エマトブルバシア5
フィビーの肩が、ほんの僅かに震えた。
それでも目は死なない。
フーの首輪が赤く強く光る。
——ピリッ。ピリッ。
リンク痛み。
フーは笑って、飲み込む。
「お客さん、極端だなぁ」
軽口にしては、声が掠れている。
オルガナは一歩踏み出した。
「やめろ」
声が低く、震えていた。
『やめろ?』
アプリスが笑う。
『やめない。これは“遊び”ではない。秩序だ』
秩序。
その言葉が、オルガナの胸を刺す。
命令で作る秩序。
逆らえない平和。
自由意志を奪う世界。
(……カタストの信仰と同じだ)
オルガナは蝶の剣を握り直す。
アンドロイド兵が、命令に忠実に動き続けている。
止めたはずの個体が起き上がり、再び突進してくる。
オルガナは避け、受け、崩す。
でも殺さない。
観客が怒鳴る。
「殺せよ!」
「何やってんだ!」
「女王の命令に従え!」
女王——まだ姿は見えない。
だがこの町の中心にいる“支配者”の気配が、闘技場を満たしている。
アプリスが続ける。
『お前が殺さないなら——この子が死ぬ』
フィビーの首元に、兵士の刃が当てられた。
細い首。
鉄の輪。
刃先が皮膚を押し、赤い点が滲む。
オルガナの視界が赤くなる。
その瞬間——フーが、オルガナを見た。
そして、わざと冷たく言った。
「動くな」
刃みたいな声。
「君が暴れれば、フィビーはすぐ死ぬ。
君が脅せば、あいつらは“今”やる」
オルガナが止まる。
止まってしまう。
フーの目は泣いているのに、口は笑っている。
「……英雄ごっこは外でやれ」
言葉は演技。
でも必要な演技。
フィビーが、ほんの少しだけ顔を上げた。
オルガナを見る。
縦の瞳が言う。
(……殺さないで)
(……でも、勝って)
その矛盾が、胸を裂く。
アプリスが手を掲げた。
『では見せてやろう』
兵士が、小さな瓶を取り出す。
中身は黒い液体。
光を吸うように濃い。
『これは毒だ』
観客がざわつく。
『蛇の子の牙は治癒。解毒薬を体内で生成する』
フィビーの表情が僅かに歪んだ。
フーの首輪が赤く点滅する。
——ピリッ。ピリッ。
『つまり——この子は便利だ』
アプリスが淡々と言う。
『死なせることも、生かすことも、こちらの気分次第』
兵士が瓶をフィビーの口元へ近づけた。
フィビーは抵抗しない。
抵抗すればフーが痛む。
抵抗すれば“処刑”される。
オルガナの足が動く。
一歩。
「やめろ!」
叫ぶ。
観客が沸く。
「いいぞ!」
「もっと苦しめ!」
「殺せぇ!」
黒いオーラが、さらに濃くなる。
その時——観客席の端。
蒼い瞳の“客”が、オルガナを見つめていた。
偵察のアンドロイド。
さっき、オルガナが倒れた同胞の胸元に手を伸ばしたのを見ている。
壊さず止めたのを見ている。
そして今——
見ている。
人間が、アンドロイドを殺さずに、子どもを救おうとしている姿を。
蒼い瞳の奥で、何かが揺れる。
(……この人間は、俺たちを“資源”として見ていない)
指先が、隣の個体へ微かに合図する。
(記録)
(伝達)
(——反乱の種)
小さな合図。蝶の羽ばたき。
それがいつか、この町を壊す。
オルガナは剣を握りしめ、唇を噛んだ。
(命令しない)
(でも、見捨てない)
その二つを同時に叶える道を——今、ここで見つける。
アプリスが言う。
『さぁ、旅の女。選べ』
『アンドロイドを殺すか』
『蛇の子を殺すか』
闘技場が息を呑む。
フィビーの目が、揺れずにこちらを見る。
フーの笑みが、割れそうになる。
オルガナの金色のオーラが、強く揺れた。
観客が息を呑む。
次の瞬間に起こる“刺激”を待っている。
フィビーの首元に刃。
フーの首輪が赤く点滅し、痛みを伝える。
——ピリッ。ピリッ。
オルガナの金色のオーラが揺れた。
(殺さない)
(でも、見捨てない)
——その二つを同時に叶える。
方法は一つしかない。
“命令”を切る。
オルガナはアンドロイド兵を見る。
動きが揃いすぎている。
躊躇がない。
刃を振るうのに、呼吸がいらない。
そして——
胸元の装甲。
首の後ろ。
背骨の付け根。
わずかに、同じタイミングで光が走る。
(……信号が回ってる)
闇の命令が、どこかから送られている。
受け取っている箇所がある。
“命令系”だ。
オルガナは羽剣を逆手に持ち替えた。
刃を振るうためではない。
“切る”ため。
——カンッ!
