第17章 虚飾
白金の装甲が、ゆっくりと向きを変える。
EX-SERAPHISは、
灯凛ではなく――
その背後にいる少女を見ていた。
その瞬間、
灯凛の背に、わずかな重さが増した。
シアは、灯凛の服の裾を、ぎゅっと掴む。
指先に、力がこもる。
視線が、定まる。
計測。
照合。
再解釈。
「……なるほど」
声は澄んでいた。
セラフィスよりも、ずっと流暢で、
人の言葉に近い。
「お前が、KØØ-SIA-01か」
「……え?」
小さな声。
問いというより、驚きに近い。
名を呼ばれたことよりも、
“知られている”という事実に、
一瞬だけ、息を呑んだ。
「Σ-CORE-888が」
「特異値として、更新を止めなかった存在」
一瞬だけ、声音が変わる。
「仰ぎ見るべき、かけがえのないお方だ」
それは祈りではない。
信仰でもない。
正義が、
正義の根拠を語るときの声だった。
EX-SERAPHISは、一歩、前に出る。
シアの肩が、びくりと揺れる。
だが、逃げなかった。
「安心しろ」
口元が、わずかに歪む。
「痛みは、最小化される」
「お前は“消える”のではない」
「世界に、還元されるだけだ」
「……トーリン……」
声は、掠れていた。
灯凛の背で、
脈打つ光と振動が、低く共鳴する。
その奥で、
ARK-Λ-00が、かすれた声を落とす。
「……ほう」
「まだ気づいとらんか」
EX-SERAPHISが、わずかに視線をずらす。
「何を、だ」
「Graceじゃよ」
老いた声は、静かだった。
「数にも、力にもならん」
「観測の領域を、とっくに逸脱しとる」
灯凛が、目を細める。
「……だから、見えない?」
「うむ」
「小僧の演算には、まだ早い」
その言葉を嘲るように、
EX-SERAPHISは、鼻で笑った。
「未定義値など、誤差に過ぎん」
そして、灯凛に向けて剣を振る。
白金の軌道。
鋭く、正確。
だが――
灯凛は、踏み込まない。
数式が、
剣閃の“意味”だけを、ずらす。
刃は、虚を切り、
風だけが、シアの前髪を揺らした。
次の瞬間。
EX-SERAPHISは、
すでにシアの側にいた。
「だが――」
低く、吐息のように。
「お前のそれは、異常だ」
視線が、少女を射抜く。
シアは、視線を逸らさなかった。
足は、少し震えている。
それでも、目だけは退かなかった。
「溜め込みすぎだ」
「Graceも、選択も、迷いも」
「……未処理のまま、残りすぎている」
小さく、首を傾げる。
「だから、欲しい」
白金の装甲が、淡く輝く。
「満たされている者が」
「なぜ、満ち足りないのか」
その理由を、
回収すれば分かると思った。
EX-SERAPHISは、
何の躊躇もなく、手を伸ばす。
――それだけだった。
触れた瞬間。
シアの内側で、
何かが応じてしまった。
呼吸が、意味を失った。
声になる前のものが、
そのまま、沈んだ。
声にならない息。
意志ではない。
拒絶でもない。
ただ、
在り方の違いだった。
EX-SERAPHISの内部で、
警告が重なり始める。
逆流。
不整合。
自己参照崩壊。
「……?」
初めて、
計算が止まる。
「Σ-CORE-888の定義と――」
続かない。
Graceは、奪われなかった。
触れた“形式”が、
そのまま裏返っただけだ。
白金の装甲に、
細い亀裂が走る。
均衡が、音もなくほどけていく。
「……理解、不能……」
声が、揺れる。
「これは……」
「力では、ない……」
灯凛は、
一歩も動かず、言った。
「うん」
静かに。
「それ、間違えたんだよ。」
次の瞬間。
白金は、砕けた。
爆発はない。
閃光もない。
正義だけが、
成立条件を失って、消えた。
残ったのは、揺らぎ。
まだ、温かい。
ARK-Λ-00が、ぽつりと零す。
「……あの小僧にはのぉ……」
「ちと、アレじゃな」
灯凛は、少し考えてから言った。
「……見えてるものが」
「全部だと、思ってたんだと思う」
それ以上は、言わなかった。
その続きを、
ARK-Λ-00が引き取る。
「“心”は」
「ちと、難しかったみたいじゃな」
「……わかんないの、だとおもう」
「見えるのが、数値だから……」
灯凛は、
シアの手を、そっと握った。




