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最終章 澪標



最初に戻ってきたのは、

冷たさだった。


床でも、空でもない。

重さの向きが、わからない。


灯凛は、息を吸う。

内側が、動いたことを、少し遅れて理解する。


――いない。


思考より先に、指が動く。

反射。

条件付け。

いつもと同じ手順。


シア。


呼びかけは、内部で止まる。

言葉にしない。

する必要が、ない。


サーチが走る。


……遅い。


いつもより、ひどく重い。

応答が返ってこないというより、

返るはずの経路そのものが、ない。


再同期。

位相補正。

観測範囲、拡張。


――反応なし。


もう一度。


――反応なし。


もう一度。


――反応なし。


それでも、指は止まらない。

止めた瞬間だけが、

「確定」になってしまうから。


参照点、再設定。

閾値、解除。

雑音の底まで、拾い上げる。


残光。

粒。

世界に吸収された、ばらばらの痕跡。


拾える。

拾えてしまう。


――でも。


生命の信号だけが、ない。


灯凛は、瞬きをした。


そこで初めて、

自分の視界が傾いていることに気づく。


腕が、見える。

正確には、腕だったもの。


輪郭が、欠けている。

繋がっているはずの感覚が、途中で途切れている。


「あ……」


声が出る。

ようやく。


痛みは、まだ来ない。

来る気配もない。


「……遅いな」


誰に向けた言葉でもなかった。


シアの信号は、

終わっている。


減衰ではない。

不明でもない。


生命としての活動が、

完全に、切れている。


灯凛は、目を閉じた。


胸の奥で、

何かが落ちる。


音は、しない。


「……そう」


静かに、息を吐く。


「……今回も、……か」


責める声ではなかった。

確認だった。


隣に、気配がある。


「……生きとるか」


低く、掠れた声。


灯凛は、目を開ける。


アークが、そこに立っている。

立っている、というより――

残っている。


身体のところどころが、

欠けたままだ。


「アーク爺」


名前を呼ぶと、

少しだけ、安心する。


「……取得精度、落ちてるよ?」


「さあな」

「ボデーも、メモリーも飛んどる」

「正確とは、言えん」


灯凛は、もう一度、測る。


――反応なし。


もう一度。


――反応なし。


「……シアは、いない」


言葉にした瞬間、

確定する。


終わり。


そのはずだった。


――触れた。


ほんの一瞬。

指先でも、視線でもない。


かすった。


存在が、

存在に触れそこねた、その縁。


灯凛は、息を止める。


掴もうとする。

消える。


測ろうとする。

消える。


視線を逸らすと――

逆に、届く。


「……ある」


小さく、呟いて、続ける。


「……ここだと思ったのだけど」


「……でも」


いない。


アークが、ゆっくり頷く。


「……妙じゃな」


「なにが?」


灯凛は、いつもの確認をしなかった。


「観測すると、消える」

「せんと……反応が、抜けてくる」


灯凛は、眉をひそめる。


「……いにしえの実験?」


「そうじゃ」

「名前も、残っとらん頃の話じゃが」


アークは、遠くを見る。

この場所に“遠く”があるのかさえ、曖昧なまま。


「ここじゃ、時間が同じ顔をしとらん」

「千年でも、一息でも」

「ズレたまま、並ぶ」


灯凛は、唇を噛む。

理解は、後でいい。


「見ようとしたら、逃げる」

「見なければ、そこにおる」


灯凛は、ふっと息を吐く。


「……ズルい」


小さく、笑ってしまう。


「ほんと……ズルいよ、シア」


喉の奥で、

何かが引っかかる。


息が、

うまく通らない。


そのまま、

言葉を飲み込む。


それだけで、

精一杯だった。


今は、違う。


灯凛は、前を見る。


「アーク爺」


「なんじゃ」


「……座標は、シアじゃない」


「……ああ」


「でも」


言葉を足すほど、

大切なものが逃げていく気がした。


だから、短く。


「信じる」


アークは、静かに頷く。


「希望的観測で、ええ」

「ロマンを捨てたら、終いじゃ」


二人は、動く。


すべてではない。

残りすべて、でもない。


今、動かせる分だけ。


時間を、ずらす。

位相を、ほどく。


アークが、短く言う。


「……一瞬じゃぞ」


「うん」


世界と世界の、隙間。



――飛ぶ。



圧縮。



そして、解放。


外れない。

外れようがない。


灯凛は、

“ここだ”と知っている。


そこにあったのは、

巨大な沈黙だった。


胎内のような形を保ったまま、

完全に停止した構造。


Σ-CORE-888。


灯凛は、息を呑む。


「……この中」

「シアは……ここに、いる」


アークは、短く頷く。


「……行こう」


灯凛は、即答する。


「アーク爺」

「シアに会いに、行くよ」


内部へ。


道は、説明するほど存在しない。

ただ、最短だけが、残っている。


そして。


淡く、揺らぐものが、視界の奥に引っかかる。


淡藤のように、淡く。

境の縁で、

黄金色が、静かに滲んでいく。


細胞でもない。

器でもない。


必死に、消えまいとしている――

名を持たない灯。


「……シア」


今度は、消えない。


見える。

でも、触れられない。


近づくと、

揺らいで、離れる。


「……まだ」


灯凛は、一歩、踏み出す。


「その痛み──

 今度は、私が引き受ける」


その瞬間。


アークが力を渡し、

灯凛は――

使われるはずだった時間を、

淡い揺らぎの中へ預けた。


アークが、隣に立つ。


「……ワシも、同意じゃ」


二人は、顔を見ない。


必要が、なかった。


残っているもの。

持っていたもの。

これから使うはずだった未来。


――すべてを。


淡く揺らぐ光へ。


――託される。


光が、応答した。


言葉と同時に、

身体の奥で何かが外れる。


温度が、抜ける。

支えていた力が、

そのまま、前へ流れていく。


アークが、声を張る。


「シア! 届いたか!」

「じぃじのフルパワーのエナジーじゃぞ!」


それから、息を吐く。


「……ああ」

「もう、空っぽじゃ」


「うん」

「でも、足りるよ」


「……強気じゃの」


「シアだもん」


視界の端が、滲む。


灯凛は、

目を閉じながら、微かに頷く。


見えたのは、

まだ名前のない世界。


始まりの、気配。


「……大丈夫」


喉が、ほどける前に。

この一言だけは、置いていく。


「シアは……まちが……え――」


言葉は、途中でほどける。


音が、消える。


――視界が、閉じる。


次の瞬間が、

定義されないまま。


――

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