第4章 門出
白銀の線が、
地面を裂いた。
衝撃が遅れて足元に届き、
石畳が低く鳴る。
振り向かなくても、わかる。
あれは──
殺すための線だ。
空気が、
背中を押すように重くなる。
刃が近づくたび、
肺の奥が、きしんだ。
だが少女は、
一度も後ろを見なかった。
足先で、
地面を軽く蹴る。
次の瞬間。
世界が、
ひと呼吸ぶん
遅れて、ついてくる。
音が、遅れる。
風が、遅れる。
光だけが、
置き去りになる。
シアは、
自分の足が動いていることに
気づくまで、
少し時間がかかった。
「……うっ……」
喉が鳴る。
言葉にならない。
少女の声が、
すぐそばで落ちる。
「ねぇ、シア……」
近い。
肩が触れるほど。
「シアの中ね、
いっぱい音がしてる。」
「……お、音……?」
息を吸うたび、
胸が痛む。
「うん。
ざらざらしてて……
でも、ちゃんと並んでる音。」
言葉は幼い。
けれどそれは、
“構造を読んでいる”声だった。
そのとき──
背後の空気が、
切れる。
視線を向けなくても、
分かる。
刃が、
こちらに
“向け直された”。
少女は、
ほんの少しだけ
首を傾けた。
「……あれ、
しつこいね。」
愚痴のような声。
次の瞬間。
少女の光翼が、
ごく小さく揺れる。
シアの視界が、
横に滑った。
世界が、
段差を踏み外したみたいに、
一瞬だけ
位置を間違える。
剣は、
そこを通ったはずなのに。
通る
“場所”が、
消えていた。
「……す、すご……」
ようやく、
声になる。
少女は、
きょとんとしたまま
振り返る。
「え?
いまの?」
「い、今の……
どうやって……」
「んー……
踏み間違えさせただけ、かな。」
──だけ。
それが、
世界の処刑を外した。
少女はそのまま、
シアの前にしゃがむ。
視線の高さが、
揃う。
「シア、
名前あるの?」
心臓が、
まだ速い。
「……KØØ-SIA-01……
それが……
わたしの……」
少女は、
少し考えてから言った。
「……やだ。
それ、呼ぶたび息切れする。」
「……っ……」
「それに……
その音、
シアの中と合ってない。」
胸の奥が、
微かに鳴った。
シアは、
言葉を探しながら、
やっと問いを形にする。
「……あ、あの……
どうして……
わたしの名前……
その呼び方を……?
あなた……
だれなの……?」
少女は、
答える前に
一瞬だけ瞬きをした。
「だって……
シアって音のほうが、
合ってたから。」
「……え……?」
「中、
ふわって鳴ってたよ。
だから、そっち。」
説明になっていない。
けれど、
嘘でもない。
「ねぇ、
呼んでいい?
シアって。」
胸の奥が、
かすかに震えた。
懐かしい影が、
ふっと揺れる。
少女は続ける。
「じゃあね……
わたしの名前……
TLR-∞18。」
言い切ったあと、
ほんの一瞬だけ
口を閉じる。
「……うー……」
舌の上に残った音を、
自分で確かめるように。
「……それ、
ちがう気がする。」
少女は、
小さく首を振った。
「灯凛。
その呼び方のほうが、
ちゃんと振り向けるから。」
シアは、
ためらいながら
口を開く。
「……ト、
トーリン……?」
灯凛は、
呼ばれた音を
確かめるように
一度、瞬きをした。
そして、
ほんの少しだけ
息をゆるめる。
「……うん。」
そのとき。
灯凛は一度だけ、
セラフィスのいる方向へ
目を向けた。
「ねぇ、シア……
あれ、
なんであんなに
怒ってるのかな?」
怒っている……?
(いま……
“怒り”って言った……?
どうして……?)
灯凛の手が
触れているあいだ、
白銀の輪郭が、
一瞬だけ
“別の形”を
透かして見えた。
ノイズじゃない。
これは──
本当の姿。
灯凛は、
シアの手を
きゅっと握る。
「行こ。
なんか、ここ……
きゅうくつ。」
幼い語彙。
けれど、
的確すぎる判断。
この瞬間から、
シアは、
灯凛と同じ
“世界の速度”で
歩き始めた。




