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蝶の鍵と黒霧の王女  作者: 髙橋彼方
第二章『エマトブルバシア』
18/22

エマトブルバシアEND

——ズゥゥゥゥ。

黒い霧が逆流した。

導管の中の霧が、アクバへ吸い込まれていく。

吐き気がするほど濃い欲望。

怒り、嫉妬、興奮、悲鳴の澱。

アクバの体が、内側から膨らんだ。

皮膚が黒く焼け、肉が削げ、骨が浮く。

「ぐ……ァ……」

声が、多重になる。

——欲しい。

——殺せ。

——奪え。

——もっと。

囁きが、機械室いっぱいに拡がる。

そして——

アクバは骸骨のような怪物へ変わった。

片目の眼窩には、闇球がむき出しで浮いている。

肋骨の内側は空洞で、そこに黒い霧の渦が巻いていた。

顎が開くたび、声が一つじゃなくなる。

「……これが……力だ……!」

霧が鞭になる。

——ブワンッ!

骨の腕から伸びた黒い鞭が床を叩き、格子が割れる。

機械室の黒い川が跳ねる。

ウェイトレスが震える。

「……あれ、もう人じゃない」

「アフィニシーだ」とフーが低く言う。

「完全に……飲まれた」

オルガナは蝶の羽剣を握りしめた。

(斬る対象)

(でも——殺すためじゃない)

(断つためだ)

骸骨アクバが笑う。

「俺は……送る。俺が、女王に……!」

闇球が輝き、導管が再び唸り始める。

霧の流れが戻ろうとする。

フィビーが小さく言った。

「……流路、闇球が栓」

「なら」とオルガナは息を吐く。

「栓を断つ」

オルガナは≪閃光イランプス≫で距離を詰めた。

骨の鞭が来る。

——ブンッ!

オルガナは刃を立てず、羽剣で受け流す。

——ガンッ!

鞭が裂ける。

霧が散り、すぐ戻る。

フーが前へ出かける。

右手に黒い影が集まりかける。

狐魂アレップ≫の兆し。

オルガナが視線だけで止める。

(使うな)

フーの肩が震える。

だが、頷いて踏みとどまった。

アンドロイドが動く。

蒼い瞳の個体が、床の配線へ腕を突っ込み、回路を引き抜く。

——バチバチ!

照明が不規則に落ち、骸骨の影が揺れる。

視界が“途切れる”。

その一瞬で、オルガナは闇球の前へ滑り込んだ。

骸骨が叫ぶ。

「来るな!」

霧が噴き上がり、肋骨の内側から黒い槍が生える。

——ブシュッ!

槍がオルガナを刺そうとする。

オルガナは半歩ずらす。

槍が義手の肩を掠め、火花が散る。

痛み。

だが止まらない。

オルガナは羽剣を、闇球へ向けた。

刃を立てる。

ここだけは、“斬る”。

ペタルナ光子フォトニオ

黄金の光が刃に宿る。

光は“命”ではなく、“鎖”を断つ。

——シャンッ!

一閃。

闇球の表面に、細い亀裂が走った。

骸骨アクバの声が割れる。

「ァ……!?」

霧が暴れ、鞭が乱れ、槍が崩れる。

導管の流れが逆回転し始める。

オルガナはもう一度振る。

——シャンッ!

亀裂が広がる。

闇球が悲鳴のように唸る。

骸骨の肋骨内の渦が、吸い込まれるようにほどけていく。

——欲しい。

——奪え。

——もっと。

多重の囁きが、だんだん遠のく。

最後に残ったのは、アクバの声だった。

「……やめ……て……」

弱い声。

ただの——空っぽの声。

オルガナは息を吐く。

「終わりだ」

三閃目。

——ヴァギィン!

闇球が砕けた。

黒い霧が“流れ”を失い、空へ散る。

骸骨の体は支えを失い、崩れていった。

骨が落ちる音。

霧が抜ける音。

機械が止まる音。

導管の唸りが止まり、黒い川が細くなり、やがて消える。

——カラン。

乾いた音が一つ。

砕けた闇球の中心から、指先ほどの黒い宝玉が転がり落ちた。

光を吸い、夜より暗い。だが割れない。

オルガナは息を止め、宝玉を見下ろした。

(……これが“核”か)

そっと義手で拾い上げる。冷たい。

脈打つみたいに、微かに震えた。

耳の奥で、一瞬だけ囁きが鳴る。

——欲しい。

オルガナは握り締め、囁きを押し潰すように言った。

「……もう、支配はさせない」

宝玉を布で包み、胸ポケットへしまう。

それは戦利品ではなく、先へ進むための欠片だった。

静寂。

機械室に残ったのは、濡れた鉄の匂いと、呼吸だけだった。


ウェイトレスが震える手で壁の操作盤へ走った。

今度は迷わない。

「……解除、解除……!」

指が滑る。血が滲む。

でも回す。押す。

——カチャン。

どこかで、重い錠の音がした。

次々に。

カチャン、カチャン、カチャン。

檻の制御盤が沈黙から目覚め、解放の信号を流す。

遠くで、鉄格子が開く音。

人の息を呑む音。

そして——泣き声。

機械室の入り口に、影が集まり始めた。

鎖の跡を残した者たち。

怯えた目。疑う目。

それでも、外の空気を求める目。

「……嘘だ」

誰かが呟く。

「本当に、終わったのか」

ウェイトレスが前へ出た。

震える。だが退かない。

「命令は、もう来ない」

その一言は、剣より重かった。

人々が息を呑む。

その背後で、アンドロイドの蒼い瞳が光る。

命令で動く目じゃない。

自分の意思で立つ目だ。

フィビーが小さく息を吸った。

「……外の風」

フーが、彼女の頭をそっと撫でる。

そして自分の右手を、わずかに背へ隠した。

オルガナは剣を鞘に戻した。

胸ポケットの宝玉が、微かに冷たい。

「終わった」

ウェイトレスが涙を拭って、笑った。

「……終わってないよ」

「でも、始まった」

小さな選択が、連鎖して——町の核を止めた。

バタフライエフェクト。

オルガナは頷く。

「行こう」

この町の外へ。

そして、次の闇球へ。

蒼い瞳が、彼女たちの背を見送る。

命令ではなく、希望として。


◆第二章 『エマトブルバシア』END

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