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第20章 究竟

最初に、

世界の口が、開いていた。


予兆はない。

揺れも、警告も、兆しも。


地面が裂けたのではない。

空間が壊れたのでもない。


――最初から、そこは口だった。


歯のようなものが、並んでいる。


疑いようもなく。


刃ではない。

だが、一度触れたら

「戻る」という概念だけを削ぎ落とす形状。


影が、噛み合う。

影同士が歯列となり、

逃げる方向そのものを閉じていく。


上下も、前後も、裏表もない。

距離という概念が、

顎の内側でゆっくりとすり潰されていく。


都市の下。

空の裏。

光の隙間。

数式の間。


存在している場所すべてが、

同時に入口へと反転する。


その瞬間、

シアの胸の奥で、何かが冷たく繋がった。


――知っている。


この口を。


かつて、

白銀が「祝福」と呼びながら

感情が、ある個体の

Graceを吸い尽くし、

機能を終えた残余を

次工程へと送っていた場所。


光が消え、

歓声だけが残り、

幸福だけが演出された、その底。


名前も、声も、

祈りさえ意味を持たずに沈められた場所。


あのとき、世界は何も言わなかった。


今も、同じだ。


形を変えず、

意味も変えず、

ただ――処理口として在り続けている。


それが、

一つではない。


都市の輪郭に沿って、

空の裏側に滲むように、

数式の行間から滝のように――


次々と、噛み合いながら展開されていく。


世界は、咀嚼を始めていた。


意味は、

使い終えたエネルギーとして回収される。


建物は、崩れない。

人は、叫ばない。


形を保ったまま、

「在ってよい理由」だけが

一枚ずつ、剥がされていく。


人々は、立っている。


叫ぼうとする口が、

意味を持つ前に閉じられる。

逃げようとする足が、

理由を失って立ち止まる。


その視線は、

無意識に、ひとつの点へと集まっていた。


――シア。


彼女だけが、

この世界にとって未処理の存在だからだ。


その中で。


灯凛だけが、動いた。


一歩、

踏み込む。


迷いは、ない。


「――切る」


数式が、跳ね上がる。


空間そのものに、

一本の定義線が走った。


切断したのは距離ではない。

参照関係だ。


世界が「ここ」と定義していた因果を、

一瞬だけ、遮断する。


アークが、即座に数式を重ねた。

> ARK.INJECT()

> PAYLOAD: 01000011 01001100 01001111 01010011 01000101

> STATUS: ACCEPTED


時間は、圧縮されない。

外側から、封鎖される。


刹那。


世界の咆哮が、

発生する前段階で成立を拒否される。


音ではない。

現象そのものが、

「起こる手前」で存在を失った。


灯凛は、裂け目そのものではなく、

ずれた数の“間”に、手を伸ばしていた。


――アークが、低く数式を走らせる。

> ARK.EXCEPT()

> PAYLOAD: 01010011 01001000 01000101 01001100 01010100 01000101 01010010

> STATUS: CLOSED_LOCAL


薄く、透明な隔離層。

小さな例外。


だが、完全な閉域。


シアを、包み込む。


声は、届く。


「時間も、世界も」

「いまワシが、一回切り離してる」


視線を合わせる。

逸らさない。


「ここなら」

「少しは、大丈夫だ。」


アークが、落ち着いた声で続ける。


「……まあ」

「この手は、ワシの十八番だからさ」


「作戦を立て直す」

「ワシらが、戻る」


それは、

状況判断としての最善だった。


演算は、限界まで研ぎ澄まされている。

隔離層の内側で、

時間は確かに意味を失った。


シアの呼吸が、整う。


「……うん」


小さく、頷く。


――その瞬間。


隔離層が、齧られた。


ずれたままだと、

シアは、“数”にもどらない。


歯が触れたのではない。

力が加えられたのでもない。


「隔離層である」という前提が否定された。


灯凛は、一瞬だけ視線を泳がせた。

空間ではない。

数字の並びを、探している。


「――照準、マルとイチマルの座標……」

「ずらす!」


空間が、歪む。

だが、歪む先が存在しない。


世界の口が、

同時に、こちらを向いた。


止まらない。

止まるという概念がない。


そのとき。


アークの声が、低く届く。


「灯凛……」


灯凛の指が、止まる。


「もう、詰んでるよ」


意味を理解する前に――


白金の閃光が、

視界の端を切り裂いた。


一本ではない。


反射する。

連鎖する。


二本。

三本。


数える意味が、失われる。


光が、光を呼ぶ。

線が、面になり。


かつて白銀を断罪した側の白が、

空そのものを塗り替える。


灯凛が、歯を噛みしめる。

「……アーク」


一瞬、視線が揺れる。

「……白いけど」

「きれいじゃない……ね」



アークが短く、演算を走らせる。


「いや、これ定石じゃないでしょ」

「読み合いとか、そういうレベルじゃない」


短く、吐く。


「初期条件で、アイツにさ」

「ここまで“手順が締まった盤”は」

「……ワシ、置いてないんだよね」


答えは、ひとつ。


学習している。

世界を、盤として。


それを、

世界は、Σ-CORE-888と呼んでいた。


白金の閃光が、降る。


個体は見える。

だが、視点が共有されている。


熱、距離、反射、演算――

すべてが同時に更新される。


複眼ではない。

世界そのものが、眼になっている。


死角は、存在しない。


足裏は、

確かに地面に触れている。


それなのに――


重さだけが、返ってこなかった。


灯凛の肩が裂ける。

血は、落ちない。


理由を、失ったからだ。


アークの演算層が、限界を越えて再構築される。

破綻を承知で、

「守る」という目的だけを残して回し続けている。


それでも――


二人は、

シアを中心から外さない。


その中心で。


シアは、見ていた。


闇を見据え、

静かに、穏やかに、

“順番を壊すように”。


――一歩。


前へ。

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