エマトブルバシア3
路地へ出ると、夕闇の街が息をしていた。
灯りは派手だ。
音楽もある。
笑い声もある。
なのに——空気が重い。
楽しさじゃない。
“興奮”だ。
熱に浮かされたみたいな群衆の気配が、街の中心へ流れている。
(闘技場……)
コロッセオみたいな巨大な建物が、街の心臓みたいに聳えていた。
その周囲だけ、人が異様に多い。
オルガナは頭巾を深く被り、目立たないように歩いた。
だが、視線が追ってくる。
時々、誰かが笑っている。
自分を見て。
(……誘導されてる)
わかっていても、足が止まらない。
止まれば、砂漠か群衆か——どちらにしても詰む。
闘技場の手前。
鉄柵の前で、案内係が声を張り上げていた。
「今夜の《エマトブルバシア》! 飛び入り参加、歓迎だぁ!」
群衆が沸く。
硬貨が飛ぶ。
酒の匂いが混じる。
「勝てば賞金百万円ヒニヤ! 負ければ——まあ、負けたらそれまでだぁ!」
笑い声。歓声。
血の匂い。
その瞬間、オルガナの胃がひくりと痙攣した。
(……ここは、殺し合いを“娯楽”にしてる)
そして、その熱狂が黒いオーラになって城へ吸われる。
——つまり。
この街は、闘技場が“採掘場”なんだ。
人の感情を、命を、恐怖を。
全部、搾り取る場所。
「参加するか?」
突然、低い声。
振り向くと、腕が機械化した男が立っていた。
片目は義眼。口元だけが笑っている。
「旅の者だろ? 宿、取れねぇんだろ?」
オルガナは答えない。
男は肩をすくめる。
「ここに出りゃ、飯も寝床も“用意”される。
勝てりゃ金も出る。負けりゃ——それまでだ」
(……誘導役)
オルガナは男を睨んだ。
「お前、アクバの手先か」
男は笑うだけ。
「知るかよ。俺は“生き残り方”を教えてるだけだ」
その言葉に、ほんの少しだけ本音が混じっていた。
この街の人間は、もう“選べない”。
選べるように見せられているだけ。
オルガナは剣の柄に触れた。
(……ここで暴れたら)
群衆が襲う。
黒いオーラが増える。
城が喜ぶ。
やってることが、相手の思う壺だ。
オルガナは目を閉じた。
——マルコフが言っていた。
“力は使い方で意味を変える”
そして、手帳の文字。
十三の印。
一つ目の場所。
(……ここに闇球があるなら)
避けられない。
オルガナは、ゆっくり目を開ける。
「参加する」
男がニヤリと笑った。
「賢いねぇ」
(賢いんじゃない。追い込まれただけだ)
闘技場の受付へ進む。
「武器は?」
受付が問う。
オルガナは鞘に納まった蝶の羽剣を見せた。
受付の目が一瞬だけ止まる。
だが、すぐに何も感じなかったように書類を出した。
「名は?」
「……オルガナ」
紙に書き込まれる。
その瞬間。
背中に、針みたいな視線が突き刺さった。
振り向く。
二階の観客席の影。
——紫の頭巾。
顔は見えない。
でも、確実に“見られている”。
(アプリス……?)
喉が乾く。
受付が札を投げて寄越した。
「控室へ。開始はすぐだ」
オルガナは札を掴み、歩き出す。
控室は鉄臭かった。
血を洗った水の匂い。
金属の床。
壁には爪痕。
そこに並ぶのは、武器を抱えた者たち。
腕が機械の男。
目が義眼の女。
どこか壊れた笑みを浮かべる少年。
全員、飢えている。
金に。
水に。
生き残る権利に。
(……地獄だな)
オルガナが腰を下ろした瞬間、床が震えた。
——ドォン! ドォン!
