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蝶の鍵と黒霧の王女  作者: 髙橋彼方
第二章『エマトブルバシア』
14/22

エマトブルバシア11

フィビーの瞳が、僅かに揺れた。

オルガナはそれを見逃さない。

(……こいつが)

全身にあるフィビーの傷の理由は。

オルガナの金色のオーラが、静かに燃え直した。

パチ、パチ、パチ。

拍手が、やけに乾いて響いた。

濁流の音がまだ残る地下で、その拍手だけが浮いている。

グレーのピエロ——グリーは、濡れた床を気にする様子もなく歩いてきた。

笑顔は軽いのに、目が冷たい。

「いいねぇ。集団芸」

指先で小瓶を回す。

黒い液体が光を吸い、瓶の中でねっとりと揺れる。

「次は——個人芸だよ」

フィビーの縦の瞳が、僅かに揺れた。

フーの腕の中で、小さな肩が一瞬だけ震える。

泣かない。叫ばない。

けれど“記憶”が体を掴んでいる。

オルガナはその震えを見逃さなかった。

「……フィビー」

名を呼ぶと、フィビーは目を逸らさずにグリーを見た。

見たくないのに、見てしまう目。

グリーが楽しそうに言う。

「まだ覚えてる? 蛇の子」

フィビーの指が、フーの服をぎゅっと掴む。

フーの耳が伏せられ、低い声が漏れた。

「……やめろ」

グリーは首を傾げる。

「やめる? なんで? 君たちのおかげで僕は助かったのに」

——パチン。

指を鳴らすと、小瓶が一つ宙へ跳ねた。

次に二つ、三つ。

瓶は落ちない。

空中で“回り始める”。

ジャグリング。

だが、ただの芸じゃない。

瓶の軌道に合わせて、毒の匂いが広がる。

甘く、金属のように鼻を刺す匂い。

(吸ったら終わる)

オルガナは息を止める。

「吸うな!」

ウェイトレスが咄嗟に口元を押さえ、アンドロイドたちも顔面プレートを下げる。

フィビーだけが、静かに呼吸を整えていた。

——毒を知っている呼吸。

知りたくもないのに。

グリーが笑う。

「さすが。反応がいい。じゃあ——これならどう?」

——シュッ。

瓶が一つ、オルガナへ真っ直ぐ飛んだ。

オルガナは羽剣の刃を立てない。

腹で叩く。

——カンッ!

瓶は弾かれ、壁へ。

——パシャッ!

黒い液が飛び散り、壁がじゅわっと溶けた。

「……腐食毒」

グリーが拍手する。

「正解。君、頭いいね」

次の瞬間、瓶が十に増えた。

回る。回る。回る。

円が二重になり、軌道が重なり、どれがどれか分からなくなる。

その中に、刃物が混じる。

ナイフ。針。細い鎌。

全部、毒を含んでいる。

「さぁ、どれが当たりかな?」

笑い声が、耳の奥で嫌に響いた。

(距離戦だ)

近づけば毒の雨。

下がれば追い詰められる。

オルガナは踏み込まない。

代わりに床の水を蹴り、跳ね上げた水滴で軌道を読む。

——一瞬、瓶の回転が乱れる。

(中心は……あそこ)

