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蝶の鍵と黒霧の王女  作者: 髙橋彼方
第二章『エマトブルバシア』
16/22

エマトブルバシア13

地下サーカス場に残ったのは、血と蒸気と静寂だけだった。

トリノは沈黙している。

グリーは床に転がり、指が痙攣している。

コッキンは——もう“形”を失っている。

フーは立ち尽くし、自分の手を見ていた。

血に濡れた爪。裂いた肉。

それを拭おうとして、途中で手が止まる。

オルガナは剣を抜かないまま、フィビーを抱えて一歩近づいた。

「……行けるか」

フーは短く頷いた。

「行ける。……でも、俺はもう前みたいに“きれい”には戦えない」

「きれいじゃなくていい」

オルガナは言った。

「生きて、ここを壊す」

ウェイトレスが、濡れた床で膝をついていた。

アンドロイドの残骸のそば。

蒼い瞳が消えた個体の胸に手を当てている。唇を噛み締め、震えを飲み込んでいた。

「……ごめんなさい」

オルガナは首を横に振る。

「謝るな。選んだんだ」

選択。

自由意志。

この町が一番嫌う言葉。

アンドロイドたちが静かに動く。

残った個体が残骸を回収し、部品を繋ぎ、二度と立たない仲間を水から引き上げる。

言葉はなくても、弔いはある。

その時、フィビーがオルガナの腕の中で小さく息を吸った。

「……上」

「上?」とウェイトレスが顔を上げる。

フィビーは縦の瞳で天井を見た。

「黒いの……流れてる」

オルガナも気づく。

この地下でも、黒いオーラが細く立ち、どこかへ吸われている。

城だ。

闘技場の上。

曲芸町の中心。

アクバの居場所。

フーが低く言う。

「……あいつの義眼だ。闇球」

ウェイトレスが唇を噛む。

「噂じゃない……本当だったのね」

オルガナは息を吐く。

「この町は、欲望を集める装置だ」

怒り、嫉妬、興奮、悲鳴。

それが黒い川になって流れ、吸われていく。

オルガナは振り返った。

アンドロイドの蒼い瞳が、こちらを見ている。

命令で動く目じゃない。自分の意思で立っている目だ。

オルガナは言った。

「……一緒に来るか」

命令じゃない。

勧誘でもない。

ただ、選択肢を差し出しただけ。

蒼い瞳が一度だけ瞬き、次に頷いた。

ウェイトレスが立ち上がる。

「行き方は……ある」

濡れた髪を払って、彼女は壁際の鉄柵へ向かった。

「この先に、従業員用の上り通路がある。城の裏に出る」

フーが鼻で笑う。

「最短だな」

「最短じゃないと間に合わない」

ウェイトレスの声は震えているのに、目が強い。

「奥様——アプリスはきっと、もう動く」

アプリス。

闘技場で“秩序”を語った女。アクバの妻。

オルガナは頷く。

「なら、行く」


上り通路は、狭くて暗かった。

天井が低い。

壁に配線が這い、赤いランプが点滅する。

機械の町。

鉄の国の匂いがする。

ここはサーカスの裏じゃない。城の“内部”だ。

ウェイトレスが囁く。

「この通路は……物資と、人を運ぶ」

「人を?」とオルガナが聞く。

ウェイトレスは答えない。

答えたら、戻れなくなる顔だった。

フィビーが小さく言う。

「……檻、いっぱい」

フーが歯を食いしばる。

オルガナは拳を握りしめた。

(まず城を止める)

(止まれば、檻が開く)

そう信じなきゃ、今は前に進めない。

通路の奥が開ける。

そこは城の裏手にある、巨大な機械室だった。

床は格子。

下には、黒い霧みたいなオーラが“川”のように流れている。

天井には巨大な導管。

黒いオーラがそこへ吸い上げられ、上層へ送られていく。

(送電だ)

欲望の送電。

オルガナが視線を上げる。

奥の高台に、人影。

豪華な衣装。

だが立ち姿は弱々しい。

そして——片目だけが、不自然に鈍く光っている。

義眼。

その中心に、黒い宝玉。

闇球。

アクバだ。

「……来たか」

声は低い。威圧は薄い。

強者の声じゃない。

“装置の管理者”の声。

だが、その背後で——鉄が擦れる音がした。

——ギ……ギ……。

背中から、鉄製の触手が伸びる。

一本、二本、三本。

鞭のようにしなり、空気を裂く。

自動攻撃。

敵意に反応する牙。

ウェイトレスが息を呑む。

「……あれが……」

フーが低く言う。

「強くないくせに、守りだけ一丁前だ」

アンドロイドたちが一斉に前へ出ようとした。

だがオルガナは手を上げて止める。

「行くな」

命令じゃない。

“今は”の合図。

触手が一度動けば、全員が裂かれる。

まずは仕組みを見る。

オルガナは一歩前へ出た。

「お前がアクバか」

アクバは笑った。

「そうだ。曲芸町の主。欲望の管理者」

言い方が、妙に誇らしい。

「お前たちは勘違いしている。

私は強くない。だから支配している」

オルガナは眉を寄せる。

「矛盾してるな」

アクバは義眼を指で叩いた。

「これが答えだ」

闇球。

「欲望は力だ。

人が怒り、嫉妬し、興奮し、泣く。

それを集めて——送る」

「どこへ」

アクバの口角が上がる。

「眠っている女王へ」

パンドラ。

オルガナの背筋が冷える。

この町は、彼女の“食事”だった。

アクバは続ける。

「私が送れば送るほど、女王は近づく。

目覚めに。完全に」

フーの拳が震える。

「……ふざけるな」

触手が、ギ、と鳴った。

敵意に反応した。

——ブンッ!

鞭が走る。

オルガナは≪閃光イランプス≫でフーの前へ入り、触手の軌道を剣の腹で逸らす。

——ガンッ!

火花。

鉄の鞭は止まらない。すぐに戻ってくる。

(自動だ)

(操ってるんじゃない)

厄介だ。

アクバが弱くても、触手が強い。

しかも“敵意”に反応する。

オルガナは息を吐いた。

「……なら、敵意を出さずに壊す」

アクバが笑う。

「できるなら、やってみろ」

その瞬間、機械室の上階の扉が開いた。

——カツン、カツン。

ヒールの音。

アプリスが現れた。

紫の頭巾を外し、鋭い目で見下ろす。

闘技場の“奥様”。

「……見せ物はさっさと檻に戻るべきよ」

その声だけで、空気が締まる。

「命令違反者。反乱者。

そして——私の夫に敵意を向けた罪」

触手が、さらに蠢いた。

オルガナは剣を抜かない。

目だけで仲間に合図した。

(今は殺すな)

(壊すのは“装置”だ)

アンドロイドの蒼い瞳が、頷く。

ウェイトレスが震える手で、壁のレバーを見つめた。

(あれを落とせば、導管が止まる)

(でも——)

その時、フィビーが小さく言った。

「……黒い川、ここで切れる」

九歳の声が、機械室に落ちた。

オルガナは頷く。

「切ろう」

反乱の始まりは、叫びじゃない。

小さな選択の積み重ねだ。

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