エマトブルバシア10
——その瞬間。
トリノの腹が揺れ、口の砲身が唸った。
「まずは、まとめて消すか」
オルガナは叫ぶ。
「伏せろ!」
フィビーを抱えたフーが身を低くする。
ウェイトレスが水路の壁へ飛びつく。
そして——
トリノの口が火を噴いた。
砲声が地下を裂いた。
——ドォンッ!
爆風が水面を叩き、下水の水が壁に跳ね返る。
湿った空気が一瞬で熱を帯び、鼻孔の奥が焼けた。
オルガナは身を低くし、フィビーを抱えたフーとウェイトレスを庇うように前へ出る。
剣は抜いている。だが刃は立てない。
「散れ!」
声は短い。命令じゃなく、生存の合図。
——二発目が来る。
トリノが腹を揺らして笑った。
「ひゃはっ! 逃げるの上手いねぇ!」
口を開ける。
喉奥の砲身がギィ…とせり出す。
(撃たせるな)
厚さ一メートルのコンクリートに穴を開ける威力。
この狭さなら一発で全員が終わる。
——ドォンッ!
砲弾が来る。
オルガナは跳び、壁を蹴り、床を滑る。
爆風だけを背中に受け、金色のオーラで耐える。
その横で、アンドロイドが動いた。
蒼い瞳の個体——観客席に紛れていた偵察組と、その仲間たちが影から現れる。
彼らは言葉を持たない。
だが動きは言葉より雄弁だった。
(守る)
(選ぶ)
銃声が走る。
——ダダダダッ!
トリノの肘から銃口が伸び、腹から小型砲がせり出し、背中から刃が覗く。
“撃つための体”が、こちらを塗り潰しに来る。
アンドロイドが前に出て弾を受ける。
金属の腕で弾を弾き、体で受ける。
——バチッ!
火花と共に胸板が凹む。
一体、膝をついた。
それでも蒼い目はまだ光っている。
ウェイトレスが息を呑んだ。
「……こんなの……」
泣きそうになるのを、歯で止める。
(泣くな)
(今は動け)
ウェイトレスは壁際へ走った。
濡れた床を滑りそうになりながら、鉄の大きなハンドルへ手を伸ばす。
遮断弁。
水門の操作盤。
だが——オルガナは声を出さない。
振り向かずに、ほんの一瞬だけ視線を飛ばす。
“今だ”
ウェイトレスは一瞬だけ目を見開き、唇を噛んで頷いた。
そして全身でハンドルに体重を預ける。
——ギギギギ……!
重い。固い。
手が滑り、血が滲む。
トリノはまだ、オルガナだけを見ていた。
「ちょこまかうるせぇなぁ!」
口の砲身が唸り、砲口がオルガナへ向く。
——ドォンッ!
爆風。
オルガナは≪閃光≫で距離をずらし、砲弾の軌道だけを外す。
(稼げ)
(あと数秒)
その間に——
グリーが気づいた。
水の匂い。
床の微かな震え。
ハンドルの金属音。
グレーのピエロが、甘い声で言った。
「トリノ。そっち。回されるよ」
その一言で、トリノの目が細まり、視線がウェイトレスへ滑る。
「……あぁ?」
砲身が、ゆっくりと方向を変える。
(来る)
ウェイトレスの背筋が凍る。
——ドォンッ!
砲弾がウェイトレスへ――。
間に合わない。
だが、蒼い影が飛び込んだ。
アンドロイドが砲弾を“抱えた”。
——グォンッ!
爆風が地下を洗い、蒸気が広がる。
アンドロイドの胴が裂け、胸の蒼い光が消える。
それでも最後の瞬間まで、身体はウェイトレスの前にあった。
ウェイトレスは叫びそうになって、喉を潰した。
(止まるな)
(回せ)
ハンドルを回す。
——ギギギギギ……!
水位が上がり始める。
下水が生き物みたいに唸り、奥で低い轟きが返る。
トリノが笑う。
「水? 水でどうにかなると思ってんのぉ!」
その瞬間、オルガナが動いた。
≪閃光≫
一歩で距離を詰める。
羽剣は刃を立てない。峰で叩く。
——ゴンッ!
顎。
砲身が噛み合い、歯車がずれる。
「ぐぇっ!?」
口の砲が“撃てない”。
オルガナは続けて、脇腹の継ぎ目を叩く。
——カンッ!
内蔵火器の装填口が歪む。
「な、なにして……!」
オルガナの声は低い。
「撃てない体にするだけだ」
トリノが怒りで目を血走らせ、腕の銃を向けた。
——ダダダッ!
オルガナは躱し、踏み込み、関節を叩く。
——バキッ!
銃を持つ腕が落ちる。
折る。潰す。止める。
殺さない。
だがトリノは強化人間だ。
肉の中に鉄がある。簡単には止まらない。
「ひゃはっ! 痛いねぇ!」
笑いながら、胸板が開く。
——ガシャッ。
内部から回転する銃座が現れる。
「じゃあ、これでどうだよぉ!」
撃とうとした瞬間——
水門が完全に開いた。
——ゴォォォォ!
濁流が押し寄せる。
一気に水位が上がり、足元が持っていかれる。
トリノの体が重い。
強化のせいで、沈む。
「うおっ!?」
体勢が崩れる。
アンドロイドたちが動く。
二体が背後へ回り、装填口に腕を突っ込んだ。
——バチバチ!
内部で火花。
装填が噛み合わない。
トリノが喚く。
「やめろぉ! 中に入るなぁ!」
オルガナが最後に、口の砲身へ羽剣の峰を叩き込んだ。
——ガンッ!
砲身が歪み、完全に沈黙する。
「終わりだ」
トリノが濁流に膝をつく。
だがまだ笑う。
「ひゃはっ……殺さねぇのかよ……優しいねぇ……」
オルガナは答えない。
代わりに、ウェイトレスが息を呑みながら言った。
「……優しいから、私たちがここにいる」
その言葉に、トリノの笑みが一瞬だけ止まった。
理解できないまま、トリノは濁流に押し流され、舞台奥の鉄格子へ叩きつけられた。
——ガァン!
気絶。
無力化。
“殺さずに終わった”。
しかし代償は残る。
床に崩れたアンドロイドの残骸。
蒼い光が消えた目。
ウェイトレスが震える手で胸を押さえた。
「……ごめんなさい」
オルガナが首を振る。
「謝るな。選んだんだ」
選択。
自由意志。
この街の支配が一番嫌う言葉。
フーがフィビーを抱えたまま、濡れた床を見つめる。
「……借りが増えた」
フィビーが小さく言う。
「……返す」
フーが一瞬だけ目を見開き、笑った。
「お前、ほんと口が毒だ」
フィビーは首を傾げる。
「蛇だから」
——笑いが一瞬だけ生まれた。
その瞬間。
グレーのピエロ、グリーが拍手した。
パチ、パチ、パチ。
「いいねぇ。集団芸」
毒の瓶が指の上で回る。
「次は——個人芸だよ」