最初の一体。
首を落とさず、胸を割らず、背中を裂かない。
狙うのは一点。
首の後ろ、装甲の継ぎ目。
羽剣の腹で、鋭い衝撃だけ叩き込む。
アンドロイドの蒼い瞳が揺れた。
次に——膝が落ちる。
「……止まれ」
オルガナの声は命令じゃない。
けれど、今は“祈り”だった。
次々に来る。
オルガナは息を吸う。
足が光る。
≪閃光≫
一歩で距離が消える。
——カンッ。
——カンッ。
——カンッ。
同じ場所に、同じ衝撃。
倒れる。
立ち上がろうとして、崩れる。
蒼い瞳から“揃いすぎた光”が薄れていく。
観客席が騒ぐ。
「殺してない!」
「何だそれ!」
「反則だろ!」
アプリスが笑った。
『ほう……壊さずに止めたか』
その笑いの奥で、ほんの僅かに苛立ちが混じる。
——燃料が足りない。
殺戮の快楽が、十分に生まれない。
黒いオーラの量が、さっきより薄い。
アクバの闇球が、満たされない。
オルガナは最後の一体の背へ回り込み、同じ場所に手を当てた。
義手の金属が、装甲に触れる。
(ここだ)
衝撃では足りない。
“命令”そのものを遮断する。
オルガナは金色のオーラを、義手の掌へ集めた。
それは攻撃の光じゃない。
焼く光じゃない。
接続を断つ光。
「……戻れ」
囁き。
光が、薄い膜になって装甲の隙間へ流れ込む。
——ジ……。
蒼い瞳が、瞬きした。
一度。
二度。
そして、兵は剣を落とした。
ぎこちなく、自分の両手を見る。
次に、オルガナを見る。
そこに初めて、感情が宿った。
“命令”が消えた瞬間の、空白の目。
オルガナは言う。
「お前は……捨てられるために生まれたんじゃない」
誰に聞かせるでもなく。
観客がざわめく。
「何言ってんだ!」
「殺せ!」
「早く決めろ!」
アプリスの声が落ちる。
『決断しろ、旅の女。命令はまだ終わっていない』
『アンドロイドを殺せ』
『さもなくば——』
刃が、フィビーの首元を押す。
赤い点が滲み、細い線になる。
フーの首輪が赤く光った。
——ピリッ。ピリッ。ピリッ。
フーは笑っている。
でも喉が震えている。
「……動くなって言っただろ」
冷たい声。演技。
「君が正しいことをするほど、ここじゃ誰かが死ぬ」
オルガナは歯を食いしばる。
でも——視線は逸らさない。
自分が“殺さない”を貫くほど、フィビーが危険になる。
その矛盾の中で、別の道を探す。
オルガナは闘技場の上空を見た。
黒いオーラが、城へ吸われていく。
その流れの先。
貴賓席の影。
紫の頭巾の更に奥に、もう一つの気配。
——片目だけ、鈍い光。
義眼。
その奥に、闇球が埋まっている。
(……あれが核か)




