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第8章 カンジヨー

音が、遠かった。


完全に消えたわけじゃない。

ただ、世界の奥へ押し込まれたみたいに、輪郭だけが薄くなっている。


二人が身を潜めていたのは、崩れた構造体の裏側だった。


用途のわからない骨組み。

壁だったのか、門だったのか。

もう判別できない残骸。


灯凛は、そこに腰を下ろす。


「……ここ、ちょっとだけ平気」


ちょっとだけ、という言い方。


安全ではない。

けれど、今すぐ壊される場所でもない。


その曖昧さを、灯凛は正確に掴んでいた。


シアも、遅れて座る。

背中を預けた瞬間、足の力が抜けた。


「……はぁ……」


吐いた息が、思ったより長い。


胸の奥で、まだ“線”は鳴っている。

でも、さっきより細い。


「ね」


灯凛が、前を見たまま言った。


「いま、距離どれくらいだと思う?」


「……え……?」


「うしろの人」


言わなくても、誰のことかわかる。


シアは、少し考えた。


「……近い、と思う……」

「でも……まだ……」


「うん」


灯凛は、即座に頷く。


「まだ来ない」

「ちゃんと、間に合う」


それは願いじゃない。

計算だった。


灯凛は、何もない空間を見つめる。


「ここで、サンジューとロク……」


「次で、二・一・ゼロ・一・一」


「最後に……」


言葉が、そこで途切れる。


「……まあ、いいや」


あっさり切り捨てた。


「着くよ」

「目的地」


その言葉に、シアの胸が少しだけ跳ねる。


「……どんな……ところ……?」


灯凛は、少し考えるみたいに視線を上げてから答えた。


「静か」

「あと、壊れてる」


シアは、少し間を置いてから、声を落とす。


「……こわい……?」


灯凛は、少し首を傾けた。


「うーん……」

「怖い、っていうより……」


考える仕草。


「……思い出しそうで、思い出せない場所」


その言い方が、引っかかった。


「……トーリン……」


シアは、躊躇いながら続ける。


「さっきから……」

「その……」


喉が、ひっかかる。


胸の方を押さえながら、言った。


「熱が小さくなったり……おかしいの?」


言った瞬間、

自分の声が、やけに大きく聞こえた。


灯凛は、すぐには答えない。


視線が、膝の上に落ちる。


「……ああ」


思い出したように、声を出す。


「それね」


灯凛は、膝の上で指を組んだ。


「知ってるよ」

「言葉は」

「説明もできる」


淡々と、続ける。


「刺激があって」

「それを評価して」

「中が変わって」

「行動が出る……」


少し間を置いて。


「……まあ、いいや」

「意味は、わかんない」


でも、と続ける。


「大切なものだって」

「失うと、戻らないって」

「そういうのも、知ってる」


知識として。


「でも……」

「どうして大切なのかは……」


灯凛は、少し困った顔をした。


「……説明できない」


風が、構造体の隙間を抜ける。


遠くで、

金属が擦れるような音がした。


セラフィス。


距離は、確実に縮んでいる。


それでも、灯凛は動かない。


「ね、シア」


静かな声。


「さっき走ってたとき」

「怖かったでしょ」


「……うん……」


「それが、カンジヨー」


「……え……?」


「たぶん」


曖昧な断定。


「中が、ぎゅってなって」

「逃げたいのに」

「それでも、足が動いた」


灯凛は、シアを見る。


「それ」

「すごく、正しい反応」


褒めているのか、評価しているのか。

シアには、まだ区別がつかない。


「……トーリンは……?」


思わず、聞いていた。


「トーリンは……」

「怖く……ないの……?」


灯凛は、一瞬だけ黙った。


「……あるよ」


小さな声。


「たぶん」

「でも……」


視線が、遠くへ流れる。


「それが、どれか……」

「わかんないだけ」


その言葉が、妙に胸に刺さった。


シアは、何か言いかけて――

言葉を飲み込む。


しばらく、間があって。


小さく、確かめるように聞いた。


「……それ……」

「悲しい……かんかく……?」


灯凛は、少し考える。


ほんの、少し。


「……うん」


短く。


「たぶん、悲しい」


理由は言わない。

言えない。


そのとき。


遠くで、はっきりとした音がした。


剣が、地面を削る音。


距離が、また縮む。


灯凛は、すっと立ち上がる。


「行こ」


さっきまでの静けさが、嘘みたいに消える。


「休憩、終わり」

「でも……」


振り返らずに続けた。


「いまの時間」

「たぶん……大事だった」


少し間をおいて。


「理由は、わかんないけど」


シアも、立ち上がる。


胸の奥で、

何かが静かに残っていた。


名前のつかない、温度。


それが、

後で――取り返しのつかないものになると、

この時は、まだ知らない。


二人は、再び歩き出す。


目的地までの距離は、計算されている。

追ってくる存在との距離も、把握されている。


だから――


この小さな休息が、

最後だったことも。


まだ、知らないまま。


そして次の瞬間、

その“温度”を、世界が受け取るのをやめた。

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