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第22章 眩しい沈黙

最初に、

音が、消えた。


消失ではない。

抑え込まれたのでもない。

ただ、

鳴る理由を失った。

暗くはならない。

明るくもならない。


変化そのものが、

成立しなかった。


色は、在る。

形も、輪郭も、距離も。


だが、

それらが「何であるか」は、

まだ決まっていなかった。


何かが来るはずだった。

だが、それは最後まで届かなかった。


灯凛の視界は、白く灼けていた。

光ではない。


目は、開いている。

だが、見ているはずの理由だけが、

どこにもなかった。


――過剰だ。

 

処理する以前に、

世界の前提そのものが、追いついていない。


判断が、発生しなかった。


灯凛は、反射的に自分の身体を確かめる。


「……っ、痛覚フィードバック?」

「今……? いや……違う」


演算を走らせる。


「えっ……違う」


「もっと、前……」


データを呼び戻そうとする。

だが、参照点が、見つからない。


「……抜けた?」

 

「……こんなはず、ないのに」


ここで、

灯凛は気づく。


何かを、

“忘れている”。


重要なものだ。

失ってはいけないものだ。


――なのに、

それが何か、思い出せない。


時間。


測定値が、割れた。


「……待って」

「内部クロック、0x00000001」

「外部参照……9.6×10⁷ サイクル?」

 

笑えない。


「……これって、誤差じゃない」

 

反射的に、アークを見る。


アークの口が、動いた。


「……re……」

 

「……wait……」

「……halt……」

「……戻……」

「……rollback……」


音が、定まらない。

構文が、崩れている。


「……言語最適化……」

「……過去ログ照合……」

「……適合率、最大値を選択……」


アークが首を傾げる。


「……待て……」

「……ワシの……これは……」


灯凛は、思わず声をかけた。


「……ねぇ」

「その喋り方……アークのじぃじに戻ってるよ」


自分の口から零れた言葉に、

灯凛自身が、一瞬だけ戸惑う。


――じぃじ?


その語彙が、

どこから来たのか、わからない。


世界が、動く。


否。

世界が、畳まれていく。


Σ-CORE-888。


それは、命令を発していない。

宣言も、警告も、ない。


ただ、

最優先条件だけが、走っている。


噛み合っていたはずの歯列が、

軋みを上げて、ほどける。


影だったものが、

輪郭を失い、

平面へと引き延ばされていく。


裂け目は、面になった。

空間に固定された、巨大な表示面。


《WORLD_INTEGRITY : MAX》

《HUMAN_COMPATIBILITY : FAIL》

《RESTRUCTURE : EXEC》


世界の口は、

もはや「口」ではなかった。


無数の青が、

そこに貼り付く。


戻るための選択肢は、

表示されなかった。


文字列。

例外。

遮断。

保護。


処理中のまま、

停止した思考。

 

その底から。


――眩しい光。


音は、まだ来ない。

 

遅れて、

凄まじい轟きが、世界を揺らす。


裂け目から、

一本の光が、伸びた。


黄金色として現れた輪郭。

その境界に、観測される前の幽紫が揺れていた。

 

まるで、

差し出された手のように。


あと、

ほんの指先ほど。


――届く距離だった。


灯凛は、思わず踏み出す。


指先が、

空を探した。

 

だが。


世界が、

その間に折り畳まれた。

外殻を覆っていたものごとが、

瞬時に、形を変えた。

包む。

覆う。

内側へ、閉じる。


光は、触れる前で、静かにほどける。


行き場を失った輝きは、

世界の内側へ、回収された。


一瞬遅れて。


アークが、息を呑む。


「……あの、刹那で……」


視線が、まだ追いついていない。


「……それほど……」

「……奴の感情の波が……時化っとった……」


灯凛が、眉をひそめる。


「……奴?……誰のこと?」


アーク自身が、言葉に引っかかる。


「……ん?」

「……待て……」


短く、首を振る。


「……ワシが……」

「……ボケたか……?」


視界の奥で、

数式が、高速で重なり続けている。


「……速い、という言葉が、遅い……」

「……中で……何が、起こっとるんじゃ……」


理解が、

追いつく前に、

次の結果が上書きされる。


アークは、

一度、演算から視線を切った。


「……おい、灯凛」

「……中で、暴れとる奴は……」

「……誰なんじゃ」

言葉が、続かない。


演算が、追いついていない。


――世界は、

自分を壊さないために、

最適な形へと、変わった。


灯凛とアークは、

それを「見た」のではない。


理解する前に、

正しさだけを、突きつけられた。


内側で、


ほんのわずか――

解かれる。


その認識が、

思考になるより早く。


圧縮されていた光が、

須臾――

噴き放たれる。


閃光ではない。

爆ぜたわけでもない。


ただ、

在るべきでない密度が、

外へと押し出された。


灯凛とアークは、


次元の端へ――


投げ出された。


――外へ。

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