その瞬間、グリーがわざと聞こえるように言った。

「蛇の子、便利だったなぁ」

フィビーの肩が小さく跳ねた。

ウェイトレスが息を呑む。

「……何を言ってるの」

グリーは嬉しそうに肩をすくめる。

「人体実験だよ」

言い方が軽い。

吐く言葉が軽すぎて、胃が冷える。

「毒を中和する能力、欲しかったんだよね。僕、毒使いだし」

グリーは自分の胸を指で叩いた。

「この体さ。君たちのおかげで“改良”された」

フィビーの瞳が揺れた。

思い出が喉元までせり上がる。

グリーは続ける。

「蛇の子の牙、すごいよ。治癒。解毒薬を体内で生成できる。

だから——何回でも試せる」

ウェイトレスが震える声で吐き捨てた。

「……最低」

グリーが笑う。

「結果として僕は生き残った。正しいでしょ?」

その瞬間、オルガナの金色のオーラが、静かに燃え直した。

怒鳴らない。

叫ばない。

代わりに温度が落ちる。

——冷たい怒り。

オルガナはフィビーへ視線を向けた。

「フィビー。毒の種類、分かるか」

フィビーは小さく頷く。

鼻先で匂いを拾うように、空気を少しだけ吸う。

「……三つ」

フーが驚いてフィビーを見る。

「分かるのか」

「……覚えた」

覚えさせられた言葉。

フィビーが指を折る。

「甘いの、麻痺。黒いの、腐る。

あと……金属の匂い、息が止まる」

呼吸毒。

オルガナは一度だけ目を閉じた。

(ありがとう)

言葉にしない。

言葉にしたら、フィビーの過去を“道具”にしてしまう気がした。

オルガナは剣を構える。

「……終わりだ」

グリーが笑う。

「終わり? 君が? 僕が?」

瓶が一斉に飛ぶ。

——シュシュシュシュッ!

毒の雨。針の雨。刃の雨。

オルガナは一歩踏み出す。

閃光イランプス

金色の残光が地下を切り裂く。

瓶が落ちるより先に、オルガナは“中心”へ入った。

「な——」

グリーの笑みが消える。

オルガナは刃を立てない。

柄で叩く。

——ゴンッ!

右手首。投げる手。

グリーの腕から力が抜け、瓶が床に落ちる。

——パシャッ!

黒い液が弾ける。腐食が走る。

だがオルガナはもうそこにいない。

——ゴンッ!

左肘。関節が崩れ、腕が動かない。

「ぐっ……!」

グリーが後退る。

逃げようとする。

だが逃げ道は水。壁。鉄格子。倒れたトリノ。

オルガナは回り込み、肩を叩き、胸を押し、膝を落とす。

全て峰打ち。全て関節。全て“投げられない体”へ変える。

瓶の輪が崩れ、床に落ちた毒が泡を立てる。

地下に腐食の臭いが充満する。

グリーの息が荒くなる。

余裕が剥がれていく。

それでも、最後の足掻きに出た。

口を開け、舌の裏から小さな針を吐く。

——ピュッ!

狙いはフィビーではない。

端に立つウェイトレス——檻の鍵を持ってきた女。

“反乱の芽”。

「っ……!」

ウェイトレスの瞳が見開かれる。

逃げる暇はない。

オルガナの体が反射で動く。

閃光イランプス

一歩で針の前へ入り、羽剣の腹で弾いた。

——チンッ!

針が床へ落ち、じゅわっと溶ける。

オルガナはグリーを見た。

「……終わりだ」

グリーの喉が鳴った。

その視線が、フィビーへ滑る。

九歳の蛇の子は、泣いていない。

震えているのに、目を逸らさない。

“道具”じゃない。

“意思”だ。

グリーの笑みが、初めて崩れた。

——ゴンッ!

次の瞬間、峰が額を打ち、グリーの膝が崩れた。

声も出せないまま、床に倒れる。

気絶。

オルガナは振り向き、ウェイトレスを一度だけ確かめた。

「大丈夫か」

ウェイトレスは震えながら頷いた。

「……はい」

フィビーが小さく息を吐いた。

長く、細い息。

そして、ぽつり。

「……ありがとう」

その一言で、オルガナの胸が裂けそうになった。

フーが低く言う。

「終わってない」

視線は、赤いピエロへ。

コッキン。

リーダー。

フーの過去に繋がる男。

コッキンは拍手もしない。

ただ楽しそうに笑った。

「いいね」

バネの入った脚が、きゅ、と縮む。

「次は僕の番だ」

フーの笑顔が消える。

「……殺す」

その一言が、地下の空気を凍らせた。

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