歓声。
開始の合図。
血の舞台が開く。
オルガナは蝶の羽剣に手をかける。
(闇球の在処まで、必ず辿り着く)
だが胸の奥で、別の感覚が疼いた。
——嫌な予感。
この闘技場は、ただの“大会”じゃない。
自分は、見世物としてではなく——
“材料”として呼ばれている。
オルガナは、息を呑んだ。
歓声が、壁を揺らした。
控室の天井から砂が落ちる。
床が震えるたび、誰かの命が軽くなる音がした。
——ドォン、ドォン。
「行くぞ、看板」
兵士が鎖を引く。
フーは肩をすくめる。
笑っている。けれど目が笑っていない。
「了解。……フィビー、目を閉じろ」
九歳の蛇の少女は、小さく頷いた。
その瞬間——フーの首輪が赤く光る。
——ピリッ。
フーの頬が僅かに引きつった。
(リンク痛み……)
兵士がニヤつく。
「いい子でいろ。逆らえば次は“処刑”だ」
フーは軽口で返す。
「分かってるよ」
震える怒りを、笑いで包んで飲み込む。
フィビーはフーの袖を、ぎゅっと握っていた。
泣かない。叫ばない。
ただ、世界を噛み殺す目をしている。
通路の先から光が差した。
眩しさと一緒に、熱が押し寄せる。
——昼の闘技場。
砂漠の日差しを浴びたコロッセオは、白く輝いて見えた。
観客席はぎっしり。金属の義肢が鳴り、酒の匂いが渦を巻く。
司会の声が拡声器みたいに響く。
「さぁさぁ! 本日の目玉!
“狐の曲芸師”フーの登場だぁ!」
歓声。口笛。
笑い声がうねる。
フーは、手首の鎖を引かれながら、砂の上へ歩いた。
狐耳が風に揺れる。
「今日はどんな芸を見せてくれる!?」
「燃やせー!」
「ぶっ壊せ!」
観客は“人”を見ていない。
見ているのは娯楽だ。
フーは笑った。
「お客さん、欲張りだなぁ」
軽く両手を広げ、指先を鳴らす。
——ボゥッ。
狐火が掌に灯る。
橙の火球がふわりと浮かび、次々に増えた。
「ほら、拍手」
火球が宙で回転し、輪を作り、花みたいに開く。
拍手が起きる。歓声が増える。
その瞬間。
観客席の上に、黒い煙のようなものが薄く立った。
オルガナは見逃さない。
(……やっぱりだ)
熱狂が、恐怖が、欲望が——“黒”になる。
黒いオーラは、闘技場の上空を漂い、街の中心の城へ吸い寄せられていく。
まるで煙突に吸われる煤みたいに。
司会が叫ぶ。
「次は“本番”だぁ! フー! 戦えぇ!」
フーの笑みが、一瞬だけ硬くなる。
「……了解」
兵士が鎖を強く引いた。
——ガチャッ。
フィビーが控室側の柵の向こうにいる。
目を閉じている。
それでも、震えは伝わる。
フーは息を吸い、吐く。
「……やるよ。見せ物だから」
そう言って、砂の上に立った。
相手が出てくる。
闇の気配を纏った改造闘士。
腕が鋼で、皮膚の下に配線が走っている。
(……アンドロイドと人間の境目が曖昧だ)
フーは狐火を掌に溜めた。
撃てば倒せる。
でも——本気で撃てない。
逆らえばフィビーが痛む。
逆らえば“処刑”される。
フーは、わざと派手に火球を飛ばした。
——ボンッ! ボンッ!
相手の足元に爆ぜる。砂が舞う。観客が沸く。
「うおおおお!」
「すげぇ!」
「もっとやれ!」
フーは笑い、距離を取る。
狐火で“演出”しながら、決定打を避ける。
(……殺すな。従え。楽しませろ)
命令が鎖で喉を締める。
その時。
相手が突っ込んできた。
鋼の腕が振り下ろされる。
フィビーの柵に近い。
フーの目が変わる。
「……ッ!」
狐火ではなく、妖力を掌に凝縮した。
——ギュゥ……。
金色に近い光が、狐の掌で脈打つ。
(撃てば終わる。でも……)
首輪が赤く光る。
——ピリッ。
痛みが走る。
フーは歯を食いしばり、演じるように叫んだ。
「危ないなぁ!」
掌の光線は、相手の肩をかすめるだけ。
派手な火花。歓声。
倒れない。倒せない。
フーはその瞬間だけ、オルガナの方を見た。
目が言う。
(生き残れ)
(助けたいなら、今は勝て)
司会が煽る。
「やれぇ! フー! 燃やせぇ!」
観客の熱狂が、さらに黒くなる。
黒いオーラが厚く立ち昇る。
——“燃料”が増える。
フーは笑って手を振った。
「はいはい。サービスだよ」
狐火が舞う。
演じながら、怒りを飲み込みながら、
フーは“生き残るための芸”を続けた。
そして、ようやく相手が倒れた瞬間。
観客が満足したと判断した兵士が、鎖を引く。
「終わりだ。戻れ」
フーは息を吐いた。
フィビーが小さく目を開き、フーを見る。
その目は言う。
(ごめん)
フーは笑って、首を横に振った。
「謝るな」
声は小さい。
「……君は悪くない」
その言葉だけが本音だった。




