在だったのだろうし)

(私はここで落石の餌食になり死んでいくのか)

 張飛の頭の中で劉備に最後会えないことが一番の心残りに思えた。

(もはやこれまで)

 地上の揺れはすさまじく、その落石をもろに受け、張飛は馬もろとも崖の下に落ちてしまった。

 それを見ていた趙雲がかなしげに一礼している。のちに劉備と諸葛亮はこの時の出来事を趙雲から報告を受けることになる。

 史実では、夷陵の戦いのあと劉備も落胆して病に伏せ、この白帝城で落命するのは三国志ファンならよく知っていることである。

                          完

 

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